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NHK『カーネーション』第74回

明日は年内最後の放送日だけれども、7:08のバスに乗って早稲田大学に行く予定(第15回実験社会科学カンファレンス)なので、まとめ記事の公開の遅れる当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第74回目の放送を見ましたよ。

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第13週「生きる」

1945年(昭和20年)3月14日朝。
岸和田で初めて空襲警報が発令されたが、結局何事もないまま警報が解除された。
糸子(尾野真千子)は家に帰るとすぐに善作の位牌と遺影をカバンにしまった。昨夜、避難の時に持ち出すのを忘れたので、今後はいつでも持っていけるようにしたのだ。
善作がそばにいれば安心だと思い込もうとしたが、やはり戦争に対する不安は拭えないままだった。

翌日の新聞では、大阪市内が焼夷弾で焼かれたことが伝えられた。それを受けて、町内会の防火訓練が週2回に増やされた。しかし糸子は、100機近いB29爆撃機が飛来するのに、人力とバケツの消火活動では何の役にも立たないと白けるばかりだった。

家族の身は自分で守らなければならないと思った糸子は、山奥の農家(上村厚文)の納屋を借り、千代(麻生祐未)とハル(正司照枝)、子供たち(花田優里音、心花)を疎開させることにした。市街地でなければ空襲の対象にならないと考えたからだ。その上、農家の手伝いをすれば食料も手に入れられるという打算もあった。真新しい下着を差し入れたり、りん(大谷澪)、幸子(高田真衣)、トメ(吉沢沙那)ら若い縫い子に畑仕事を手伝わせることで、大所帯の小原一家でも困らないだけの食料をなんとか確保することができた。

ただし、その食料を自転車で運搬するのは全て糸子の役割となった。いくら食料が手に入ったとは言っても、力仕事をするのに十分な量は到底食べることができない。それに毎夜の空襲警報で十分な睡眠もとれない。糸子は日に日に疲弊するばかりだった。

そんな生活が三月ほど過ぎ、6月に梅雨入りした。
疎開先の家は雨漏りやムカデの被害に苦しめられた。ハルは家に帰りたいと文句ばかり言っている。それでも、千代や子供たちは珍しい田舎暮らしを満喫しているように見えた。近くの川で蛍を見るのを楽しみにしている。

その頃、夜逃げした奈津(栗山千明)は、食うのに困ってイモを数個盗んで逃げるほど落ちぶれていた。追いかけられて逃げているところを、復員兵(櫻木誠?)にかくまってもらった。薄汚れてはいたが、月明かりの下でも奈津の美しさは際立っていた。その姿を見た男は、飯を食わせてやるといって奈津をどこかへ連れて行こうとした。深く物を考えられなくなっている奈津は、言われるがままに男について行くのだった。

7月になり梅雨は明けたが、今度は太陽に照らされ暑い日々が続いた。アメリカの爆撃機が毎日頭上を飛ぶようになり、警報がひっきりなしに鳴った。
この前までは楽しそうにしていた疎開先の家族たちは暑さで参ってしまった。

糸子の疲労も限界に達し、何も無い時は家の中で突っ伏しているばかりだった。空腹と睡眠不足の結果、物事を深く考えられないようになっていた。

そんな矢先、勝(駿河太郎)が戦死したという公報が届けられた。無表情に封筒を眺めるだけの糸子であった。

* * *


奈津が、奈津が。我らが栗山千明様のご尊顔に墨を塗られて、汚い格好にされてしましたよ!しかも、イモなんてケチなものを盗むなんて!!ああ、千明様よ。挙句に、黒メガネの怪しい男に連れられて行ってしまいましたよ!!!奈津ー、奈津ー。

奈津が落ちぶれているのと波長を合わせるように、糸子の疲労も限界に達しました。当初は自分が一家を守るという使命感に燃えていたのですが、体力の限界に達しました。
そんな矢先に勝の戦死が知らされ、呆然とするほかないといった状況。

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