これまで世の中をナメきって生きてきたり、今日現在世の中をナメきって生きていたり、今後も世の中をナメきって生きていきそうな当方ですが。
「そんなに世の中をナメきっていていいのか?」
と、ちょっぴり自己嫌悪に陥った感がある。
そんなわけで、自分を見つめなおし、修養を積むために「三日坊主」よろしく、2泊3日くらいのスケジュールで禅宗の寺に入門して、根性を叩き直してもらおうかと本気で思ってみた。
ちょっと調べて、京都府亀岡市に宝泉寺禅センターという施設があることを知った。
うちからだと小一時間程度の場所だし、3泊4日で10,000円という額も入門にはもってこいな感じ。
かなり本気で禅修業に行こうかと思い始めている、僕がいる。
しかし、これだけの情報でいきなり飛び込んでしまうのも、なんだか不安な気もするので、もう少しだけ「プチ修行」について情報収集してみることにした。
「プチ修行」でぐぐったら、そのままズバリの本にぶち当たった。
しかも、『ダーリンは外国人』でヒットした小栗左多里だし。
「どれどれ」ってな感じで、予習を開始した。
#もっと硬い「修行」の本を読まないあたり、やはり当方は何かをナメきっている気がする・・・。
同書で小栗氏が体験した「修行」は
・瞑想
・写経
・座禅 (2回)
・滝
・断食
・お遍路
・内観
と、7種8回。
小栗氏自身、特に崇高な目的があるわけではなく、どちらかというと興味本位で、まさしくプチ体験という感じ。
たいていが日帰りだったり、長くても2泊3日くらいのスケジュールだから。
体験記を読んでも、ドップリとはまり込むわけではなく、修行体験している自分と指導者を、俯瞰的位置から冷ややかな視点で眺めているのがみてとれる。
指導者の胡散臭いところを、心の中で突っ込み、そしてたまには、実際に口に出して議論してしまったりと、一方的な提灯記事じゃないので、安心して読める。
本書成分の80%は文章で、残り25%くらいは漫画という構成になっている。
合計が100%にならないのは、本書のお約束なので突っ込んではいけない。
メインはあくまで文章部分だが、漫画部分では各体験の概要が説明されていて、僕のように「これからやってみよう」という人間にはわりとうれしい。
小栗氏が行った場所と、僕が行くかもしれない場所とはおそらく異なるだろうが、「だいたいこんな感じ」という雰囲気はつかめるので、ありがたい。
たとえば、禅をする場所の見取り図とか、控え室がどんな位置にあるかとか、わりとセキュリティが甘い(ロッカーに鍵がない)とか、これから体験してみようという人間には参考になるだろう。
また、禅修業が2回分あり、これから精神を鍛えなおしてもらおうと思っている当方には、あたかも既に自分が見てきたかのように、いろいろ知れた。
ありがたや。
で、結局、この本を読んで、当方の「プチ修行」欲が高まったかというと、実はどーでもよくなってきたという皮肉。
実は、冒頭で「禅修業に行こうかと思い始めている」と言ったことの本音は
「俺って、偉いことしてるっぽいべ?」
という自己顕示に他ならなかったわけで。
小栗左多里、曰く
危ないのは、自分のためになることをするのは当たり前でしかないのに「えらいことしてるっぽい」気持ちになることだと思うな。
小栗左多里『プチ修行』 p.179
と、完全に当方の腐った根性を見透かされた気がして。
在家修行で、こういう自分ときちんと向き合ってから、「プチ修行」に出かけたいと思う。
追伸:
本書は『こんな私も修行したい! 精神道入門』を改題して文庫化したものだそうです。
本屋に出かける前、両書の違いに戸惑ったので、一応メモ
中学の時、ボーイスカウトの活動の一環で、曹洞宗のお寺に泊まり込んだことがあるけど、良い体験だと思います。山伏修行のように死ぬリスクもないし。禅宗の修行って、系統的脱感作法とか自立訓練法とか、臨床でやってる治療を千年くらい先駆けて実践していたようなもであることが分かって面白いかも。
ありがとうございます。
小栗左多里を読んだあと、行く気が失せかかっていたのですが、やっぱ行ってみようかなという気になってきました。
修行いいですね。
亀岡のお寺は前にTVで紹介されてるの見ました!
「おっ!行くのか?」と思わせといて
最後にはちょっと行く気をなくしているのが
木公氏風なんでしょうか。w
自宅で瞑想もなかなかよろしいです。
傍目には寝ている様にも見えますが。。
そうなんですよ、行くのか、行かないのか、優柔不断なところがダメな僕なのです。
自宅で瞑想、先ほど試してみたのですが、あるにゃんが邪魔しにくるんですー。