「過半数弱」という数量は、論理的にあり得るんだろうか。
半数(ちょうど50%の点)よりも大きくて、過半数(50%を超える範囲)よりも小さい値であるはずなのだが、そんな場所は存在し得ないと思うのですが。
そんなわけで、以下に引用する中野議員の発言にある
「この会場の中の過半数弱は二度と戻って来れない」
という言葉の意味が論理的に分からない。
ていうか、党の会議で現職議員らに対してこう語りかけること自体、すでにジョークとしか思えないから、あまり深追いしてもしゃーないのだが。
「発言を控えようかと思ったのですが、麻生総理大臣がいらっしゃいますので、あえて発言をさせていただきます。今、解散総選挙などということがありましたら、私は正直、この会場の中の過半数弱は二度と戻って来れないのではないかと危機感を持って、あえて皆様にお話を致します」(自民党・中野正志議員)
テレビニュースで、映像と音声を見ていたのだが、ニヤついた感じで、あんまり深く考えないでしゃべっていたようであった。その前の様子は流れていなかったので分からないが、どこか興奮している様子も見て取れた。
まぁ、要するに、あんまり真剣に物事を考えている様子には見えなかったってことだ。
つーか、ジョークで言ったとしても、自分は戻って来られる方と想定していたのか、そうでないのか、ひじょうに気になるところだ。
いずれにせよ、大島氏の感情には深く共感しているところではあるが。
同じ自民党の大島国会対策委員長は、「解散は総理の大権だ。いささか不愉快」と苦言を呈した
【追記】
動画発見。
自民党代議士会 一部の若手議員からは麻生首相に解散をしないよう求める声: FNNニュース
???
>過半数(ちょうど50%の点)よりも大きくて、過半数(50%を超える範囲)よりも小さい値であるはず
例えば「50%弱」とは、51とか52%の事でしょう?同様に、過半数が「特定の製数」を指すならば、「その値より少し上」という意味になるだけでは?
論理的には、何もおかしいとは思わないけれど。
いやいや。「50%弱」というのは、49%とか48%じゃないですか?
「xx弱」というのは、xxよりも少し少ないという意味ですよね。
広辞苑の説明によれば、「切り上げてその数になったことを示す語。実際はその数値よりもすこし少ないこと」。
>「その値より少し上」
は、「xx強」ですよね。
別に、どちらでもかまわないと思うけど。
文脈に応じて「過半数=特定の値」として使われることは多いのだから、そう考えれば、何も不思議はないと思うよ。
先の議員の発言が、以下のようだったらスッキリするんです。
・半数弱: 50%よりも少ない
・半数: 50%(まぁ、およそ半分ということ)
・過半数: 50%よりも多いいずれか
じゃあ、「過半数弱」ってのは、上記以外だとするなら、どんな値だろうか?
上記のいずれかに当てはまるんだったら、そう言えばいいじゃないか、と。
ところで、過半数は「特定の値」(点)ではなく、範囲ではないかという意見をさっき見つけました。僕はその人の意見に賛成です。
「過半数の誤用」
http://homepage3.nifty.com/fwjd1945/column/2001-06-09.html
ようするに、(50%, 100%] の範囲を過半数というという主張。
#丸括弧はその値を含まず、各括弧はその値を含む
ああ、僕は「過半数・弱」だと思っていたから奇妙に感じていたのであって、「過・半数弱」だと思えばいいのか。
(50-ε%, 100%] という範囲なんだな。
#εは任意の小さい値。
##左側の括弧を丸括弧に修正した
なんか納得いかねーけど、もういい!
いや、もちろん過半数が「範囲として定義されるべき」というのはそうだけど、そこに書いてあるように、国会ですら過半数=特定の数値として「誤用」される事が多いのだから、「過半数」をそうした「慣用的に使われるが辞書的には謝った定義」に基づいて、以上の文章を解釈すれば、話者が意味する対象は論理的に整合しているよ、という話。
話者が意図したのとは違う意味を語に付与して「矛盾だよな」というのは、ありもしない「矛盾」を無理矢理ひねくりだしているんじゃないのっていう話。
上の自分の解釈を適用して、件の議員の発言を添削するなら、
「過・半数弱は二度と戻って来れない」
の代わりに
「半数以上は二度と戻って来れない」
と言えばいいのだ。
では、明日の「だんだん」に備えてもう寝ます。
話者が「過半数=半数」として考えているならば。「半数+1」として過半数を用いる例もあるのじゃないかな。
「過半数弱」って言われると、直感的にはやはり違和感ありますね。いったいどのくらいの割合のことを言っているのかわからない。
たぶん「半数程度」という意味で用いているのだろうけど、一種の永田町用語なんですかね?
