ダーウィン展に行ってきたでぇ~: 大阪市立自然史博物館 9/21まで

大阪市立自然史博物館(長居公園内)で 2008年7月18日(土)から9月21日(日)まで行われている、「ダーウィン展」の見学に行ってきた。
#東京は、6月22日で終了した。

「ダーウィン展に行ってきたでぇ~」の顔出し

展示について

あらためて言うまでもないですが、ここでいう「ダーウィン」とは、『種の起源』などの著作で知られ、生物の進化を提唱したチャールズ・ダーウィンのことです。

展示内容としては、彼の足跡をたどることがメインでした。少年時代は昆虫最終が趣味だったことや、ビーグル号で世界一周の旅に出たことが時系列に沿って紹介されており、そのときに使った道具やメモ(多くは複製品)が展示されていました。
彼の生涯のなかでもっとも有名な話は、南米のガラパゴス諸島に立ち寄ったときのことです。そこでの生物観察から、進化論の着想を得たと言われています。それを追体験できるように、ガラパゴスのジオラマや生物模型が中央に据えられており、それが一番派手でした。ただし、隣の大スクリーンで上映されているビデオ映像の方が、実際の行動などがよくわかって、ためになりました。

展示のテーマとしては、「ダーウィン」という人物そのものなので、進化論について詳しく知りたいとか、生物について知識をたくさん得たいなどという目的にはあまりそぐわない感じがしました。
一方で、ダーウィンは、科学界のスーパースターの一人ですから、彼自身の生涯や人間味を知りたい方には満足できるないようだと思います(彼の研究室の模型とかもあった)。

長谷川眞理子さんの講演会

今日出かけたのは、総合研究大学院大学教授・長谷川眞理子さんの特別講演会があったからです。

タイトルは「ダーウィン以前とダーウィン以後:生物学はどのように変容したか」(実際のトークではちょっと違ったけれどメモしなかった)というもので、過去の学者たちが生物をどのように認識していたかという話。
僕が理解した、彼女の大きなメッセージは2つ。

種内の変異

ひとつは、ひとつの種の中には多くの変異があるという話。
種と種が違うというのは、誰でもわかってる。例えば、ネコとネズミはぜんぜん違う種だし、人とチンパンジーは同じ霊長類だけれど、違う種だとわかるくらい大きな違いがある。
それに比べれば程度は小さいけれど、ひとつの種の中にも個性がある。同じネコの仲間の中にだって、トラ柄もいれば三毛猫もいる。人間だって、ひとりひとり顔や姿かたちがぜんぜん違う。怒りっぽい人もいれば、のんびりしている人もいる。
そういった「種の中の変異」は、言われればまったく当たり前なのだけれど、僕らは普段あまり気にしないし、過去の学者たちもあまり気にしてこなかったと話が進む。

その中で、ダーウィンが種の中の変異に光を当てて、それが進化論の柱のひとつになってるんですよ、というのが話のメインテーマだった。それぞれの個体に違いがあるからこそ、生き残りやすかったり、子孫を残しやすい個体が出てくる。そしてそのような個性を持った個体が増えることが進化の本質なのだと。

学問のスピードと社会のスピード

もうひとつは、「ここ100年の間に生物学は、政治・道徳をはるかに上回るスピードで発展してしまった」という話。
メンデルが発見した遺伝の法則によって、ダーウィンの学説の妥当性が検証されたと考えられる。それが1900年頃。それから100年の間に、生物学にはいったいどれだけの新発見があったろうか。DNAの発見は50年くらい前にできたし、それからさらに50年でヒトゲノムの解明が終わってしまったと指摘。
そのような生物学の発展に対して、法律や社会制度は100年以上前の体系のままであり、様々な矛盾を引き起こしているのだろうと警鐘を鳴らしていた。

