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NHK『カーネーション』第76回

毎日朝ドラを見て関西弁を聞いているはずなのに、いざ関西に来てみると関西弁のディクテーション能力が低下していることを自覚してショックを受けながらホテル日航奈良に宿泊している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第76回目の放送を見ましたよ。

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第14週「明るい未来」

1945年(昭和20年)8月15日、戦争が終わった。

しかし、糸子(尾野真千子)はまったく実感が湧かなかった。
それどころか、10年近くの戦争の間に亡くなった大切な人々のことを思い出すと悲しくてならなかった。家で一人で涙を流した。

久しぶりに鏡で自分の顔をじっくり見た。自覚のないうちに、自分の顔はずいぶんと老け込んでいた。そんな自分を見ているうちに、もうこの先に楽しいことは何一つないのではないかと落ち込むのだった。

それから、どうしていつまでも自分の気が晴れないのかと考えた。その結果、モンペのような冴えない服を着ているからだと気づいた。そこで、周りが未だにモンペや国民服といった保守的な衣類を身につけている中、糸子は自分だけアッパッパを来て過ごした。
窮屈な服を脱ぎ捨てることで、やっと糸子は人心地がついた。そしてやっと、戦争が終わったと知るのだった。

ラジオからは軍歌に変わって、楽しげな歌声が流れるようになった。山中に疎開させていた家族も家に連れ戻した。久しぶりの明るい食卓に、みんなに満面の笑顔が戻った。

けれども、将来に対する人々の不安は拭えなかった。
オハラ洋裁店は軍からの仕事を受注していたが、それらは全面的に中止となった。材料の生地は払い下げで手に入れることができたが、何を作って誰に売ればいいのか、商売の目処が立たなかった。とりあえずは、細々と下着を縫うばかりだった。

さらに、アメリカ軍が日本にやってくるという噂も人々を不安にさせた。
特に女たちは、アメリカ兵達に乱暴されるのではないかと怯えるのだった。
糸子ですら、アッパッパのような薄着のままではアメリカ兵に目を付けられると怖気付いた。しかし糸子は、もう二度とモンペなど着たくないと思うのだった。モンペを着るくらいなら死ぬ方がマシだと思えば、何も怖くなくなった。周りが呆れるのも気にせず、糸子だけはアッパッパを着続けた。

ある日、糸子は木之元(甲本雅裕)に闇市を案内してもらった。闇市には、配給では手に入らない物まで、ほとんで何でも大量にあった。いずれも価格は高かったが、糸子は持ち前の話術で巧妙に値切り、満足のいく買い物ができた。久しぶりに活気のある市場の様子を見たり、珍しいものが手に入ったりで、糸子は気分爽快で家に帰ってきた。

一方で、だんじり祭に関しては、当局から開催を禁じられた。理由は、騒ぎによってアメリカ軍を刺激するべきではないというものであった。岸和田の地元民たちは反発したが、それに従うほかなかった。

9月14日、だんじり祭が行われるはずだった朝。人々はだんじり小屋に集まり、扉を開けてだんじりを拝んだ。
けれども、人々はだんじりを見ていると血が沸き立った。だんじりは岸和田の人間の命そのものだと言い出し、当局に無断でだんじりを急遽曳くことを決めた。集まった人々の手によって、ゆっくりとだんじりが小屋から姿を表した。

その巨大な姿を見上げ、糸子は呆然としつつ、内に何かを思うのだった。

* * *


終戦直後にあったであろう、人々の混乱した心境が描かれる回でした。

戦争が終わることそれ自体は嬉しいし、生活に自由が増えるという期待もある。
一方で、これまでの生活が様変わりすることへ不安や、米兵という庶民には姿の見えない存在に対する恐怖心もあるわけです。

この二面性を放送の後半では、闇市の自由さ(明るい希望)とだんじりの禁止(混乱と不安)という形で対比して見せていました。

けれども、庶民たちは暗い世相を吹き飛ばそうと立ち向かっていくわけです。
だんじりを勝手に動かすシーンで、世相への反抗と仲間の結束、自由の獲得、女性の社会進出(女である直子がだんじりを曳くことを容認する)といった、戦後の民主社会の縮図を見せていたように思います。

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