杉本恭子『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』

著者の杉本恭子は1990年代に同志社大学で学生時代を過ごしたそうだ。事前知識がほとんど無いまま『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』を手にとり、前書き冒頭でその事実を知らされて肩透かしを食らった気分だった。
入学したことのない部外者が京大の文化について語るのかよ、と。

しかし、そこで投げ出さずに読み進めると、その絶妙な距離感の妙味がすぐに分かった。
外野の立場だからこそ、懐古趣味に陥ることなく、冷静で客観的に京大の文化を記述することに成功していると思われる。関係者(ただし、学生/卒業生側に偏っていて、教員/執行部側は少ない)や資料への丹念な取材が行われていて、独りよがりな思い出話に終始しないところが素晴らしい。

また、京大に閉じた文化論ではないところもよい。より大きな社会・文化全体に翻弄されたり、逆に牽引していく京大の姿が俯瞰的に描かれていて、僕たちが生きている世界について深く考える契機を与えてくれる。
たとえば、今日の京大文化の語り手の一人といえば森見登美彦(本書には彼へのインタビュー記事も掲載されている)と言えるわけだが、振り返ってみれば、彼の小説で描かれる”アホな京大”は社会とは隔絶された一つの別世界にしか見えない(まぁ、それが彼のファンタジー小説の持ち味だけれど)。一方、本書の”アホな京大”は、社会との接点がどのように維持され、また変化してきたのかということが丹念に説明されている。森見的京大しか知らなかった僕には目からウロコだった。
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月曜日の雲仙普賢岳

去る12月10日(月)、知人数名と共に熊本県宇城市へ出かけてきた。その道中、その知人らと一斉にツイッターへ写真を載せた。被写体は雲仙普賢岳である。


こうやって並べてみると、なかなか愉快なものである。当日は天気が良くて、対岸の雲仙普賢岳がよく見えた。ちょっとしたドライブで気分も良かった。こうやって写真を並べてみると、その時の楽しい気分がまざまざと思い出される。
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チンパンジーの子どもの記憶は人間のおとなよりも優れている

HBES2008で京都大学霊長類研究所の松沢哲郎先生の講演を聞いた。

チンパンジー・アユムの記憶実験のビデオが面白かった。

画面上のランダムな位置に1桁の数字が複数表示される。しばらくたつと、数字がマスクされて隠される。隠された状態で、もとの数字の小さい順に指でタッチするという実験。
NintendoDSの脳トレにありそうな課題。

アユムは割りとスラスラ解くのだけれど、僕は見ていても、よー記憶できなかった。
彼は、数字が200ミリ秒しか提示されなくても、わりと簡単に解いてる。僕には絶対無理。
アユムが9個の数字でやってる映像

で、笑うのが、同じ課題を人間がやってる映像
数字が5個しかないのに、ぜんぜんできてない。

チンパンジーだから得意というわけでもないようで、アユムのお母さんのアイがやると、やっぱり上手くいかないそうだ。
そこから類推されることは、チンパンジーか人間かの違いではなく、大人か子供かの違いらしい。
人間でも、子供にやらせるとわりと成績が良い・・・と言ってたように思う。

面白いねぇ。

溢れる才能の無駄遣い

投稿者: ひろりさん

ただいま京大横を通過中。学園祭の統一テーマ「溢れる才能の無駄遣い」

第48回京都大学11月祭 公式サイト

京都大学といえば、ラヴい院生の女の子がいたり、可愛い院生の女の子がいたり、才色兼備な院生の女の子がいたり、あとついでに僕の兄弟子にあたる人が教鞭をとっていたり、もひとつオマケに折田先生像がイタズラされちゃった姿を一度見てみたかったなぁ、というくらいの縁しかなくて、訪問したのも5回くらいしかない間柄なのですが。

そんな当方に、なぜ学園祭情報をメールで送ってくる?

きっと、「才能の無駄遣い」というフレーズを僕に投げつけたかったのだろうと解釈。
ごめんよ、ごめんなさいね。
日々、下世話なblogを書いて「才能の無駄遣い」を垂れ流しで。

つーか、自分に才能があると勘違いしている時点で、おこがましい当方であるが。

しかし、いい機会なので、自分にどんな才能があるのか考えてみることにした。

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