「だんだん」第9週 「恋のバカンス」 のあらすじを読んでひどくガッカリして、日誌の連載をやめることを宣言したにも関わらず、最終週 “縁の糸” が放送される月曜日に松江市に滞在していたため、なんとなく前言を撤回して日誌連載を再会したわけだけれど、ついに「だんだん」の最終回を迎え、「ああ、結局これで全放送を見たことになるな。何事にも飽きっぽい僕だけれど、これからの人生で「あの時、だんだんを全部見切った俺じゃないか!」と自分を励ますことができるかもしれないなと思ったり、「15分×150回=37時間30分もの時間をシリーズ史上最低と言われているドラマの放送に費やしてしまったのか。もっと有意義に時間を使えばよかった」と後悔する日が来るのかもしれないななどと、複雑な心境に陥っている当方が「だんだん」の150回目の放送を見て、最後なのでたっぷりと書いてから、この日誌を閉じますよ。
置屋を飛び出して故郷・松江に帰ってきた花知(久保田晃代)を連れ戻すために追いかけてきたのぞみ(三倉佳奈)と康太(久保山知洋)。しかし、これは二人の夫婦仲を心配した大女将・久乃(藤村志保)らが仕組んだ狂言だった。新婚旅行すらいくことのできなかった二人は、この旅で絆を深め合う。
島根の離島・知夫里島で石橋(山口翔悟)とめぐみ(三倉茉奈)が運営する診療所では、めぐみがギターと歌を聞かせて地域の人と親密に交流している。そこに、のぞみ、康太、俊(東島悠起)が訪れ、旧シジミジルのメンバーが全員そろった。
彼らは連れ立って赤壁(知夫里島の名所で断崖絶壁)に出かけ、そこでめぐみとのぞみは自身の妊娠を発表する。メンバーたちは「いのちの歌」を演奏し、新しい命の芽生えを祝福する。
その代わり、劇中で彼らが自作したという設定で何度も演奏され、マナカナが実際にCDも発売している「いのちの歌」でドラマが締めくくられました。
このドラマのテーマは「縁」であることは、さまざまなところで語られています。松江と京都で離れ離れで育った双子が偶然出会うことで、両地域が結ばれ、いろいろな縁ができていくという全体構想でした。実際、昨日の放送では両地域の人が祇園に集まって大宴会を開くなど、ストーリー上では描かれていました。
そのテーマを補強するためにも、ラストは「縁の糸」がしっくり来ると思うのですが。
「毎日、冒頭に流れてるんだから、劇中で聞かせなくてもいいじゃん」という制作側の考えなのでしょうか、よー知らんけど。
上記の通り、本来のテーマは「縁」だったはずなのですが、ドラマを振り返ると、いつの間にかテーマが「命」にシフトしてしまっていたことを思い出します。めぐみ(茉奈;姉の方)が介護や医療の現場で働いていたこともあって、いろんな人の生死の問題が描かれていました。
特に、主人公らの祖母・初枝(三林京子)が難しいガンに冒されたあたりは、特に重く「命」の問題が語られていました。(朝から重く深いテーマの割に、結論は「苦しい治療であれ、生きることのみが重要」と、現代重要視されている Quality of Life (QOL) の問題を軽視していたことはアレですが、これ以上は追求しません)
そんなわけで、「いのちの歌」をラストに持ってきたという説明なのでしょうが・・・。
正直申し上げまして、マナカナのCDのプロモーションにしか見えなくて、かなりションボリしながらエンディングを見ていた当方です(このドラマにあわせて、マナカナのカバー曲集も出たりしてるしなぁ)。
さらに、断崖絶壁の野原でギター×2、タンバリン×1という編成なのにも関わらず、聞こえてくる演奏からは弦楽器や木管楽器(?)の音色が聞こえてくるのです。CD音源をそのまま流しているっぽくて興ざめでした。
クライマックスなので、視覚的な情報(ギターとタンバリンしかない)ではなく、人々の豊かな心象風景(目で見える楽器以外も、心の世界には響いている)を表現したシーンなのかもしれませんが、僕には本当にしらけて見えました。きっと、心が汚れているので、そういう神々しい演出は理解できないのだと思います。ごめんなさい。
そして、最後のシメが「縁」そっちのけで、双子同時妊娠と言う「いのち」の問題で終結。
のぞみ(佳奈; 妹の方)と康太なんて、周囲が心配して「花知の家出」という狂言をするくらい夫婦仲に亀裂が入っていたはずなのに、気持ちイイことだけは避妊具なしでやっていたのかよと思うと、下品な失笑しかできなかった当方です。無理ありすぎ。
めぐみの出産予定日は8月16日だそうだ。これは運命の日付で、主人公らの誕生日であり、ふたりが偶然再会した日でもある。なに、この中学生が考えそうな”劇的”な設定は。つーか、めぐみと石橋は結婚して(一緒に住み始めて)3年ほど経っているはずなのだけれど、めぐみが「私は、自分と同じ誕生日に子供を産みたいが。そげだから、毎年10月xx日(十月十日を逆算)だけにしてごしない」と年に1回しか子作りに励まなかったんじゃなかろうかと、ちょっと心配になってきます。
さらには、のぞみも同じ日に子供が生まれるといいなぁ、双子みたいだなぁと、メルヘンなセリフをぶっこく寒さよ。
もう彼女ら(もしくは、脚本家)の頭の中では、8月16日に両方から女の子が生まれることが規定路線なのだろうけれど、日付の問題はおくとして、両方女の子になる確率は(1/2)^2 = 25%くらいですね、残念ながら。少なくとも一方に男子が生まれる確率(75%)の方がはるかに大きいわけで。
いやいや、8/16を狙って予定日にできる人たちですから、「女性がオルガニズムに達した時の分泌液は酸性で、X染色体は酸に弱い。ゆえに、女性がオルガニズムに達する前に射精すればX染色体が死なずに女の子になりやすい」という話を信じて、実践しているのかもしれない。実際、石橋も康太もどことなく女性扱いが下手で早漏っぽく見えるから、うまく女の子が生まれるといいですね。
#ちなみに、オルガニズムによる性別産み分け、1万回以上やって数回ウマくいくくらいの確率じゃなかったっけ?出典忘れたけれど、正高信男の新書かなにかで読んだ気がする。
まぁ、そんなわけで、視聴者も役者(今にして思えば、放送直前の特番の時すでに、スタジオに来ていた出演者のテンションが低かった)も疲弊したドラマだったようですが、劇中の人物だけでも能天気にハッピーになれてよかったですね。
だんだん。
どこかでこのドラマのDVDを入手することができたら(自分お金を払う気はまったくないけれど)、全150話の中で「だんだん」というセリフの頻度を本気で調べてみたいと思う。200回は超えるんじゃないか(つまり、1話の中に1回以上言われている)?
比較のために、自宅にある「ちりとてちん」(152話?)、「機動戦士ガンダム」(42話)、「おにいさまへ・・・」(40話くらい?)から、”ありがとう”、”おおきに”、”あんがとさん” など謝礼の言葉の頻度をグラフにして示したいよ。