璉珹寺: 仏ストリップ興行と楽屋訪問、花びら回転

秘佛開扉 女人裸形 阿弥陀佛 璉珹寺数週間前、ならまちのとある一角を歩いていたら、あちこちに手作り感満載のポスターが貼られていた。普段なら、市民の文化サークルかなんかだろうと思って無視するところだけれど、あまりにたくさんあったせいで自然と目に入ってきた。

秘佛開扉 女人裸形 阿弥陀佛 璉珹寺 5月1日-5月31日

最近、空前の見仏マイブームが起きている当方であるし、その上女の子大好きな当方なので「女人裸形」の文字列に目が釘付け。その日は時間が遅くて拝観できそうになかったので、本日、念願の仏ストリップ・ショーに出かけてきた次第。

出かける前に、璉珹寺(れんじょうじ)のことはwebで検索したりしたりしてみたのだが、公式サイトはないし、wikipedia などにも情報はない。Google での検索結果も、ほとんどが個人サイトの情報だったりするわけで。本当にそんな寺があるのかどうか、しかも檀家以外の人間が観光気分で出かけていいものかどうか、激しく不安になったりした。

そんな中、先日録画しておいた『みうらじゅん・いとうせいこうのテレビ見仏記』の総集編を見返したら、確かに璉珹寺は存在していて、裸の女人仏像も安置されていた(11回目の放送で取り上げられたようだ)。その事実に勇気付けられて、奈良市街南部へ車を走らせた。


璉珹寺の山門璉珹寺は、市立奈良病院のそば、西紀寺町にあった。寺の前は乗用車が1台半くらいの幅しかない、一方通行の狭い道。事前に地図でよく場所を調べて向かったので迷うことはなかったけれど、軽い気持ちで向かうと発見が難しいかもしれない。山門に向かう参道も、幅が5m弱ほどしかなく、ボーッとしているとちょっと金持ちの民家かと思うくらい。

奈良や京都の観光メッカな寺社仏閣の感覚で行くと、面食らう。門をくぐっても寺務所がどこにあるのかよくわからないし、人気もないからどこに向かっていいのか分からなかった。勇気を出して、左手にある建物の玄関から「ごめんください。阿弥陀さまの見学をさせて欲しいのですが」と大声で声をかけた。すると、薄暗い建物の奥から人の声がして、庭の奥にある本堂に上がるように声だけが返ってきた。
#このときは、なんて愛想のない寺なんだと思ったのだが、この印象は後に大きく変わる。

本堂

璉珹寺の本堂は、こじんまりとしていて、むしろさっき声をかけた母屋の方が大きいくらいだ。
正面で靴を脱いであがると、向かって左側の側面にある扉が開かれて、そこから中に入るよう促される。中は十畳ほどの広さで、厨子が3つ並べられていた。外光が入らないので薄暗い中、蝋燭と小さなライトだけで照らされる堂内は、厳かな雰囲気がある一方、どこかしら不安が煽られるような感じでもある。初めてススキノマドンナで憂木瞳のショーを見たときの気持ちを思い出したとか、出さなかったとか。

阿弥陀如来像(パンフレットより)線香に火がつけられ、香りが漂ったところで、いよいよ中央の厨子が開かれた。
中に鎮座していた阿弥陀如来像は、上半身は裸のままであったが、下半身には袴が着せられていた。胸の膨らみなどがあるわけでもなく、女性をあらわすシンボルはきっと袴の下に隠されているのだろうが、それでも全体的に醸し出される優美なシルエットは女性的であると感ぜられた。写真(パンフレットより転載)の通り、後光は付随していないが、厨子の内壁に金箔が張ってあり、頭部の辺りだけ白い輪が抜いてあった。その背景模様の視覚効果で、本当に像から後光が射しているように見えてとても美しかった。

この像は、阿弥陀如来像と伝わっているが、解説テープの中では「阿弥陀如来と釈迦如来の融合した形ではないか」と説明されていた。通常、阿弥陀如来は「来迎印」といって、両手の人差し指と親指をそれぞれつまみ合わせた形(OKサインの形)にしている。しかし、ここの如来像は下げた左手は来迎印だが、右手は開いたままなのである。右手を上げて、手を開いてこちらに向けるポーズは「施無畏印」といって、釈迦如来が主に結ぶ印で、人々に安心感を与えて説話をするポーズだそうだ。つまり、両手の印の形を見ると、阿弥陀如来と釈迦如来の融合ではないかという説だ。

阿弥陀如来は、極楽浄土にいて、人の臨終のときに迎えに来て(来迎)くれる仏だそうだ(「南無阿弥陀仏」と唱える対象)。それに対して、釈迦如来はインドのゴータマ・シッダールタの化身で、現世における説法などを司るらしい。この2つが融合していることは、現世での人のあり方を示しつつ、臨終後も見守ってくれるという、「ゆりかごから墓場まで」的な仏像らしい。
そして、通常は男形が多い仏像を、女形にするということで、男女の融和(エロい意味じゃなくて)を示しているっぽい。

下半身につけている袴は50年ごとに新調するそうだ。前回の着替えが10年ほど前だったので、次は僕が75歳になった頃にお色直しがあるわけだ。その時に”オープンショー”があるのかどうかは知らないが、生きていたら彼女の次のおしゃれを見てみたいね。

なお、昔はその着替えに合わせて50年に一度の公開しか許されていなかったそうだが、今は5繋がりで、毎年5月に公開されているそうだ。
あと1週間くらいで今年の公開時期は終わってしまうけれど、超お勧めなので、ご近所の方はぜひ。
5月30日は夜9時までの夜間拝観もやるそうですので。

