平城遷都1300年祭: 平城宮会場を散歩してきた

 平城遷都1300年祭では、5月9日まで花と緑のフェアが開催されているとのことなので、のんびりと見物に行くことにした。

 会場は平城京跡。最寄り駅は近鉄・大和西大寺駅。
 僕は同駅北口(ならファのある方)に出て、そこから歩いた。
 後から知ったことだが、南口(先日までさびれていた方)から向かうのが正解のようだ。無料シャトルバス(随時運行。所要時間15分ほど)が利用できるし、朱雀門まで直行できる。また、歩くにしても道がきれいに整備されているし、ほぼ直線コースなのでわかりやすい。
 北口からは、歩道が狭い、経路がわかりにくい、ちょっと余計に歩かされる、誘導員も少ない、案内板皆無と、とても惨めな思いをさせられる羽目になる。

 まずは、平城京の北側をブラブラと見て歩いた。去年までは、だだっ広い野原があったところだ。休日にもなると、あちこちまばらにキャッチボールする親子が見られた、あの広い場所である。

 祭りが始まってどうなったか。
 人が多かった。ゾロゾロと人間が整列して歩いている。
 こんなに大きな広場なのに、人々の歩みは整然としている。理由は、運営側が「ここを歩いて欲しい」と思っている通路以外は、草がボーボーだからである。人は雑草の生えたところを好んで歩きたいとは思わない。通常ならば、見栄えを良くしようと開催前にきれいに刈り込むだろう。あえて野放しにすることで「あっちには行きたくない」という気持ちを刺激し、天然のフェンスを人の心に張り巡らせた手腕は評価されていい。

 それでも、遠くまで見渡せる風景は気持ちが良かった。

のどかな風景


 ステージ会場や飲食店、案内所などの建物がいくつか建築されていた。
 しかし、だだっ広い平城宮跡を埋め尽くすほどの量ではない。会場の外に近い方にまとまって設置されていた。どの建物も外装が統一されていて、白木をスダレ状に立てたものだ。真新しい木材は真っ白に輝いており、目には眩しかったが、現在の平城宮跡の素朴な草原とは似つかわしくなかった。逆に言えば、浮いてる。浮いてるおかげで、目立つ。目立から人々が集まる。そこにレストランがあれば入る。景観に対して無頓着なようでありながら、強い集客力を発揮させているという手腕は評価されていい。

 おかげで、「平成木簡作成」などという看板につられた。
 木簡というのは、古代の文書用メディアだ。要するに、紙の代わりに細長い木の板に文字を書いて保存していたものだ。500円で木の板に字を書いて、それを1300年後の人類へのメッセージとして埋めることができるなら、安いロマンの買い物だと思った。話を半分くらいしか聞かず、金払いよく500円支払った。
 500円と引き換えに貰ったのは、和紙とそれを収める木製の容器。どこが木簡なんだ、おい!和紙は看板に偽りありとはこのことで、怒り狂おうかと思ったけれど、ぐっと我慢した。500円で忍耐力涵養トレーニングを受けたと思えば安いものだ。

みんな読んでる alm-ore 木公

 1300年後の人々も、こんなの見せられても意味不明だろうが、まぁいいだろう。「きっと、原始的な呪いの文句だろう」くらいの理解をしてくれれば本望だ。
 つーか、書きながら「こんな和紙が1300年も無事に残るわけあるまい」と投げやりになってたし。書いた紙は、付属の木製軸に巻きつけ、ケースに収めることになっている。
 しかし、紙を巻きつけて挿入しても、ケースの穴はぶかぶか。横に傾けると、スルッと関西で私鉄乗り放題なくらい、抜けてしまいそうである。きっとここから水分やら、カビ菌やら小さな虫やらが侵入して、美味しくいただかれちゃうんだろうな、と思う。
 それでも、一縷の望みを託し、左京の一条一坊という場所に埋めてもらう申し込みをした。

木簡ケース

 その他、北ゾーンは先程も書いた通り、元は野っ原である。建物も少ない。今日は初夏らしい陽気だった。大木も皆無。
 つまり、人々の欲しがるような日陰はほとんど無い。欲しい時に、そばに飲み物の自販機があるわけでもない。会場の奥に行けば行くほど、その傾向は強まり、人々は生き血を求めるゾンビのよう(いや、ゾンビは生き血を求めないか)にフラフラしていた。もし今後出かける人があるなら、飲み物の携帯と日除け帽/傘などは必須だろう。

トラム 会場内はとても広い。平城宮跡に新たにアスファルトコースが敷設され、循環トラムも運行されていた。トラム専用道にはフェンスが無いので、危険がないようにとてもゆっくり走行している。歩く人々に追い抜かれるほどの低速。乗りながらゆっくりと風景を見るのには適していよう。
 しかし、ゆっくり走行しているということは、なかなか乗り場にトラムがやってこないことになる。トラムは無料(たぶん)であるため、放っておいては順番待ちで溢れ返ることになる。それをどのように解決しているか?
 方法は簡単であった。「若い人は乗せません!」と言っていた。僕が直接尋ねたわけではないが、通りがかりにスタッフがそう言っているのを耳にした。サービス残業を断れないだの、夢がないだの情けない人間ばかりの日本にあって、そう断言できる運営スタッフは、「No と言える平城人」として誇っていいと思う。

 などと考えながら、朱雀門方面に歩いて行った。

 朱雀門といえば、近鉄の「だって、線路作っちゃったもんは、いまさらどうにもならん」という悪びれない態度(彼らが本当にそう言っているかどうかは不明)にいつも感心させられる。
 1300年祭がなんのその。こっちは朱雀門を眺めたいと思っても、遠慮なく近鉄特急は走っていく。ダイヤ通りに列車を運行させる(それでも、西大寺周辺はよく電車が遅れてるぞ)ため、遷都祭の見物客を踏切で待たせて大渋滞を引き起こしても、なんのその。行け、近鉄、平城の未来のために!と思わず応援したくなる。

朱雀門に見切れる近鉄特急

 朱雀門は、平城京の南の境である。朱雀とは、南方を守る神獣の名前で、鳥の姿をしている。
 であるからして、朱雀門の向こう側は京ではないのだ。
 僕は、平城京の内側から見物して、これから門をくぐって京の外へ出るというルートを取っているのだ。

朱雀門前広場 門を出ると、そこは雑然とした市だった。
 会場の北側(京の中)は、雑草だらけとはいえ、文化的な出し物や、少々高級な飲食店が出店されていた。そして、人口密度も低かった。

 ところが、南側(京・朱雀門の外)は、人口密度が高まり、多くの露店が多数ひしめいていた。奈良名物の柿の葉寿司店が2社(当方の好物平宗は当然あった)出ていたり、地元日本酒メーカー春鹿が出店していたり。
 そして、京の外の市の雰囲気を再現するためか、ほったて小屋のようなブースにしつらえられていた。こういう雰囲気は大好きだ。何も買わなかったが、ここに来て祭りの雰囲気を堪能した。

 そんな感じで、朱雀門そばにだけある乗り場からシャトルバスに乗って帰った。
 3回行くつもりは無いけれど、もう1回くらいは冷やかしに行ってもいいと思った。

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