鴨志田穣の2冊: 「日本はじっこ自滅旅」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」

自分でもまったく行動が短絡的だとは思うのだが、鴨志田穣氏の訃報を知り、即座に彼の著書を買ってみた。
Amazon で2冊注文してゲット。
ちょっと名古屋まで行く用事があったので、両方携えて電車の中で読んでたら、ものすごくちょうどよく読了。
どれくらいちょうどよいかというと、帰りのバスで、当方の降りるバス停の1つ前で読み終わるくらいのちょうどよさ。

読んだのは「日本はじっこ自滅旅」と「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」の2冊。






「日本はじっこ自滅旅」は、鴨志田穣が西原理恵子に

「なにをさらしのふんどしじゃあ」
家内の怒声で、はっと酔いから我にかえる。
「おんしゃはほんまの宿六じゃ。いつまでもガブガブ酒ばっか飲みくさりよって、どこでもいいから早く出てゆき」

鴨志田穣『日本はじっこ自滅旅』 p.36
と家を追い出された後、気の向くまま日本各地をあてもなく放浪したときの旅行記。

“旅行記” って書くと、
美味しいものとか、美しい風景とか、地元の人ととのあたたかい交流なんかがつづられてるんだろうなぁ
と思ったりしちゃうところであるが、何しろ旅のきっかけが家からの放逐であるし、タイトルが「自滅旅」とあるし、そんな淡い期待はおよそ裏切られる。

傷心の人がたいていそうであるように、彼も寂れた土地へ向かって進んでいく。
能登(石川県)だの、薩摩(鹿児島県)だの、種子島だの、和歌山だの、秋田だの。
行った先では、とにかく「はじっこ」を目指す。
土地のはじっこといえば海であり、岬であり、たいていそこには灯台がある。

とにかく、いろんな灯台に出向いてる。
西原理恵子の作品を読むと漁師が頻繁に出てくる。
僕の知るところでは、西原理恵子は漁村のそばで育ったそうなので、漁師というものは彼女にとっての原体験なのだろう。
しかし、これもまた僕の知る限り、鴨志田穣の経歴に漁師との接点はほとんどないはずである。
それでも、鴨志田穣は西原理恵子との交流の中で、漁師に対する思いを共有するようになったのだろう。
そんなわけで、漁師への道しるべである灯台に対して、彼は深く感じ入るところがあるのだろう。

もう少し深読みすると、真っ暗な海原で漁師に対して進むべき道を知らせる灯台という風景は、先行きの見えない彼の人生に対する道しるべであるというメタファーになってるのかもしらんと思った。
でもって、西原理恵子を灯台に見立てて、「家に帰りたい」と暗喩しているのか。


とはいえ、本書の中で訪れる灯台は、たいてい寂れてる。
灯台があると聞けば、どんなにアクセスが不便なところでも根性でたどり着くのだが、「寂れてる」だの「寒い」だの「土産物屋がしょぼすぎ」だの、ぶーたれて、滞在時間もほんの数分。
けれども、懲りることなく、どこか運命付けられているように、必ず灯台に足を向ける。

やっぱり深読みを繰り返すと、「灯台 = 西原理恵子」というメタファーか。


なお、彼はどこに行っても、タクシーを拾って
どっかきれいな女性のいる飲み屋に連れ行って
と告げて、その日の飲み屋を見つける。
知らない土地で、そういう博打チックな夜遊びも面白そうだな、とちょっと思った。

今日の名古屋ツアーの途中、ちょうどJR鶴舞駅前に降り立ったらタクシーが何台か停まっており、乗客もあまりいないので運転手さんたちも暇そうにしていた。
鴨志田穣の真似をして、タクシーに飛び込んで
「どっか、きれいな・・・」
って言ってみたくなった。

しかし、今日の用事はまだ終わってなかったし、それよりも何よりも数日前から風邪気味で、喉が痛くて、とてもじゃないがきれいな女性とお酒を飲むだけの元気がなかったので、後ろ髪引かれながら断念。
風邪が治って、もうちょっと暖かくなったら、あてもなく旅に出ようと誓った。




続いて、「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を読んだ。

時系列的には、前掲書「日本はじっこ自滅旅」の直後、アルコール中毒で肝臓がやられて、食道の欠陥が破裂し、大量に吐血したせいで病院に担ぎ込まれるところから始まる、いちおう「フィクション」と断りがされている私小説のフリしたエッセイ。

風邪を引いているせいで、当方はどことなく気分がめいっていたり。
新幹線に乗り、「生きるってなんだろう」とか鬱々と考えたり。
考えるきっかけが、アル中作家の私小説だったり。

「こんな風景、確か前にもあったなぁ」と、当blogの過去記事をあさってみたら、あった。
去年の2月、風邪引きながら神奈川に行って、帰りに中島らもの「今夜、すべてのバーで」を読んでたときだ(参照)。

アル中克服の話と言えば、中島らもの「今夜、すべてのバーで」とまったく同じモチーフなのだが、「今夜・・・」が肝硬変の治療のための内科病棟を舞台であるのに対して、鴨志田穣の「酔いがさめたら、・・・」の方はアル中治療のために精神科病棟が舞台にされている。
ゆえに、入院患者の奇行ぶりに関しては、「酔いがさめたら、・・・」の方が強烈。

しかし、正直に言えば、やはり文章力の違いで、中島らもの「今夜、すべてのバーで」の方が読み物としては面白いと思う。

ただし、鴨志田穣が死の直前まで書いていたエッセイ「カモのがんばらないぞ」(結局、第15回で断筆となった)のプロローグとして位置づけられる話なので、このエッセイを読みこんだ人は「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」をあわせて読んでおくとよいかも。


「今日はね、聞いておきたいことがあったの。
ここ退院したらどうするつもりなの。あなたは、どうしたいの」
「できれば君たちの元へ帰りたいんだけどなぁ。元のように家族で一緒に日々過ごしたいんだ」

鴨志田穣『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』p.173
結局、酔いはさめたけれど、癌が見つかって2007年3月20日に亡くなったわけで。
あ~あ、だね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。