警鐘を鳴らすだけで、具体例が挙がってなかったので、正直僕には何が問題となっているのか(もしくはなりうるのか)がいまひとつピンとこなかったのだが、とりあえず想像はつく。
例えば、日本の法律には「戸籍」っつーのがある。親子関係を特定する仕組みなのだが、現状は「女性が妊娠したときに、夫であった人物」を、子供の父親とすることに定めている。今なら、遺伝子を調べりゃ、本当の父親が誰か高確率で推定できるのだが、法律ではそれを主要因にはしていない。あくまで、100年前にも利用できた「契約(婚姻関係)」を使い続けているわけで。
近年、それでいろいろ問題も起きてるみたいだし(三重・亀山の無戸籍児:総務省の通知受け、1歳に住民票)、社会制度のあり方をよくよく考える時期に来ているんだろうな、と。

クジャクの尾羽の話

質疑応答では、講演の内容をはずれて、クジャクのオスの尾羽の話になった。

クジャクのオスの羽は、とても大きくて美しい。この羽については、生物学の有名な議論のひとつになっている。クジャクは尾羽が大きいからといって、よりたくさんのエサが取れるわけでもないし、闘争の武器になったりするわけでもない。一見無駄であるどころか、木に引っかかりやすいなど移動の邪魔になって、敵に襲われやすい。自然淘汰の観点から考えると、大きな尾羽を持つクジャクは淘汰されていなくなってしまうと考えられる。しかし、存在しているのはなぜか?

これまで有力だった説は、「メスは、大きな尾羽を好む」という話。メスにもてるから、尾羽の大きなオスはたくさん繁殖できて、その結果、大きな尾羽の遺伝子が後世に残されるという考え方。ここから「性淘汰」(自然淘汰が生き残りやすいかどうかにかんする問題で、性淘汰は子孫を残しやすいかどうかにかんする問題)という考え方も導かれるから、生物学としてはかなり重要な例題。(なお、「あんな羽のどこがいいんだ?クジャクのメスもバカだなぁ」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、クジャクに言わせれば「デカイおっぱいのどこがいいんだ?人間のオスはバカだなぁ」だの言われかねない。何をセックスシンボルにするかは、種によってそれぞれなんだから仕方ない。)

実際に、羽が大きかったり、羽の目玉模様が多いオスほど、たくさんのメスと交尾することができたなんていうデータもある。

ところが、長谷川先生たちの研究チームが明らかにしたところでは、羽の大きさはあまり重要ではなかったとのこと。目玉の数が140個以下のオスは、「未成熟なオス」だと思われてメスに相手にされないそうだが、それより多ければほとんど区別されないらしい。

じゃあ、何がメスをひきつけるのかというと、実は鳴き声だったらしい。求愛のときにたくさん鳴くオス(5回以上?)ほど、たくさんのメスと交尾していたらしい。良く鳴くためには男性ホルモン(テストステロン)が必要となる。つまり、良く鳴いているオスは男性ホルモンも多く、男らしいという証拠になってるそうだ。(近年の日本人女性は、中性的な男性を好む傾向にあるようだけれど、生物一般で見ればメスは”男らしいオス”を選ぶのさ)

クジャクの尾羽については、そのほか細かいことも話してくれた。
まず、オスの尾羽は全体で30gくらいしかないらしい。オスの体重が4kg強くらいだから、全体重の1%にも満たず、ほとんど不利益にはならないそうだ。60kgの僕でたとえれば、500g未満だ。クジャクのオス尾羽は、男性のスーツ姿よりも身軽なのかもしれない。つまり「クジャクは自然淘汰に矛盾する例」という指摘がそもそも誤りなのではないかという話になってくる。

さらに面白いのは、クジャクはそもそも、オスもメスも尾羽が長くなるものだそうだ。ところが、エストロゲン(女性ホルモン)が尾羽の生育を阻害しているらしい。だから、エストロゲンを持つメスは尾羽が伸びず、それを持たないオスは尾羽が伸び放題になるそうだ。その証拠として、メスから子宮を摘出してエストロゲンが分泌しないようにすると、尾羽が伸びてくるらしい。おもろい。

そんなわけで、長谷川先生の講演(のうち、特に質疑応答のあたり)はすげぇ面白かった。
もう彼女の講演はないので、これから行く人は聞けないけどね。

ダーウィン展

コメント (2)

  1. sterai

     前から思ってたんだけど、こういう写真って誰に撮ってもらってるんですか?

  2. 木公

    面白そうなものをじーっと見ていると、「写真撮ったろか~?」と言ってくる人がそばにいるんです、大抵。

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