喜田村純 95歳展

苫小牧在住で、数え年95歳の画家・喜田村純が個展を開いているらしい。

喜田村さん、苫小牧で最後の「95歳展」 札幌転居を前に 11日から(2008/4/11 14:15)

「純さん」の名で慕われている苫小牧の長老画家、喜田村純さん(94)が近く札幌に居を移すことになり、絵画仲間が企画した苫小牧で最後の個展「九十五歳展」が十一日から、アイビー・プラザ(本町一)で開かれる。
喜田村さんは一九一四年(大正三年)東京生まれで、数え年で九十五歳。五十歳を過ぎてから札幌出身の画家、故菊地又男さんの影響で絵画を始め、六六年からは苫小牧で喫茶店を経営しながら制作に打ち込んできた。
喜田村さんが札幌の子どもたちの元に身を寄せることになったため、絵画仲間が実行委員会をつくり開催。樽前山や上川管内美瑛町の風景を描いた油彩画や新聞の切り抜きを効果的に用いたコラージュなど、三十年間の作品約八十点が並ぶ。
このうち、世界平和の願いを込め、世界の民族を表す無数の縄が一つに集まってゆくコラージュ「連帯」は、八八年のニューヨークのジャパンアートフェスティバル展に入選した代表作の一つ。喜田村さんは「実績もお金もなかった当時、多くの仲間の励ましで創作に打ち込めた」とこの作品を見つめ、「出会いをくれた苫小牧を去るのは寂しいね」と語った。
現在も毎日二時間程度絵筆を動かす喜田村さん。「上手、下手はどちらでもいい。自分の内面をさらけ出すような絵を描き続けるさ」となお衰えない情熱をのぞかせた。
入場無料。十三日まで。(佐野智子)

いやはや、お達者です。


ていうか、喜田村純さんは、ちょっとしたダチなんだけど。
20年以上前、彼とはよく将棋を指した。
つーか、小学校の同級生のオヤジさんだったんだけれど、もしかしたら同級生の方よりも、オヤジさんと仲良くなったといっても過言ではないかも。

ただし、喜田村さんの95歳という年齢から考えると、僕の同級生のお父さんというよりも、祖父という年齢の方が適してるっぽいけれど、実の父子なんだから仕方がない。
その年齢もあるし、画家というちょっとヤクザな商売だし、(当時にしては珍しい)ロン毛でファンキーなおっさんだったし、「毎度おさわがせします」とかのお色気ドラマを僕らそっちのけで鼻の下を伸ばしながらマジマジと眺めていたし。
つーか、喜田村さんのアトリエ(友達の家の2階にあった)にこっそり忍び込むと、女性のヌードデッサンはもちろん、ヌード写真とかがバンバン置いてあって、思春期に入り始めた僕たちには興奮の楽園だったんだけれど。

ただ、彼は抽象画とかコラージュ作品をメインに作っている人で、小学生の美的センスからは「このおっさん、モウロクしていてマトモな作品は作れないんじゃ・・・」なんて思ってた。
ガンダムとかマクロスを喜んでみていたお子ちゃまに、クレーやカンディンスキーを理解しろって方が無理なわけで。

ある日、学校の宿題で「運動会のポスターを作れ」というものがあった。
かの同級生と2人でウンウンうなっていると、インチキおじさん喜田村純さん登場。
そばにあった、両手を上に高く掲げているウルトラマン・レオの塩ビ人形をつかむや否や
これをそこに貼り付けなさい。”運動会、バンザ~イ!” だ
と迫ってくる。
今ならそのセンスに脱帽して、なんなら頭を丸めてもいいくらいだけれど、陰毛もマトモに生えそろっていない子供には前衛的すぎた。

20歳をすぎて、世の中にはいろいろな考え方とか、ものの見方があるのだと少しずつ分かってくると、なんとなく喜田村さんの抽象画の価値も分かったようなつもりになってきた。

ちょうどその頃、例の同級生は結婚して、奥さんが妊娠した。
そのことに関して、同級生本人ではなく、喜田村さんに会いに行ってお祝いを申し上げた。
すると、彼は目を細めながら
今、ちょうど1000枚目の作品を作りかけているところ。これができたら、生まれてくる孫に渡すんだ
と話してくれた。
#陳腐な映画だと、これは死亡フラグで、作品は未完になるとこだな。

そこは、軽口で人生の70%は過ごしている当方なので、
「1000枚目は仕方ないから、孫に譲る。その代わり、1001枚目は俺にくれ」
と言い放った。

その1001枚目は、ちゃんと僕の家に飾られている。

喜田村純の作品 No.1001

たいへんありがたい。

なお、「95歳展」に出かけて、喜田村さんと話をしたという男性によれば、

“まっちゃん元気かい”とあんたのことも、気に掛けてくださいましたよ。まだ一人身だとの話題になったとき、”じゃあ、まっちゃんが結婚するときには、僕の絵1枚あげるよ、絵はやくもらってよ”と、言っていました。

とのこと。

いやはや。
喜田村さんもずいぶんなお年ですし、ポックリ行く前に、こちらも何とかして貰えるもんは貰っておかないとね。

本当に昔から、スケベで、変なセンスで、ファンキーで、そのくせアホみたいに元気なオッサンだった。
最近どうしているかちょっぴり心配だったんだけれど、元気そうでなにより。

喜田村さんは僕のロール・モデルの一人だし、彼の生き様に近づけるように努力したいね。

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