I
五月にある人は言った。
それを眺めながら、淋しそうだと言った。
ただ、ポツンと昼を彩り、夜を照らし、その姿が淋しそうだと言った。
II
五月にある人は言った。
どれだけ仕事で成功することよりも、ちゃんとした家庭を持って、家族を幸せにすることの方が数段難しいのだと、言った。
III
五月にある人は言った。
東京に住んでいると、そういうわかりきっていることが、時々、わからなくなるのだと、その人は言った。
IV
五月にある人は言った。
たとえ、姿かたちはなくなっても、その人の想いや魂は消えることはないのです。あなたが、手を合わせて、その声を聞きたいと願えば、すぐに聞こえるはずです、と言った。
V
五月にある人は言った。
「東京は、そんなに楽しいところですか?」
VI
五月にある人は言った。
あなたの好きなことをしなさい。でも、これからが大変なのだと、言った。
VII
五月にある人は言った。
東京でも田舎町でも、どこでも一緒よ。結局は、誰と一緒におるのか、それが大切なことやけん。
VIII
五月にある人は言った。
どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔することでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげてばよかったと。
IX
オカンが死んだ年の五月にある人は言った。
「東京タワーの上から東京を眺めるとね、気が付くことがあるのよ。地上にいる時にはあまり気が付かないことなんだけれど、東京にはお墓がいっぱいあるんだなぁって」
泣きました。
でも、泣いた理由を説明するのも決まりが悪いので、つとめてクールなフリをして本書を紹介することにします。
全9章からなるこの作品、各章にかならず「五月にある人は言った。」という一節がある。
本文の中では、上記の引用文に前後して、リリー・フランキーの哲学が述べられている。
湿っぽい話が嫌いな人や、時間のない人は、その部分だけ拾い読みしてもいいと思う。
落ち込んだときに勇気付けられたり、人の世の無常に感じ入ったり、自分の信じていた価値観を考え直さざるを得なくなったりすると思う。
ストーリーを追うことができなくなるので、人と話をあわせることはできなくなるけれど。
ただ泣いて終わりにするのは、もったいない名著だと思った。
6月にある人は言った。
あなたには陽だまりのような、ほっこりと暖かい人が必要なのよ、と言った。
泣きました。
最後の30ページは
ず~っと泣いてました。
淡々と書いてあるのに
それが痛いくらい悲しいです。
某所で hirori さんの感想を先に読んで、構えていたせいか、最後の30ページはわりと淡々と進められました。
むしろ、最後の章は「五月にある人は言った。」がなかなか出てこないので、それを探すのに一生懸命で、感情はどっかに吹っ飛んでた感じです。
hirori さんは女性の立場からなのか、「母親というものは」という詩が印象に残ったとおっしゃっていましたが、僕は男(オッサン)の立場からなのかオトンの「言葉にしてちゃんと言うてやらんと、女はわからんのやから。」にやれらていました。
大泣きしました。
仕事中に読みはじめて、
最後まで♪
涙目でお仕事しました。
現実に起きたことと重なって
泣きました。
読み始めたら、泣けるラストまで止められませんよね。
仕事中とはいえ。;-)
読んで じーんときました。
なんか、自分と母親のことを振り返っちゃいますね。
自分が親になったら
もう一度 この本を読んでみたいな。
TBさせてください。
はじめまして。
親子関係は、誰しも少なくとも一度は悩む問題でしょう。
そんな時に、振り返りたい1冊ですよね。
木公さんの日記を読んで、むちゃくちゃ読んでみたくなりました。
仕事中に読ませてもらいます(^^;)
大の男(注)が、仕事中においおい泣くのはみっともないかもしれないので、気をつけてくださいね。
(注)「体が大」ではありません。「立派な人」ってことです。;-p
書き込み直後に発注したので、早ければ明日到着かも♪
体が大で、いい年しておいおい泣けば、
それこそ「大の男が」ということで。
しっかり、たっぷり、やっぱり、みっともなくなってみます。w
そろそろ読み終わって、泣き終わった頃でしょうか?
リリー・フランキー『美女と野球』
リリー・フランキーが1990年代に雑誌連載していたエッセイをまとめた物。 リリー・フランキーの代表作といえば、『東京タワー: オカンとボクと、時々、オトン…