杉本恭子『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』

著者の杉本恭子は1990年代に同志社大学で学生時代を過ごしたそうだ。事前知識がほとんど無いまま『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』を手にとり、前書き冒頭でその事実を知らされて肩透かしを食らった気分だった。
入学したことのない部外者が京大の文化について語るのかよ、と。

しかし、そこで投げ出さずに読み進めると、その絶妙な距離感の妙味がすぐに分かった。
外野の立場だからこそ、懐古趣味に陥ることなく、冷静で客観的に京大の文化を記述することに成功していると思われる。関係者(ただし、学生/卒業生側に偏っていて、教員/執行部側は少ない)や資料への丹念な取材が行われていて、独りよがりな思い出話に終始しないところが素晴らしい。

また、京大に閉じた文化論ではないところもよい。より大きな社会・文化全体に翻弄されたり、逆に牽引していく京大の姿が俯瞰的に描かれていて、僕たちが生きている世界について深く考える契機を与えてくれる。
たとえば、今日の京大文化の語り手の一人といえば森見登美彦(本書には彼へのインタビュー記事も掲載されている)と言えるわけだが、振り返ってみれば、彼の小説で描かれる”アホな京大”は社会とは隔絶された一つの別世界にしか見えない(まぁ、それが彼のファンタジー小説の持ち味だけれど)。一方、本書の”アホな京大”は、社会との接点がどのように維持され、また変化してきたのかということが丹念に説明されている。森見的京大しか知らなかった僕には目からウロコだった。

先に書いたとおり、著者は1990年代の同志社大学生だったこともあり、ここ20-30年ほどの経緯を主として書いている。著者は僕と同世代でもあり、彼女が京大の「自由」に対して抱く憧憬はよく分かるし、近年の「抑圧」への焦燥感にも共感できる。
本書の偉いところは、京大の内部だけを説明するのではなく、(主に文部科学省が主導する)大学改革についてもきちんと説明してくれている点。おかげで、京大もしくは大学(および学問一般)の取り巻く状況と照らし合わせて考える手がかりを提供してくれている。教養部解体とか、大学院重点化とか、独立法人化とか、ちょうど僕も学生だった頃に飛び交ったキーワードが具体的にどういう影響を与えてきたのかがよくわかる。
近年では京大のタテカンが禁止されたとか、石垣にカフェができたとか、学生寮にガサ入れがあったとかネット界隈でも面白おかしく取り上げられたりするけれど、それらが京大に留まらず社会全体とどういう関係にあるのかが有機的に理解できる仕組みになっている。

本書は、僕たちが「どういう社会に住みたいか、作っていきたいか」を考えさせられる名著だと思った。単に京大という大学組織に留まらず、もっと大きな視点から社会/文化を考える名著。

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