泉橋寺: 応仁の乱で焼け出された巨大地蔵

近畿地方を横断する木津川という川がある。この川は三重県伊賀市に発し、最終的には淀川に繋がって大阪湾に流れるわりと大きな川である。
途中、当方の住処の近所である京都府木津川市を経由する。国道24号線が木津川と交差する位置にかかっているのが泉大橋である。長さ400m弱で片道一車線だが、鉄骨で組まれたなかなか立派な橋だ(参考記事)。
この橋の前身は、西暦700年頃に行基によって造られたそうだ(wikipedia で行基を調べる; 近鉄奈良駅前の行基像は奈良の待ち合わせポイントの一つだね)。

その当時、泉大橋を管理・守護するために建立されたのが、泉橋寺(せんきょうじ)だ。

泉橋寺の門

木津川の土手から少し下がったところにあり、境内はとても小ぢんまりとしている。およそ30m四方の広さしかなく、建物も小さなお堂が二つ三つあるだけで、あとは墓石が30基ほど並んでいるだけだった。しかし、庭の植物はきれいに手入れがしてあり、眺めていると落ち着く。
寺の周囲も民家が多く、僕以外の人影もないし、とても静かな環境だった。
周りには製茶所がいくつかあり(サントリーのお茶・伊右衛門に記されている福寿園という茶メーカーの本社は、実はここのすぐそばにある)、お茶のいい香りが漂ってくる。心も穏やかになってくる。
そんなわけで、隠れたリラクゼーション・ロケーションだと認定。ナチュラル・トリップできそうだ。

しかし、泉橋寺のポイントはそれだけではない。




門に向かって左手にちょっとした広場があり、そこに高さ4.58mの地蔵石仏(石造地蔵菩薩坐像)がある。

石造地蔵菩薩坐像

柱の土台跡らしきものこの石仏は、西暦1300年前後に建立され、当時はきちんとお堂の中に鎮座していたそうだ。5m弱の石仏を納めるのだから、ずいぶん大きなお堂だったのだろう。石仏の周りには、土の上に丸い石が何箇所も置かれている。きっとこれがお堂の柱の土台だったと思われる(右写真)。
しかし、応仁の乱の戦火がこの地方にまで伸びてきた1471年に、大内正弘の軍勢によって焼かれてしまったそうだ。そんなわけで、木造のお堂だけが焼けて、中の石仏だけが焼け残って露出するようになったそうだ(もちろん、石仏も一部損壊したらしい)。
それからずっと、野ざらしになっちゃってるわけだ。お堂にいたのがたった170年間(A.D.1300 – 1471)で、それ以後600年以上もホームレスっつーのもなんだか可哀想だ。姿はデカくて、ダイナミックなんだけれど。

なお、お地蔵さんこと地蔵菩薩の仏教上の設定は、人々を苦しみから解き放ち、救済する役目だそうだ。要するに、お祈りすれば極楽浄土へと救ってくれるっつーわけだ。仏像を作るときは、剃髪で右手に錫杖、左手に宝珠を持つのがルール(泉橋寺の地蔵もそうなってる)。
ちなみに、地獄行きを決めることで有名な閻魔大王は、地蔵菩薩の変化した姿だという設定もある。人々が極楽へ行くべきか地獄へ行くべきかの決定権が、地蔵菩薩/閻魔大王にあることになってるそうだ。

さらにちなみに、仏教界で悟りを開き、人々を導く人のことを「如来」と言うそうだ。かのインドに生まれたシャカは、この世に現われた最後の如来(釈迦如来)。その後、地球上には如来が誕生していないそうだ。えらいこっちゃ。
しかし、心配する必要はなく、将来、別の如来が現われることがスケジュール上決まっているらしい。それが、「弥勒如来」(ただし、現在はまだ如来になってないので、一般に弥勒菩薩と呼ばれてる。右手を顎に当てて考え込んでるポーズで有名なあの人)。ただし、弥勒如来が現われるのは、56億年後らしいケド。えらい、気の長い話だ。

でもって、釈迦如来と弥勒如来との間の空白期間に、人々を救ってくださるのが地蔵菩薩なんだそうだ。
56億年間にわたる如来の留守を守っているんだから、600年のホームレス状態くらい、ここの地蔵さんにとっては屁でもないのかもしれないなぁと考えたり、考えなかったり。
地蔵の在職期間56億年のうち、600年といえばおよそ1千万分の1。人間の寿命を100年とした場合、その1千万分の1という時間は、ざっと5分に相当。いやはや、屁じゃないわ。
#お堂にいた時間を人間にたとえれば、1分半というのも悲しいが。


【泉橋寺】
木津川市による紹介
住所: 木津川市山城町上狛西下55
駐車場: たぶん、なし。周りの道も細いから運転注意(当方のWiLL CYPHAで道幅ギリギリ)

泉橋寺の案内板


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