芥川賞にはあまり興味関心がなく、円城塔氏が受賞したと聞いてもピンと来なかったし、彼の著作をひとつも読んだことはなかったのだが、2008年に書かれた「ポスドクからポストポスドクへ」(日本物理学会誌)というエッセイを読んだところ、人を喰ったような文体と内容であるにもかかわらず、心を打たれ、胸が苦しくなってしまった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第89回目の放送を見ましたよ。
糸子(尾野真千子)は北村(ほっしゃん。)の婦人既製服工場を手伝うことになった。糸子の役割は、洋服のデザインを行い、現場監督に作り方を指導することである。
今日は、初めて工場に出向き、監督と顔合せをする予定だ。千代(麻生祐未)や昌子(玄覺悠子)と朝食を摂りながら、監督と馬が合えばいいのだがなどとおしゃべりをしてから出かけた。
工場は心斎橋のはずれにある。約束の時間のはずなのに糸子以外誰も来ていなかった。壁掛け時計もネジが巻かれず止まったままで、いい加減な職場のように思われた。
ただし、工場の真ん中に置かれたミシンだけは立派なものだった。糸子はそれを見て嬉しくなった。
工場の規律を引き締めようと、糸子は踏み台を探してきて時計のネジを巻いていた。その時、背後で扉の開く音が聞こえた。誰が来たのだろうかと振り返ると、そこに立っていたのは周防(綾野剛)だった。
周防のことを好きになりかけ、彼とは二度と会うまいと思っていた糸子である。2年間も彼を避けて暮らしてきたのに、突然の再会に糸子は気が動転してしまった。
すぐに北村も姿を現した。
ふたりが初対面だと思いこんでいる北村は、互いを紹介しようとした。しかし、すぐに糸子がそれを遮り、以前に仕事を手伝ってくれたことを逆に紹介した。どうやら、周防は糸子が来ることを知っていながら、北村には黙っていたようだ。
3人が打ち解けると、早速仕事の話になった。
北村は、以前に糸子が作った水玉のワンピースを量産して売りたいと述べた。しかし、その言葉に糸子は怒り出した。あのワンピースは2年前のデザインであり、今ではすっかり流行遅れなのだ。流行に鈍感な北村に腹を立てた糸子は、持参したスクラップブックを広げ、北村と周防に婦人服の歴史と流行についてレクチャーした。
糸子のあまりの剣幕に、北村は恐れをなした。全てを糸子と周防に任せることにして、ほうほうの体で逃げ出した。
北村の態度で頭に来ていた糸子であったが、周防とふたりっきりになると急に怒りを沈め、そわそわと落ち着かなくなってしまった。それでも、洋服のデザインについてふたりで検討を始めた。
最近はパリのデザイナーのディオールが流行の最先端で、世界中から注目を浴びている。周防も気に入り、それを取り入れたいと思った。しかし、糸子によれば幾つか問題があるという。ディオールのデザインを再現するためには豊かに膨らんだスカート部分などに大量の布が必要だが、今の日本ではそれだけの生地が手に入らない。仮に入手できたとしても、販売価格が高騰して事業が失敗するというのだ。
しかし、なんとか雰囲気だけを取り入れることで方針が決まった。早速、糸子がその場でデザイン画を描き始めた。
スケッチをする糸子のそばに、周防が顔を寄せてきた。彼は熱心に仕事に取り組んでいるだけらしいのだが、彼への恋心が芽生えている糸子は気が気ではなかった。
そうして1日目の仕事は終わった。
翌日、再び千代や昌子と朝食を共にし、工場での仕事を聞かれた。監督の人なりを聞かれても多くは語らず、勘の良い人物が来たと答えるだけだった。千代も昌子も周防と面識があるのだが、どういうわけか彼が監督であることを言い出せなかった。なぜかそのことを隠していたかったのだ。
けれども、隠しているのもどこかか具合がおかしい。おずおずと、さりげなく、周防のことを話した。すると、ふたりは懐かしさに大喜びした。
糸子は周防のことを隠そうとした自分の心を恥じた。平常心で仕事をするよう自分自身に言い聞かせ、工場へ出かけて行った。
今日は周防のほうが先に工場へ来ていた。周防の顔を見ると、家を出るときの気合もどこかへ抜けてしまった。気合を入れるため、自分で自分の頬を叩いたら赤くなった。顔の赤いことで、体調でも悪いのかと周防に心配されてしまった。それでますます恥ずかしくなった。
周防はできる男なので、仕事のパートナーとしてはやりやすかった。だがしかし、秘めた恋心が仕事の妨害をした。周防は仕事のやりにくい相手となった。
雑談をしながら、糸子は周防にこの仕事を引き受けた理由を聞いてみた。
周防はやはり紳士服テイラーの仕事を希望していたという。実際、紳士服の需要はうなぎ登りで、求人も多いという。しかし、客の殺到によってむしろテイラーらしい仕事ができなくなっているというのだ。大量の注文をさばくために、結局は工場で大量生産のような状態になっている。そのような仕事をするなら、北村の工場で働いても同じだというのだ。婦人服の勉強をすることは自分の強みにもなるだろうし、何より北村の支払う給料も良かったというのだ。
そして最後に、糸子が指導に来ると聞き、再会できると思ったことも大きな理由の一つだと付け足した。
その一言に糸子はフリーズした。
嬉し恥ずかし、恋する乙女(35歳、3児の母)。