>「過半数弱」って言われると、直感的にはやはり違和感あり
分かるけれど、それを言うならば、「過半数=特定の数値」という使い方をした時点で「違和感ありと言ってくれ」と思うのですよ。
「過半数を超えました」という表現は、明らかに「過半数=特定の数値」を前提としたものですが、そうした表現は、あちこちで見られるにも関わらず、「過半数=範囲であるという定義からみたらおかしい」と文句を付けない。
なのに、「過半数弱」という表現になると、突然、「過半数=範囲という定義からみておかしい」と言い出す。
「おかしい」と言ってる2人のロジックに、一貫性を感じない。
コメント欄のやり取りで話が収斂しないのは、
・「過半数」という言葉の使い方、と
・「弱」という言葉の使い方
のどちらに主眼を置くかが異なっている点に問題があるのかなぁという気がしています。
僕は「過半数」という言葉の正確な使い方にはあまり気が向いていなくて、特定の数値であるか範囲であるか、あまり区別していなくて、単に「半数よりも多いもの」と考えていました。
やっと特定の数値ではなく範囲であるということを厳密に考えるようになったので、今後はbmbさんがおっしゃるような一貫した突込みをいれると思います(いちいち、全ての言説をチェックしてコメントしたりはしないけど)。
「弱」という言葉の使い方に関しては、昔から一貫したロジックを使っていると自負しています。「弱」という言葉に主眼を置いて「過半数弱」という言葉を聞いたら、おかしい感じがするって言うのは分かってもらえますよね?
> 例えば「50%弱」とは、51とか52%の事でしょう?’
bmbさん、日本語忘れないでください!
昔、証券会社かなんかの不祥事で「組織ぐるみですか?」と報道陣に追及されたトップの人が「いいえ、個人ぐるみ」ですって言ったことがあったじゃない? あのときと同じ違和感を感じるんですよ。単に「半数弱」でいいところを口が滑って「過半数弱」って言っちゃったんだろうけど、言いたいことはなんとなくわかるけど、とっさに出てきた言葉そのものについて考えると首を傾げざるを得ない表現になってしまっているという。
>bmbさん、日本語忘れないでください!
思いっきり言い訳だけど、あれを書く前にググってたら、そう間違いをした例がいくつかあったんですよ。で、「あ、(辞書通りの理解をしていたけど)自分が間違っていたのか。まずい、まずい」と思って、ああ書いたのです。
>「弱」という言葉に主眼を置いて「過半数弱」という言葉を聞いたら、おかしい感じがするって言うのは分かってもらえますよね?
それは木公くんとsteraiさんの「直感的判断の構造」が「聞き慣れない=使用頻度が低い言葉をみると、『変だ』と感じるようにできている」だけではないのかと思うのです。実際、この言葉、ググっても249件しかヒットしない。
>特定の数値であるか範囲であるか、あまり区別していなくて、
と書くように、「辞書の定義からして、過半数弱はおかしい」と考えた訳ではないと思うのですよ。
まず、「過半数弱」というフレーズに「何か変だ」と違和感を感じ、その後で初めて、「過半数」と「弱」の双方に辞書通りの定義を当てはめて「おかしい」と結論つけた。
一方、僕は「過半数の慣用的な定義=特定の数値」で「過半数弱」という用語を判断すれば「聞き慣れないけれど、論理的にはおかしくないだろう。慣用的な定義を受け入れている以上、感覚的には『変だ』と思っても、そこは飲み込まなくちゃ」と言ってるのです。
>特定の数値であるか範囲であるか、あまり区別していなくて、
>と書くように、「辞書の定義からして、過半数弱はおかしい」と考えた訳ではないと思うのですよ。
とりあえず、誤解だけ弁解しておくと、僕は「辞書の定義からして、過半数弱はおかしい」と考えました。
「あまり区別していなくて」という点が曖昧だったのが失敗でした。”区別する/しない”を二分法で考えれば、区別して考えていましたよ。本文の2行目に書いてあることが辞書的な定義です。証拠は出せないけど、件の政治家の放送を聞いたときに「辞書的定義にあわない」と思いました。
さて、要するに言葉の定義の問題で論理的に整合/不整合を起こすのだという結論でほぼよろしいでしょうか?
