小さなたからもの

小さなたからもの
(http://stylog.jp/maskin/2005-06-02-1)

事情はよくわからないが,奥さんが長い間闘病生活を送り,子供もいるのに夫婦そろって仕事もやめちゃったらしく,不安でいっぱいらしい.
そんな時,奥さんから ipod をプレゼントしてもらったという話.

「決して高額ではないけれど」
という譲歩節にいたく心を打たれた.
その時の気持ちをうまく言語化できないけれど.


長く生きてりゃ,それなりに,いろんな人からいろんなモノをプレゼントしてもらった経験があるわけで.

バレンタインのチョコとか雑貨屋の小さなランプとか,旅先で見つけたかわいらしいお砂糖のセットとか,入浴剤,ネクタイ,ライター,ミッキーマウスのパンツ,手編みの手袋,本,ハンカチ,自家製のシフォンケーキ,ちょっと洗濯するとすぐに毛玉だらけになったネルシャツ,セーラームーンのシール,統計学の教科書,電気基板を表紙に流用したノート,などなど.

なお,ここに挙げたものは,全て異なる女性からもらった品々なので,それなりに俺も悪くない人生を送ってきたじゃん,と思ってみたり.

それはさておき,もちろん中には今でも大切に使っているものもあるし,もらった瞬間「おいおい,そりゃねーだろ」と心の中でつぶやいてしまったものもあるし,不注意で失くしたり使い物にならなくなったりしたものもあるし,いろいろと気マズイ事情があって廃棄したものもあったり.

プレゼントを頂いた事情も,そのプレゼントの末路も色々だし,もらった相手も様々だけれど,どんな些細なプレゼントでも頂いたときはすごく嬉しくて,心の底からお礼は言うわけで.
(ただし,当方,割とクールなフリをしていたり,照れくさかったり,無表情な性などがあって,その気持ちが伝わらないことがよくあるのだけれど)

ただし,いつも思うことだし,当たり前のことだし,いまさら言うほどのことでもないけれど,プレゼントって「金額」じゃないよね.

じゃあ,「気持ち」の問題なのか?

たしかにそうだけれど,「気持ち」って何よ?
「心理学者のクセに」なのか「心理学者だから」なのかはよくわからんが,そんな漠然としたモノを対象に議論してもしゃーない.

そこで,プレゼントのキモは
「時間の問題」
と主張してみる.

あるプレゼントを僕にくれる時に,相手がそのことに対して消費してくれた時間に応じて,僕の嬉しさは変わってくるんだと思う.

消費した時間というのは,手編みの手袋やケーキを作る時間かもしれないし,お店の中で赤いシャツと黒いシャツのどっちが僕に似合うだろうかと考えてくれる時間かもしれないし,僕へ渡すつもりの内田春菊の小説を家の本棚をひっくり返して探す時間かもしれないし,ちょっと値の張るプレゼントを購入するために時給730円でアルバイトする時間かもしれないし,満員電車でギュウギュウになりながらもプレゼントの包装が崩れないように身を硬くして耐えてる時間かもしれないし,メッセージカードに記す気の利いた言葉を考える時間かもしれないし,僕が喜ぶかどうか想像して不安になる時間かもしれないし.

プレゼントそのものよりも,その背後にある「僕のために使ってくれた時間」というものに,すごく感謝するし,ありがたく思うし,涙が出るほど嬉しいのだと思う.

「時間」があれば,お金だって稼げるし,美味いもんを食えるし,昼寝もできるし,マンガも読めるし,素敵な異性とお近づきになれるかもしれない.
そういう可能性を捨てて,僕のために何かしてくれたっていうのが,すごく嬉しいじゃん.

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コメント (4)

  1. いい話だ~。
    「時間の問題」って、すごく
    納得しました。
    自分が贈る側だったら
    受け取る側の方がそんな風に
    考えてくれると嬉しいだろうと
    思います。

  2. この話,6月くらいに下書きファイルを作ってありました.3ヶ月寝かしていたわけです.

    なんか気恥ずかしいのでお蔵入りしてたんですが,先日ふと思い出して知り合いに話してみたところウケがよかったので,思い切って出してみた次第.
    出しつつも,どんな反応がくるかドキドキだったのですが,(少なくともコメントを寄せてくれた人たちからは)悪くない反響をいただいたので,ほっと胸をなでおろしています.

    どうもありがとうございます.

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