世界最大のSNS Facebookを作った学生たちの友情と確執を描いた作品。デヴィッド・フィンチャー監督、ジェシー・アイゼンバーグ主演、2010年作品。
主人公のマーク・ザッカーバーグは、他人の感情に注意が向かず、不適切な言葉を投げかけては人を不快にさせる。人付き合いのヘタクソなコンピュータ・オタクなのだが、彼のテクニックと独創性は一流だった(実際に Facebook を創り上げたことだし)。
ある日、数少ない友人の一人であり、唯一の恋人(まぁ、恋人は通常唯一であるべきだが)にまでヒドイことを言ってしまい、フラれてしまう。その腹いせもあり、マークはネット上でのコミュニティサイトの作成にのめり込んでいく。
少しずつプロジェクトに協力する仲間も増えてきた。しかし、プロジェクトが大きくなるに連れて、組織の内外に嫉妬や方向性の相違が生まれ、マークは孤立していく。
そんなお話。
映画としては、事前の予想以上に面白かった。ストーリーとしてはとても地味なのに、すぐに映画の世界に飲み込まれて、目が離せなくなる。
舞台となるハーバード大学はアメリカ東海岸にあり、イギリス様式(?)の古い建造物が頻繁に出てくる。地味ながら、見ていて美しい映像だった。そういった古めかしい建物の中で、登場人物たちが現代的なパソコンを使うというミスマッチが、より一層古い建物を美しく見せていたように思う。
日本の大学とは全く雰囲気の違う、アメリカ東海岸の一流伝統大学の雰囲気は、ただただカルチャーショックを受けるばかりで目が離せない。
コンピュータばっかりいじっていて、ネット弁慶になっちゃう人とか、「いるいる」って感じでニヤニヤできるし。画面に映るコンソールに何が書いてあるのか、眼を凝らしてみると「おーおー、そういうコマンド打ってますか」とオタク的にニヤニヤできる部分もある。
ところで、映画を見ながら、ずっと僕の頭の中をよぎっていたのは、クリフォード・ストールの『カッコウはコンピュータに卵を産む』だった。この本は、著者が経験した実話に基づいている。
1987年ころ、アメリカ西海岸の研究所(ローレンス・バークレー国立研究所)に新米コンピュータ技師として採用された彼は、コンピュータの使用料集計プログラムにあるバグの原因を突き止めるよう命じられた。それも、たった75セントの不整合を解決するという課題だ。
しかし、それは研究所外からの不正アクセスに原因があることがわかった。更に調べていくと、どうやら東側諸国(当時は東西冷戦末期)からの不法な情報収集であるらしいことが明らかになった。
一介の元天文学者が、静かで姿は見えないが、巨大な敵の尻尾を捕まえるために奔走するという、手に汗握る「探偵もの」だ。
推理小説のようで面白い本だ。
そして同時に、ちょっと(いや、今なら「かなり」の部類かも)コンピュータをかじった人なら、随所に出てくるコンピュータ用語や、コンピュータのコマンドの打ち間違いのクセなどにニヤリとさせられる。そういう点でも面白い本だ(今なら、懐かしの技術って感じだけど)。
また、西海岸の自由な雰囲気の研究所勤務の様子やら、ちょっと変人な科学者が登場したりして、おもしろ人間観察日記としても楽しめる。
そんなわけで、僕の大好きな本の一つだし、細部は忘れたが、よく覚えている本の一つだ。
今回、『ソーシャル・ネットワーク』を見ながら、以前に読んだ『カッコウはコンピュータに卵を産む』を思い出したのも、僕的には当然の成り行きだ。
1980年代と2000年代のコンピュータオタクの対比として面白かったし、西海岸(カッコウ・・・)と東海岸(ソーシャル・・・)の雰囲気の違いも感じ取れた。
そして、一個人が大きな社会のうねりに巻き込まれて奮闘するという構造が全く同じだ。
そこで、ふと思えば。
社会がネットワークであり、それぞれに思惑を持った個人が、自分とは異なる思惑を持った他の多くの人々によって形成される網の目に組み込まれて生きているのは、しごくあたり前のことであり。夏目漱石が『草枕』で「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。 」と指摘するずっと前から、きっと人間の社会というのはそういうものだったはずで。そういうことをテーマにした作品も多いわけで。
そういう風に考えれば、あんまり目新しくはないお話だ。
実は、ラスト5分前まで、心の片隅で「まぁまぁの出来栄えにすぎないな」と思いながら見てた。
けれど、ラストの主人公の行動で、映画の印象がガラっと変わった。
男の子なら、彼と同じ事をしようとして留まったことのある経験を持ってる人は多いんじゃないかな。
僕もある。
ロマンチックな男の子の心情を代弁してくれた点で、ラストの5分でこの映画への評価がうなぎ登りになった。