「柳の木」萩尾望都 (『山へ行く』収録作品)

先日、何気なくテレビをつけていたら、NHKのマンガノゲンバという番組にあたった。

ちょうど、萩尾望都の新刊「山へ行く」が紹介されており、そこに収録されている「柳の木」という実験的作品が全ページ紹介されていた。
川原に生えた柳の木とそこにたたずむ女性を静止画で切り取り、見開き2ページに4コマで配置しただけの作品。
ほとんどのコマが同じ構図なので、はじめはなんのこっちゃと、ぼんやりテレビの画面を眺めていた。

萩尾望都 「柳の木」のコマ割

しかし、ほどなく、同じ構図でありながら、きちんと時間が流れていることが分かってきた。
柳の木が芽吹いたり、全て散ってしまったり。
最初は単なる土手で子どもたちがのんびり歩いていたのに、車が行きかうようになり、ついには川原がコンクリートで固められてしまったり。

で、だんだんと何かがおかしいことに気づいてくる。
川原の風景は刻一刻と変化しているのに、柳の木の下にたたずむ女性はいつも日傘を差して夏物のワンピースを着ている。
そして、彼女に気づくことなく土手の上を歩いていく少年をそっと見守っている。
ケンカであざを作った顔を見てははっと心配し、見知らぬ女の子と仲良く歩いている姿を目撃しては複雑な表情を見せたり。

タイトルがあれだし、勘のいい人なら何がモチーフになっているかすぐに分かるところだろうけれども、そういう点に鈍い僕は最後の最後まで何の物語なのか分からず、悶々としながらもドキドキと行く末を見守っていた。

台詞がほとんどない。
19ページ、全38コマのうち、台詞が書き込まれているのは最後の方の6コマだけ。文字数にして正味78文字。
本blogの1行がおよそ30文字くらいなので、本blogに換算すれば2行半ほどの台詞総量。

しかし、溜めがある分だけ、台詞が重い。
たったそれだけの台詞量なのに、19ページ(トビラを入れれば20ページ)の内容を包括し、さらに読者のイメージを膨らませ、さわやかな読後感とともに、泣かせる。
テレビを見ながら、ホロリときた。

さらには、もう一度はじめのページに戻って内容を再確認したい気になってくる。
しかし、録画もしていなかったし、テレビではそれはかなわない。
そこで、「山へ行く」を買ってきて、今しがた読んだ。
内容を全部知っていても、やっぱり泣いた。

そして、泣いた後、もう一回冷静な目でコマ割を追ってみた。
番組の中でも指摘されていたことだが、1ページの上下に2コマ配置されているだけではなく、各コマに描かれている土手も空間的に上下に分割されている。
その土手を降りるか、降りないか、それがとても重要な意味を持っていると再確認。


実は、萩尾望都を読むのは初めてだけれど、良い作家ですね。


なお、この回の「マンガノゲンバ」の内容に関しては、番組サイトに載っていないが、今週の主な番組 (10/16)にあらましが掲載されている(萩尾望都の部分だけ引用)。

読み手ノゲンバは、「ポーの一族」「11人いる!」などマンガ史に残る名作を次々と生み出し、近年も「バルバラ異界」が2007年の日本SF大賞を受賞するなど、活発な活動を続けている少女マンガの巨匠・萩尾望都の最新短編集「山へ行く」を取り上げる。読み手は学習院大学教授の中条省平さん。「読者が長編を歓迎し、短編が作家的にも描きにくい現代、『山へ行く』はベテラン漫画家の意地と技術が結晶したようなシリーズ」と語る中条さん。副題に「ここではないどこか」と記されている通り、「ポーの一族」や「バルバラ異界」など、萩尾さんが長年追求し続けていたテーマ「パラレルワールド」をさまざまなスタイルで見事に短編作品として結実させていると指摘する。中条さんはさらに、最後に収められている「柳の木」という短編に注目。実験的なマンガ表現に込められた深さを解析してゆく。

コメント (4)

  1. あらーっ。変わったドアからモー様の世界に入ってらしたのね。
    その他の作品もそれぞれすばらしいので、ぜひとも読むこと。はずれなし。私はしいて順位つけるなら「トーマの心臓」かなあ。

  2. 萩尾歴の短い僕は、「モー様」と「モー娘」を空目してしまいました。
    さらに、「変わったドア」と言われると、どうしても南野陽子の「楽園のDoor」を思い出してしまいます。

    「トーマの心臓」は名前だけ知っています。彼女の代表作ですよね。
    冒頭のように空目したり、ナンノを連想をしたりする上、うちの辞書は「トーマの晋三」と変換してくれちゃたりしますが、こんな僕でも「トーマの心臓」を読んで良いでしょうか。

  3. よござんすよ。
    ちなみに、私の持っていた「トーマの心臓」愛蔵版ではコメントを書いていたのは斉藤由貴です。

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