3時間弱もある映画にもかかわらず、途中どうしても用を足したくなって一時停止してトイレに行ったこと以外、一時も目を離さずにきゅーっと全神経を集中させて見た。
近年の映画に比べれば、とってもシンプルで短いエンディングロールが、例の有名なテーマ曲とともに終わったとき、ふーっと大きなため息が出た。
全身の緊張が一気に弛緩した。
どうやら強くこぶしを握りすぎたらしく、手のひらを開けて見ると点々と爪の痕がついていた。
この映画を見るきっかけは、当blogのこの記事に因る。
原田宗典の映画エッセイ『私は好奇心の強いゴッドファーザー』を読んで、映画「ゴッドファーザー」に興味が惹かれたからである。
そのときの記事では、「ゴッドファーザーは、シミジミとした感情が沸き起こるらしい」てなことを書いていたが、実際に見てみたところでは、そんな気持ちのいいもんじゃなかった。
僕が見ていて感じたことは、メンツや権力欲に駆られて生きることのバカバカしさだ。
長い映画だし、たくさんの登場人物(とその思惑)が錯綜するので、見る人やその時の気分で大きく印象が変わる映画なんだろうと思った。
原田宗典が「シミジミした」というのも正しい側面なんだろうし、僕のように「バカバカしい」というのも別の視点からは正しいのだろう、きっと。
映画から受ける印象といえば、主演のマーロン・ブランドとアル・パチーノが甲乙つけがたくいい仕事をしていた。
主演はマーロン・ブランドで、確かにすごい存在感で、彼が出てくるだけで画面に緊張感が醸し出されるのはすげぇと思った。
しかし、冒頭で最大の貫禄を見せた後、ストーリー上は人生の坂道を下っていき、どんどん老けて小さいおじいちゃんになっていくのは見ていて寂しかった。
逆に言えば、ひとりの役者の演技だけで時間の流れが浮き彫りにされるのは、本気ですげぇと思った。
もうひとりのアル・パチーノに関しては、はじめ出てきたときは単なる端役(ていうか、かのアル・パチーノだとは気づかなかった)かと思ったのだが、マーロン・ブランドとは天秤の両端のように、徐々にマーロン・ブランドの姿が衰えていくにつれ、アル・パチーノが力をつけて生き生きとしてくるのが気持ちのいいコントラストだと思った。
名作といわれる理由がよく分かった。
コントラストといえば、陽気なシーンと陰湿なシーンの対比にも感服した。
結婚パーティの裏で巡らされる陰謀、赤ん坊の洗礼式と同時進行の殺戮劇などなど。
冒頭からこのパターンが見え隠れして、映画が進むにつれて「む、この明るい展開の裏では暴力が描かれるのだな」と読めまくりなんだけれど、読めちゃうからこそ絵面どおりにハッピーな気持ちになれず、その後の不幸を想像するに、きゅーっとこぶしを握って緊張してしまう。
それで、手のひらにたくさんの爪痕ができてしまうわけだ。
映画が終わったときに、でけぇため息も出るわけだ。
これまでの人生、この映画を知らずに過ごしてきたことは、大きな損失だったかもと思ったり、思わなかったり。
今見終わって、その分の損失はきちんとリカバーできたけど。
Youtubeで予告編