そんな感じで、極楽浄土のストリップショーを堪能していたわけだが、係のオジサンがしきりと当方の素性を探ってくる。どこから来たかだの、どうしてこの寺を知ったかだの。
最近は、近畿地方で仏像の盗難が頻繁に起きているので、当方もその一味だと疑われたのかもしれない。そりゃ、サングラスにざんばら頭で、ユニクロの490円Tシャツとか着てるんだから、仕方ないといえば仕方ないけど。
別に気を悪くするでもなく、ならまちでポスターを見かけただの、テレビ見仏記を見ただの、と正直に答えたりした。ぶっきらぼうに返事するだけだとますます疑われるかもしれないので、「テレビでは女性の方が説明役をやっておられましたよね」と、そのオジサンに付加的に話をふってみたり。

お茶のおもてなし

すると、オジサンが気をよくして、「ああ、それはここの住職ですわ。今から呼んできますね。」と言ってくれた。
やって来たのは、テレビで見たのと同じ、上品な初老の女性。僕のような若輩者に、正座をし、手と額を畳にこすりつけるように深くお辞儀をしてくださった。住職といえば男性が多いのに、女性だということにビックリするやら、さすが女人裸仏像を収蔵する寺だと納得するやら、その丁寧さに困惑するやら。

オオヤマレンゲ皆さんに気軽に立ち寄っていただけるような寺にしたいのです。しかも、若い人に来てもらって、こんなに嬉しいことはありません。
とおっしゃって、お茶まで出してくださった。そして、いろいろなお話を聞かせていただいた。
今はちょうど、オオヤマレンゲという白く大きな花が見ごろであること、そして、その花をモチーフに茶菓子を入れる紙の容器を作ったことを話してくれた。見比べると(右の写真と上の写真)、たしかによくできている。あまりによくできた容器なので、もって帰っていいかと聞いたら「折り方は企業秘密やから、あかん」とのこと。その言い方がお茶目で憎めない人だ。

また、1週間ほど前には、お嬢さんが結婚したとのことで終始ニコニコしつつ、「お兄さんは、いつ結婚されるおつもりか?」と、当方ですらよー分からんことをバンバン突っ込んでくる。普通のおばさんにそんなことを言われたら、ムッとする当方だが、このお寺の雰囲気がよいせいで、いやぁこっちが聞きたいですわ、的なノンビリしたムードですごしたり。ノンビリしすぎて、寺の住職の実子が神道式で挙式(住職談)したという重大な事実に突っ込むタイミングを逸してしまいましたよ。

ファッションショーの写真そのほか、去年の秋には、境内でファッションショーを挙行したそうだ。その時の写真をモザイク状に配したパネルがあったのだが、老若男女(比率としては、”老・女”が多かったが)が集まって、楽しそうにしている様子は微笑ましかった。
住職さんの願いである、人々が集って明るく楽しい寺というコンセプトが成功しているのだと思った。次回開催は、来年の予定だそうだが、チャンスがあったらぜひ手伝いたいと思った。

初めは、裸の女形仏像があるということで、冷やかし気分で出かけた璉珹寺であったが、人々の拠り所となるような、そして人々が融和するような寺にしたいというコンセプトに感じ入ってしまった。
例の仏像が、阿弥陀如来と釈迦の融合系で、そして男女も超越しているという理念がちゃんと生きていると思った。

住職さんが「いつでも遊びにおいで」と言ってくれたので、暇さえあれば遊びに行こうと思う。
みんなも行ってみるといいと思う。

【璉珹寺】
住所: 奈良市西紀寺町45
TEL: 0742-22-4887
駐車場: 参道に1-2台(住職さんに確認した)
拝観料: 300円
秘仏公開: 毎年5月


より大きな地図で alm-map を表示

コメント (2)

  1. kyono

    螺鈿迷宮以来ですが、お邪魔します。
    私も先週末、チャリでならまちあたりを走っていて、なぜかかなり目をひかれ、チャリをとめてジーっと見入ってしまいました。
    怪しいのか、妖しいのか…見極めがむずかしく、怖いもの見たさゴコロもかなりくすぐられたのですが、奈良に越してきて7ヶ月とは名(?)ばかりで、ほとんど不在の日々のため、地図がどーしても脳に焼きつかず…断念、お腹もすいていたのでね~。
    でも、そのあとにこちらの記事を拝読し、かなりグラグラと心を揺さぶられ、最終日の昨日、それも最後の最後に拝観してまいりました。(たぶん、テープの説明を聞いた、最後の人間だったと思います。)あの、手の膜…が不思議でした。
    門から振り返ると、こじんまりしたお堂が、今までもずーっとそうしてきたように、これからもずーっとこうしているよ…というたたずまいで夕方の光をあびてました。
    いいお寺ですね。

  2. 木公

    王連 王城 寺(表示されない場合があるから、倍角表示にしてみた)は、事前知識なしに遭遇したら、確かに近寄りがたい雰囲気がありますよね。住職さんは、多くの人々に尋ねてほしいという願いを持っていていろいろがんばっておられるのですが。尋ねてみると、ものすごくいいお寺なんですよね。

    仏像の手の指の間に両生類のような膜があるというのは、わりとポピュラーに見られます。人々を手で救うときに、より多くの人を掬えるようにと、幕があるという設定だそうです。

    しかし、初期の仏像技術では手の指のような細いパーツは折れやすいので、補強のために穴を抜かずにおいたんじゃないか、それが日本に輸入されるときに勝手に「人を掬いやすいように」という解釈が追加されたんじゃないか・・・と、いとうせいこう&みうらじゅんあたりが書いているのを読みました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です