面識はないけれど、いつもtwitterでカワユイ女優さんの情報交換などバカ話ばかりしている@ichipoohmtという人が、研究者の憧れであり狭き門である科研費基盤Sに採択されているということを知り(研究者をテレビ俳優にたとえれば大河ドラマの主役を務めるようなものであり、朝ドラでセリフのない通行人を演じているような当方とは格が違う)、もうこれからは彼が多部未華子のことを「多部美華子」と書き間違えても容赦のないツッコミは控え(ここではあくまで彼とのやり取りの代表例として多部未華子の件を取り上げただけであり、僕は多部未華子のことを特にカワユイ女優だと思っているわけではない)、謙虚に尊敬をもって遠慮がちに僭越ながらご意見申し上げさせていただくに留めようと思ったのだけれど、やっぱりやめた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第108回目の放送を見ましたよ。
1959年(昭和34年)。
東京の服飾専門学校を卒業した優子(新山千春)が岸和田に帰ってきた。主席で卒業するほど成績優秀だったため、学校に残って講師になるよう乞われた。しかし、優子は糸子(尾野真千子)に約束した通り、家を継ぐことにした。
優子には、梶村(内田滋)という恋人がいた。ふたりは結婚することを誓い合っていた。そこで優子は、早速梶村を呼び寄せ、家族に紹介した。身なりがよく、ハンサムで優しそうな梶村は、すぐに家族に気に入られた。
しかし、糸子だけはどうにも梶村のことが気に入らなかった。糸子から見ると、ナヨナヨして頼りなく見えたのだ。
梶村は東京にいるが、優子と結婚するために岸和田に住んでもよいと言っている。オハラ洋裁店を継ぐ優子のために、婿入りしてもよいとまで考えている。その代わり、糸子に大阪での仕事の世話をして欲しいと頼んだ。
その態度が糸子には気に入らなかったのだ。成人した男が、自分で苦労して職探ししようともせず、ハナから婚約者の親に仕事を世話してもらうつもりでいるなど言語道断だと切り捨てた。まずは自分で仕事を見つけてくるよう告げるのだった。
糸子もふたりの結婚を妨害する気はなかった。本人同士が好き合っているなら、自分が口を挟まずに結婚させてやろうと思った。しかし、ふたりが障害を乗り越えようとして、互いに絆を深め合う時間や試練が必要だと考えていたのだった。
もちろん優子は面白くなかった。本当は梶村に泊まっていってもらうつもりだったのに、気まずくなったので彼はホテルに宿泊することになった。これでまたしばらく、優子は梶村に会えないのだ。
優子は糸子に対する苛立ちを隠そうともしなかった。優子の気持ちもわかっていて、糸子はあえて厳しくあたった。店に出て、きちんと仕事をするよう命じた。
いくら東京の学校で成績が良かったといっても、岸和田の商店街の洋裁店では勝手が違った。そのことが優子に戸惑いを与えた。たとえば、自分の東京風の言葉遣いひとつとっても、岸和田弁しか知らない地元常連客に気味悪がられるのだ。
糸子には、優子が仕事の面でも躓きそうなのを見て取った。しかし、それも優子の勉強だと思い、介入はしなかった。
その頃、東京で一人で暮らすようになった直子(川崎亜沙美)はひどく体調を崩していた。1週間も熱が下がらず、布団から起き上がることができなくなった。
斎藤(郭智博)から連絡を受け、千代(麻生祐未)が看病のために上京した。そのおかげで、やっと直子は小康状態となった。
優子がいなくなり、直子は自分好みに部屋を改装していた。派手な飾り付けがされていて、千代は目がチカチカした。しかし、直子の揃えた品々を見ていると、千代は亡くなった母・貞子(十朱幸代)のことを思い出した。貞子は自分や糸子たちに珍しい品物を贈るのが好きだった。それらは派手なだけで使い道の分からない物だったが、千代たちは喜んだものだった。
貞子が生きていれば、直子にもいろいろ贈り物をくれただろうに、としみじみするのだった。
直子にとっては、曾祖母にあたる貞子よりも、千代の方が大事だった。
ふたりで布団を並べながら、直子は千代に長生きしてくれと頼むのだった。千代もそれを請け負った。ふたりは涙ぐみながら夜を過ごした。
昨日の放送から一気に時間が飛びました。今後はバタバタとこういうふうに進んでいくのでしょう。
小さい頃は甘やかされて育った優子ですが、糸子は成長した彼女に対してあえて厳しい態度で臨もうとしているわけですね。進学するときもわざと反対してみたり、今回の結婚のことについても。
おそらく、優子のことはこのあと一波乱ありそうです。それに対して、優子本人がどう対処するのか、糸子がどのように介入していくのか、見ものです。