超有名書「利己的な遺伝子」(“The selfish gene”)が、初版刊行30周年を記念して、新装版が発売になりました。
日高敏隆の「第3版への訳者あとがき」によれば、今回の変更点は
- ドーキンスの書き下ろし序文を追加
- 第2版で削除されていたトリヴァースの「序文」を採録
- メダワー、ハミルトン、メイナード=スミスによる書評を収録
- 訳文の組版を刷新。生物用語などにルビを追加
- ごく一部に関して訳を手直し
- 原著の全索引項目を翻訳して収録
とのこと。
恥ずかしながら、今まで手にとった事はあっても、一度も読んだことはなかったので、つらつらと勉強させていただこうと思っている次第。
ところで、あちこちで議論の的となり、賛否両論があるらしい「ミーム」(meme)という概念ってどうなんですか?
薀蓄のある方、ひとつよろしくお願いします。
新しい装丁になったんですね、知らなかった。
「心の遺伝子」とも言われるらしいですが、概念自体はまだ定義できるほどはっきりしていないみたいです、
私の中でもずっと消化不良な単語の一つです。
概念とか意思などというもの、それ自体が意思を持って
生き延びようとしているのかなと
個人的には解釈しています。
それを助ける働きをするのがメディアなどの媒体なのかなと。
上記の関係が遺伝子とミトコンドリアの関係みたいだなと思ったところで
瀬名英明の名前が思い浮かびました。
たしかパラサイトイブかBrain valleyでミーム絡みの話も出てきたような気がします。
コンピュータのシュミレーションだったかな?
彼の作品はサイエンスの最先端がちりばめられているので
数年後にその事実を知って初めて
「ああ、そうだったのか」なんて発見もあったり
非常に緻密な計算の上に成り立っている作品なんだなと思ってます。
ちなみにアメリカでは「ミーム」というと
ブログバトンを指すそうです。
これもまた意味深ですね。
「Brain valley」 は読んだことありませんが、「パラサイトイヴ」には確かにミームの話がチラッと出てきました。
ミームも「パラサイトイヴ」の”意思や記憶をもった”ミトコンドリアの話も、情報保持のメカニズムがはっきりしないというのが、アヤシサ満点なのかな、と思ってしまったり。
「パラサイトイヴ」のミトコンドリアは、人間の有史以前どころか、地球上に単細胞生物しかいなかった頃からの全ての記憶をもっているそうで。
ミトコンドリアの構造は全く知りませんが、仮にDNAの塩基配列と同じようにATGCの4種類の要素を持っていたとして、どのくらいの長さの配列があるとそれだけの記憶を保持できるんだろうか、と。
きっと、すごく長い(DNAの塩基配列よりも長いだろう。人間1人分の記憶容量<=シナプス結合の数 よりも大きいだろう)。それだけのシステムをミトコンドリアの中に含めることは可能なんだろうか、と。
いや、「パラサイトイヴ」はフィクションだからいいんですけど。
ブログバトンも「ミーム」と呼ばれるとは知りませんでした。
「あいつバトン」でアップアップしている現在の僕には、妙に身につまされるような、つまされないようなお話でした。
どもです。
不幸の手紙に意思があったとして
自らを増やしたいと願っていたら、
不幸の手紙→幸福の手紙→バトン
というふうに形をかえていたとしたら
彼(彼女?)の目論見は達成されているなあとか
考えてみたり。
大きな枠で捉えたら
バトンがミームと呼ばれるのも
うなずける気がします。
まだ5章くらいまでしか読んでいませんが、ドーキンスは遺伝子そのものに意思はないと明言しています。
「利己的」というのはあくまでレトリックであって、あくまで意思を持っている*かのように見える*と言っているに過ぎません。
例として、プリズムの中を通過する光を挙げています。意思を持って最短距離を進むかのように見えるけれど、光自体は意思を有していない、と。
ミームの話になったときに、意思の問題がどう扱われるのかは、まだ読んでいないのでわかりません。
しかし、なんとなく予想としては、ミーム自体にも意思はないって話になるんじゃないかなぁ。
そんなわけで、不幸の手紙に意思があるというのは、過度の擬人化と思われます。
冷静に突っ込んで申し訳ありませんが。
なるほど。
読み返してみると暴走してますね、自分。
かのように見える、実際はそうではないということかあ。
ドーキンス、私も読んでみたくなってきました。
この本、現代教養人の必読書と思われます。
ぜひお読みください。
ただし、話がややこしいし(統一メッセージは完結だけれど)、翻訳だし(原著で読めば別だけれど)、ぼんやり読むと眠くなるのでご注意を。