成人式の時期になると思い出すこと2021

当ブログで『毎年成人式の時期になると思い出すこと』という記事を書いたのは2014年1月である。
そこでは、2001年1月に山岸俊男氏が産経新聞に寄稿したエッセイを紹介した。彼のエッセイからちょうど20年になるわけだ。その頃に生まれた人々が今年の成人式の対象になるのだなあ。

山岸氏のエッセイのタイトルは『独立心を育まない社会 米国から見た「成人式」』であり、骨子は「オトナたちが準備した式典に新成人たちをおとなしく参加させるのが当然とされている。表向きは成人だと持て囃しながら、実際には彼らを半人前扱いしていることにほかならない。このままでは熾烈な国際競争の中で日本が凋落していくのではないか」ということだ。

今日エッセイを読み返してみて、確かに今の日本は、国際社会の中での地位が低下の一途だなぁと思ったわけで。その原因を成人式のあり方(若年層を半人前扱いすること)だけに求めるのは誤りに違いないとは思うけれど、あながち的外れでもないような気もする。
このエッセイからの20年で、日本の選挙権年齢が18歳に引き下がられたという変化はあったけれど、それで若年層の意識はどう変化したんでしょうね、社会はいい方向に向かうようになったんでしょうかね。

さっき、NHKで「全国の成人式の模様」というニュースを見たのだけれど。
折からのCOVID-19の感染拡大に伴って、今年は大きくやり方を変えた自治体が多いそうで。特に僕の目についたのは、ドライブスルー方式で記念品だけ受け取る方式や、広大な敷地に車で乗り付けて社内から式典に参加するというもの(それぞれどこの自治体だったかは忘れた)。そうすることで人々の密集を避けることができるのだという。悪くない。
悪くないんだけれど、先の山岸氏のエッセイに照らすと、そのアイディアがオトナから出てきたのか、新成人から出てきたものなのかは解説されなかった。まぁ、たぶん「オトナから」だと思うんだけれど。

そしてそのニュースを見ていて一番驚いたのは、映像に写っている多くの新成人が親と一緒に参加しているらしかったこと。20歳では免許や自分用の車を所持しているとは限らないので、家族に連れてきてもらうことは仕方ないことだとは思う。わかる。わかるし、家族の仲が良いことは羨ましんだけれど、親同伴の成人ってのもいかがなもんかねぇと思わないでもない。まだ半人前かよ、と。親が子離れできないのか、その逆なのかはわからないけれど。

僕は小学生の頃から親に授業参観にすら来てほしくなかったタイプだし、実家にはほとんど寄り付かないし、電話かかってきてもすげぇ塩対応だし、幼馴染からは「永遠の反抗期」と呼ばれるほどであるし、自分に子もないので、今日の親子関係のことはよくわかりませんが。
よくわからないけれど、情けねぇなぁと。

「情けねぇなぁ」まで言ってしまったけれど、そこでなんとか踏みとどまった。
そこから先の「なら、俺が鍛え直してやる」に行ったらダメだ。それは新成人を半人前扱いしているオトナと一緒じゃん、成人式を自分の好きなようにお膳立てするオトナと一緒じゃん。

新成人をどうこう言う前に、オトナとしての自分の身の振り方をきちんとしようと思った次第でございます。

毎年成人式の時期になると思い出すこと

2001年に読んだ新聞記事。

山岸俊男 独立心を育まない社会 米国から見た「成人式」(産経新聞 2001年1月29日 夕刊 3面)

(前略)

騒ぎはさておき、正直言って驚いたのは、いまだに、新成人を一堂に集め「えらいさん」が祝辞を述べるというかたちでの成人式が続いていて、それに多くの新成人が参加しているという事実である。

(中略)

 私自身は大学の卒業式も拒否していた世代だから、もちろん成人式になど出たことはない。出たいと思ったこともない。成人式などに平気で出席し、「えらいさん」の教訓をおとなしく我慢して聴くことのできる「大人」がいるなど、私には想像もできない。例えば不惑(まどわず)の日なる祝日を作って、新しく四十歳になった新不惑人を対象に、不惑式(まどわずしき)なるものを自治体が実施したとしよう。その式典には「えらいさん」が出席してありがたい教訓を述べる。「あなたたちはもう不惑の年になったのだから、これからは不倫などに心を惑わされることなく、社会の役に立つ不惑人になりましょう」、などと。

 そんな式典に参加し、「えらいさん」の祝辞をありがたく拝聴したいと思う新不惑人がどれほどいるだろう。少なくとも私にはそのような場は我慢できないだろう。それは多くの読者も同じではないだろうか。それなのに、なぜ新成人は同じような式に出席し、ありがたいお言葉をおとなしく聴くのが当然だと思えるのだろう。それが当然だと思う人は、多分、二十歳の成人を一人前の大人として認めていないからなのだろう。

 新成人を半人前扱いにすることに何の疑問も抱かないこのような社会の態度は、多分若者たちの独立心の欠如と合い呼応しているのだろう。

(中略)

 いわゆる「パラサイト・シングルズ」を生み出しているのは、実は一人前の大人であるはずの新成人を半人前扱いする、このような成人式のありかたに何の疑問も感じない社会なのだということを、われわれはそろそろ理解してもいいのではないだろうか。

(後略)

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