今回の話の教訓としては、
1. 「過半数」という言葉の受け取り方には人によって揺らぎがある
2. 不用意な言葉の用法を用いると、面倒なことになるから気をつけましょう(自戒)
あたりに落としておいていいですか?
【おまけ】
知人が
「”過半数”という言葉に揺らぎがあるのももちろんだけれど、”弱”という言葉にも揺れがある。例の政治家は”弱”を『~に満たない』という意味でつかったんじゃね?」
という新しい解釈を提供してくれた。
それはそれで興味深かった。
読みました。
なるほど、両者の言いたいこともわかりますが、、
私の結論は「過半数」が変というより、議員の発言が変。なに言いたいんだかわからん。
過半数弱だけなら『過半数に満たない』と取れるけど、きっと「過半数強」と勘違いした発言と解釈したくなる。つまり俺が言いたいのは
(省略されました。続きを読むにはここをクリックしてください)
>議員の発言が変。なに言いたいんだかわからん。
「今、衆議院を解散しちゃうと僕たちは当選できそうにありません。だから、解散しないでください」
ということが言いたかったんだと思うんですが、どうでしょう。
理念上、代議士は有権者の信任を得る(選挙で選ばれる)必要があるわけで。それを現状では信任を得られそうにないから、選挙はやめましょうって、代表民主制に対する冒涜なんじゃないかと。
#そう思ってしまうのは仕方ないけど、公の場で言うのはちょっとなぁ。
なお、早く解散総選挙したいがために、ろくな審議をしないで法案を通すという戦略をとってるっぽい野党もどうかと思うけど。
辞書とか引いてないで読んでましたが
過半数は半分のラインをとにかく超える
半数弱は半分のラインを微妙に超えない
だから
結局超えてるの?超えてないの?な言葉は
私は物書きとして絶対に使わない言葉ですね。。。
でも
「過半数」に「弱」をかけて
「過半数にならない」という考えは確かに面白いですね。
けど
きっとその議員さんからしたら
過半数を超えないのでは発言のインパクトもかなり弱くなるし、きっとそうは考えていないでしょう。
tatsushiさんの「過半数強」って、なんかすごい言葉ですよね。
どこまでいっちゃうの??って感じです(笑)
>要するに言葉の定義の問題で論理的に整合/不整合を起こすのだという結論でほぼよろしいでしょうか?
ちょっと違う。「過半数弱という表現は変ですね」と「感じる」のは別に結構です。僕だって「変だな」と感じますから。また「過半数=範囲と辞書通りに定義すれば、論理的に正しくない」と議論するのも結構です。同様に「これからは『過半数を超えた』という表現が誤りであると指摘しようと思います」というのも結構です。
*ポイント1
ずっと言ってるのは「過半数弱という表現はおかしい」で留まるのでなく、「なのに、なぜ、過半数を超えるという表現を変だと思わないんだろう」とまで考えて欲しいな、という事です。
木公くんだって、これまで数えきれないくら「獲得議席が過半数を超えました」という表現を聞いているはず。けれど「過半数弱」という表現を聞いた時と同じくらい強く、「あ、これはおかしい!」と、感じたと言い切れますか?おそらく言えないと思います。「過半数を超えた」という表現は、なんとなく見過ごしてきただろうと思います。
実際、「過半数弱」という表現はググっても300件弱、一方、「過半数を超えた」という表現は12万件弱ヒットします。これは「過半数弱」という表現は誤りだと感じる人が多いのに、「超えた」という表現は誤りだと思う人が少ないことの傍証です(注1)。
もし、「過半数弱」という表現のおかしさを「辞書通りの定義」に基づいて糾弾するなら、なぜ、その同じ刀を「超えた」という表現に使ってこなかったのか/これなかったのか、そこまで考えた方が、もっと面白いと思いませんか?
