今日の日中(夜じゃないところがトホホ)は某かわいこちゃんとデート(デート?デートなのか!?)だというのに、僕は朝ドラを見てブログを書く必要があるので、その分だけ待ち合わせ時刻を遅らせてもらったりして、「お前やる気あんのか?」と自問自答している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第72回目の放送を見ましたよ。
1944(昭和19年)年9月。
今年は、ついにだんじり祭りが中止になってしまった。若く元気な男たちがみな戦争にとられてしまったので、物理的にだんじりを曳くことができないのだ。無邪気な次女・直子(心花)は、男しかだんじりを曳けないというしきたりなど無視して、来年は自分が曳くと言って騒ぎ出した。糸子(尾野真千子)は、それはできないのだと諭しながらも、小さい頃の自分を見ているようでかわいらしく思った。
しかし、糸子は悔しくてたまらなかった。戦争によって、人が人らしくない生き方を強いられていることに納得がいかなかった。
学校で子供たちは、人の殺し方と自分の死に方ばかり教えられている。一度は戦争に興味を失った長女・優子(花田優里音)も、最近ではまた軍事教練ごっこばかりしている。八重子(田丸麻紀)の長男で中学生の太郎(大原光太郎)。は、日本軍の正義を信じこみ、自分は海軍予科練に入って飛行士になることを夢見ていた。
それでも糸子は、太郎のことを親思いのよい子供だと思っていた。彼は毎日、糸子の店を手伝っている八重子の帰りを迎えに来る。八重子がどんなに断って、必ず八重子の荷物を運んでやるという心優しい息子だった。
そんなふたりを見ていると、糸子は安岡家のことが気にならないわけにはいかなかった。八重子自身は毎日明るく元気だが、夫・泰蔵(須賀貴匡)を戦争に取られ、義母・玉枝(濱田マリ)の髪結いは店じまいし、義弟・勘助(尾上寛之)は復員後に精神がやられ無気力な毎日を送っている。その上、3人の子供の母である。八重子は何も表に出すことはないが、大変な苦労をしているに違いないと思うのだった。
ところが、糸子も一家の大黒柱として忙殺されるようになり、八重子にばかり肩入れする余裕も無くなった。ある日、八重子の元気がなく、一日中ぼんやりとしていたのだが、糸子はそれに気づかなかった。異変を察した千代(麻生祐未)が話を持ちかけるのだが、糸子はみんな大変な時期なのだから、自分のことは自分でやってもらわなくては困るといって取り合わなかった。
特にその日は、店の者たちが検品の手を抜いたことによる不良品のクレームで大忙しだったのだ。
糸子が忙しく働く声や姿は、店の外まで漏れていた。
その様子を、勘助がこっそりと、そして嬉しそうに覗いていた。それを、使いから帰った四女・光子(杉岡詩織)が見つけた。
勘助の装いを見て、光子は彼が出征するのだと気づいた。糸子に会って行くよう誘う光子であったが、勘助は丁寧にそれを拒否した。そして、糸子を助けることを光子に託すのだった。
自分も本当は糸子に別れを告げたいのだが、その資格が無いのだと寂しそうに言った。自分が弱虫であることを恥じているのだ。そして、そんな自分も今回の出征でやっと終わりにすることができると言うのだった。
それは、死ぬことをほのめかした発言だった。
光子は泣きながら家に帰ってきたが、何も言おうとしなかった。その様子から悟った八重子が、勘助の出征のことを打ち明けた。
何も知らなかった糸子は、慌てて勘助の後を追った。しかし、糸子は勘助に追いつくことができなかった。
一月後、勘助は戦死した。
華美な服装の禁止、食料や物資の不足、子供たちの戦争へのあこがれ、だんじり祭の中止などと、手を変え品を変え、戦争の理不尽さと糸子の憤りを描いてきた本作ですが、本日ついに幼馴染・勘助の戦死ということでクライマックスを迎えました。
ぎこちない笑顔を残して旅立ち、次のシーンではもう死んでいるというベタな展開ではありましたし、制作陣の手のひらの上で転がされているのを悔しくも思うのですが、泣かずにはいられませんでした。
ここまで全話をじっくりと見てきた当方ですから、糸子と勘助の関係がよくわかっているので自分のことのように辛いです。過剰なシーンやセリフもなく、冷めた視点で旅立っていく勘助もじわっと来ます。最後に光子だけが会うという展開も、どこか突き放したような脚本でぐっときます(これまでとにかく陰の薄かった四女がいきなり美味しいシーンを持っていった)。
糸子が「勘助、勘助・・・」とつぶやくのと全く同じように、僕も勘助の名を呼びながら放送を見ていました(そして、目がウルウルしてかすみながら、視聴メモを書いていたという)。
今日はこれから某かわいこちゃんとデート(デート?デートなのか!?)だというのに、目と鼻が赤くなってしまったじゃないか。