奈良市の平城宮跡の北側で、右の写真のような巨大な建造物を見たことがある人もいるだろう。
掲げられた看板には「大極殿正殿復元整備」と書かれている。これは、平城遷都1300年記念事業のひとつとして、平城宮に存在していた建造物の復元工事を文化庁が行っているものである。
2005年頃から工事が始まり、2010年に完成予定。工事の進捗状況は、随時公開されてきて、今回が7回目にして最終回。次に見ることができるのは完成時。
今回の特別公開は、2008年9月21日から23日まで(9:30 – 16:00)。文化庁による案内も出ている。
今日、たまたま近くを通りがかったので、見てきた。
この工事がどれだけ大規模なものかは、冒頭の写真で自動車との対比を見ていただければおわかりいただけるかと。
ダメ押しで、google maps の衛星写真も貼り付けておく。写真の上に向けて伸びている影を見て、その大きさを想像して欲しい。
もちろん、今ある建造物は工事用の外装で、本体の大極殿はその内側で雨などに濡れないようにして建築が進んでいる。
肝心の第一次大極殿正殿がどのようなものかということは、文化庁のページにある完成予想図を見て欲しい。
この大極殿(たいごくでん)とは、平城京の北側に位置し、東西のちょうど中心にある。朱雀門から朱雀大路をまっすぐ北に進めば、この大極殿にたどり着くようになっている(実際、大極殿からまっすぐ南に朱雀門が見えた)。奈良時代の715年に竣工し、天皇即位式や元日の儀式など、国家の重要儀式の際に使用された建物だそうだ。
なお、一時的に奈良の平城京が打ち捨てられたことがある。その後745年に再度奈良に都が作られ、その時により東側に新しく大極殿が作られたそうだ。そのため、現代では古いほうを”一次”、新しい方を”二次”と読んで区別し、現在復興されているのが古い方の “一次大極殿” である。
大極殿の高さはおよそ27m、幅は約44m、奥行き19.5mだそうだ。それをすっぽりと覆っているのだから、外から見るとものすごく大きい建築現場に見える。
なお、他の建築物と比べると、朱雀門が同22m、25m、10m、東大寺大仏殿が同48m、57m、50mだそうだ。朱雀門以上、大仏殿以下といったところらしい。
この建築現場の中に入って見学できるのが、今回の特別公開。
工事用の足場が組まれたままになっており、見学者は一番上の屋根のところまで登ることができる。足場が取り除かれてしまったら、下から見上げるしかない屋根を上から見下ろせるチャンスは二度とないだろうと思って、ウキウキと見に行った次第。屋根の左右に付けられている鴟尾(しび)も間近で見ることができるだろうし。
実際に、こんな感じで見ることができる。
屋根の手前の金色のヤツが鴟尾。現場のパネルの説明によれば、一般的に鴟尾は瓦などで作られているのだが、今回の復元工事では金属で作ったとのこと。ただし、平城宮の大極殿跡からは鴟尾に関する資料は一切出土していないそうだ。瓦でできていれば、何らかの破片が出てもよさそうなものなのだが。このことから、「金属作られていたかもしれない」という仮説が生まれたそうだ。金属製だったからこそ、鴟尾だけは溶かされて資源として再利用されたのではないかと。ゆえに、今回の復興では金属製にすることにしたとのこと。
どっちみち、1300年前のことだから、何でできていたかなんてわかりようもない話だから、何で復興してもいいと思うのだが。とにかく、「仮説に基づいて作るなんて、なかなかチャレンジングだなぁ」と感心した次第。
ていうか、もともと大極殿の設計図自体が存在していないので、遺構から姿を想像して計画が始まったのだから、そもそもイマジネーションの産物なのだが。
正直に言うと、平城宮の復興にあんまり興味はないので、大極殿が完成した後には見に行かないだろうなぁ、と思ったり、思わなかったり。
でも、今回、屋根を間近で見れたのは本当に貴重なチャンスでよかったと思ってる。
お近くの方は、ぜひ一度どうぞ(とはいえ、特別公開は明後日まで)。
僕と同じことを思っている人が大勢いるのかどうなのか、今日の平城宮跡への人出はかなり多かった。建築現場も、入場制限がされるほどではなかったけれど、人が途切れることなくずらずらと行列になっていた。
駐車場もほぼ満車状態だった。ここの駐車場があそこまでいっぱいになるのははじめて見たかもしれない(シビレを切らせて、路駐している人がたくさんいた。読者の皆さんは、そういうのはやめましょう)。
トイレは簡易トイレしかなかったので、出かける前にお手洗いは済ませておきましょう。
あと、工事用の足場を歩くので、はきなれて動きやすい靴でお出かけください。