注1 木公くんは「 「過半数」という言葉の受け取り方には人によって揺らぎがある」と言いますが、僕が言いたいのは「過半数という言葉の受け取り方は、同一の人間内でさえ揺らいでいる」と言ってるのです。「過半数弱」という表現の時には「範囲」として受け取る事ができるのに、「超えた」という表現の時は「特定の数値」と、すんなり認識できてしまう。
*ポイント2
「同一人物の内部で、過半数という言葉の定義は揺らいでいるか/一貫しているか」という観点からみたら、「過半数弱」と言ってしまえる人間の方が、遥かに一貫している。
なぜなら、「過半数=特定の数値」を示すと、一貫して言葉を定義しているから。「過半数=特定の数値」と定義したならば、「過半数を超える」という表現と、「過半数弱」という表現のどちらも、論理的に整合します。
だから、ポイント1に戻ってくるのです。
「『過半数を超える』は受け入れてしまうのに、『過半数弱』は受け入れることができない」というのは、その人物の内部で、「過半数」という言葉の定義が揺らいでいることを示します。「論理的」というならば、そういう感じ方をする人間の方が、非論理的なのですよ。僕も含めて、大多数の人間が。
短縮版
A. 「過半数弱って表現、論理的に変だよね」と笑える資格を持つのは、「過半数を超えた」という表現を、昔から、同じくらい強く変だと言い続けて来た人だけじゃないの?
→これは分かってもらえたみたい。
B.「『過半数弱』はすぐに変だと分かるけど、『過半数を超えた』は、何となく見過ごしてきた人」は、論理的に一貫してないよ。
→自分も含め、大多数の人間は、こう思ってしまってるはず。これは分かってもらえたでしょうか。
C.「『過半数弱』という表現を使ってしまう人」は、おそらく、「過半数を超える」という表現も使ってしまうだろう。そうならば、その人の方が、大多数の人間よりも論理的に一貫しているはずだよ。
→ここが一番分かってもらえてない気がする。
「過半数弱」は熟語として見えるから変に思えるけど
「過半数を超える」は熟語じゃないから見過ごせるんじゃないですか??
うーん・・・「大雨が降る」はいいけど「大降雨」だと気持ち悪いみたいな。。。
>彩子さん
不思議でしょ?
「人間は、過半数という用語の定義を頭の中に持っている。文章を見るたびに、その定義に基づいて文章が正しいかどうか判断する」という思考プロセスを持っていると考えたら、「過半数を超える」を見過ごしてしまう訳がないんですよ。
木公くんは「過半数弱という表現を見た時、『すぐに、自分が持っている過半数と言う語の定義から見て変だと感じた』と言うけれど、それでは、なぜ同じプロセスが「過半数を超える」という表現の時に起動しないのか説明できない」。
多分、過半数弱という表現をみたら、「あれ?変だ」と感じ、その後、気がつかないほど瞬時に「過半数の定義は...っと、範囲の事だから、やっぱり変な表現だよな」と判断してるんじゃないかと。あまりにも瞬時におこなわれるプロセスだから「僕は確かに、語の定義に基づいて、過半数弱という言葉の真偽を判断しました」と錯覚してしまうんじゃないか。
今回の問題は説明しきれないけれど、こうした事例をたくさん集めて、それを分析することで「人間の心のしくみ」を解き明かすのは、認知科学の研究方法の一つですね。。
僕は「過半数」を範囲だと考えているので、「過半数に達する」はいいけど、「過半数を越える」は変だろ、と思ってますね。ただ、あまりにもよく聞く言葉なんて、しかたないので我慢してます。「電話を入れる」とか、コンビニの「1万円からでよろしいですか?」とかも、本当は嫌なんだけど、多くの人が言うので気にしないようにしている。それに近いのかなぁ…。
あ、ただ、「電話を入れる」と「1万円から」はまだ意味がわかるけど、「過半数弱」はやっぱりかなり意味がわかりづらい、というところは違うかなぁ。
ちなみに、「過半数に達する」、「〜を制した」、「〜を占めた」などの表現をgoogleでフレーズ検索しても、その合計数は「過半数を越えた/越える」の総計より、遥かに少ないんですよね。
つまり、世間一般では、辞書通りに「過半数=範囲」と定義して用いている人の方が少ないらしいのです。それもまた、不思議な話です。人間の心は、範囲や集合という概念より、特定の数値や要素の方を扱い安いように、出来ているのかもしれないですね。
>人間の心は、範囲や集合という概念より、特定の数値や要素の方を扱い安いように、出来ているのかもしれない
正直、「bmbさんは、なにをそんなにこだわっているのだろう」とかなり不可解に思っていたのですが、こういう認知心理学っぽい話にたどり着いたら、やっと僕もオモロイ気がしてきました。
その話と、一番最初に書いたのは表裏一体ですけどね。
「論理的一貫性や合理性という基準から斬ろうとするなら、『過半数弱』という表現をためらいなく使ってしまえる(その)自民党議員の方が、よっぽど論理的に一環しているよ」というのが、最初の話だから。