車を走らせた、なぜなら「殯の森」を見たから。

現代社会では、何をするにも正当な理由が求められるようだ。
なんとも生きにくい。

なんとなく手持ち無沙汰で夜の住宅地を散歩したくなっても、「こう暑くちゃ、なかなか寝付けないから、夜風に当たろうと思って。」などと自己弁護しないと、善良な市民にお巡りさんを呼ばれてしまったり。
映画『細雪』で古手川祐子(若い頃)の入浴シーンを下衆な動機で見たいだけなのに、「いや、谷崎の名作がどのように映像化されているかこの目で確かめたい。」と芸術愛好家を気取った台詞を吐いてみたり。
ただなんとなくムラムラしても、「君の事を愛してるんだ、誰よりも。」なーんて、それらしいことを言わないとエッチできなかったり。

そういう、日常の些事ならまだいいが、場合によっては
「自分の生きている意味はなんだろう?」
なんて、別に考えないでもいいようなことまで真剣に思い悩んでしまって、鬱々させられてしまったり。

あるむおそらく、うちの飼い猫のあるにゃんに生きている意味が特にないのと同じように、現代人の一人一人が生きている明確な意味なんて、きっとないだろうに。
何をそんなに思い悩むのか。

さて、我が家にはクーラーがない。
ゆえに、今日のような天気のいい夏の日は、とても暑い。
ガソリンが高騰していようが、二酸化炭素を排出してさらなる地球温暖化へ貢献しようが、我が愛機のシャア専用CYPHAを駆って、車内エアコンをバリバリに効かせて涼むのが気持ちいい。

単に自宅の駐車場に車を停めたまま、エンジンを動かしてクーラーで涼んでも、当方の目的は完璧に果たせるわけだが。
しかし、現代社会では、そのような一見正当な理由の無い行動を許してくれるような懐の深さは無いようである。

そこで、車を運転して、どっかに行くことにした。
どうせ行くなら、ちょっとでも涼を求めるべく、山を登ってみることにした。
木々のうっそうと生える山道なら、直射日光を避けることもできて、多少は涼しいはずだ。

しかし、やはりそれでは、ドライブに出かける理由になりにくいようである。
そこで、僕は誰に対してでもなく、言い訳をした。

「河瀨直美監督の『殯の森』を見たんだ。茶畑の風景がきれいだった。同じ風景を見に行きたくなったんだ。」

それが、今日の自分の行動の正当化だ。

奈良市田原町の茶畑

映画のロケ地そのものを見つけることはできなかったが、確かに奈良市田原町のあたりにたくさんの茶畑があった。
日は照っていたが、標高が高いおかげで風は涼しかった。

さて、ウダウダとした前置きのせいで、いったい読者の何%がすでに脱落したかわからないが、そろそろ映画『殯の森』の話をしようか。

5月の末頃、かのカンヌ映画祭で審査員特別大賞「グランプリ」を受賞したことで話題になった作品である。

カンヌもヴェネツィアもベルリンも、はたまた、夕張もあんまり興味の無い当方なので、通常なら映画祭で話題になったとかどうとか、あんまり気にしない当方なのだが。
殯の森』に関しては、舞台が奈良とのことなので、ちょっと気になってた。
道産子の誇りを持っている当方ではあるが、住めば都(ていうか、1300年前に実際に都だったけど)なので、今や奈良に対する愛着はかなりある。
そんなわけで、この映画ははずせないと思っていた。
たまたま、昨日からワーナー・マイカル・シネマズ 高の原での上映が始まったという情報を得たので、本日見てきた。
#つーか、昨日は監督の舞台挨拶があったらしい。惜しいことをした。

映画の内容としては、カンヌで受賞したときにミミタコなくらい説明されていたが、認知症に冒された老人と介護スタッフである女性との心の交流を描いた作品。

老人役は うだしげき。
本作が役者デビューだそうだが、いい味を出していた。ちょっと間寛平っぽい顔をしてるけど。
ていうか、僕の経験上、前歯が1本失っている主演男優というのは初めて見たので、彼のアップのシーンで笑いをこらえるのが大変だったけど。

介護スタッフ役は、尾野真千子。
ほとんどがジジババばかりの絵の中で、彼女の若さは際立っていた。
そういうハンデを抜きにしても、きれいな女優さんだった。
幼い我が子を自分の過失で亡くしてしまったことで翳を帯び、慣れない介護の仕事に戸惑っているせいで、多くのシーンでは眉間にしわを寄せて、無表情で演技をしている。
それが、老人との交流を経て、いい顔で笑うようになっていくのが、すごく良かった。
よくNHKの教養番組とかで、アサガオとかの花のつぼみが咲くところを、早回しで見せていることがある。
そういう幻想的で、徐々に美しく咲いていく映像って見入ってしまうじゃないですか?
それに通じるような、表情の変化。よく撮られていると思った。
#あと、ほんの2秒くらい、おっぱいが見えちゃったり。若くてハリがあって涎ものでした(つーか、予告篇にばっちり収録されてるね)。

ちなみに、上にも書いたとおり、真千子(ほとんどの役が、役者と同名なのもこの映画の特徴)は我が子を亡くして失意の底にあるという設定だったが、それがストーリーの中で活かしきれていないと思った。
老人・しげきの過去を、真千子が追体験するだけのストーリーで、十分勝負できたと思うが、どうか。

老人・しげきは、真千子の制止も聞かずに、深い山の中へずんずんと分け入っていく。
そして、彼は土に抱かれて、目を閉じる・・・、というラスト。

周りの観客からは
え?終わり?なにこれ?
という声がちらほらと聞こえてくる。

確かに、”わかりやすい” 娯楽映画に比べたら、かなり象徴的なラストであり、歯切れの悪い終わり方だとは思う。
しかし、僕自身は、余韻をたっぷりと含ませた、日本の伝統美っぽい、えもいわれぬ感動的なラストだと思ったけどな。

現代人は、あらゆることに正当な理由を求めすぎではないか。
ぼんやりとした理由付けでいいことだってあるじゃないか。
唯一の解がないことだって容認すべきではないか。

しげき や 真千子 が「生きる理由」や「親しい人物の死」を発見し、受け入れるやり方には、他に無数のやり方があるだろうし、映画の中で描かれていたことが唯一のものとは思わない。
でも、それでいいじゃん、と思う。

映画の中で出てきた、一つの台詞が、ずーっと頭の中でぐわんぐわんと鳴っている。

こうしゃんなあかんってこと、ないから
(必ずこうでなくてはいけない、ということは無いのだから)

ところで、末筆になりますが、万人受けする娯楽映画ではないので、alm-ore として特にお勧めするわけではありません。
ハンディ・カメラで撮ったらしい映像で、グラグラ揺れる果てしない森の風景は、視覚的に酔うかもしれません。
#映画の前に食べた、サンドイッチを戻すかと思った。
色気の無いお話(真千子さんの一瞬のバスト以外)で、テーマも生死に関わることなので、デート(デート?デートなのか!?)で見るには、重すぎるかもしれません。
#実際、見渡す限り、若いカップルの客はいなかった。
わかりやすい「泣かせ所」があるわけでもないので、どこで泣けばいいのか手がかりがわかりにくい点もあります。
#冒頭からいきなり切ないので、うるっとくるけど、ぽろっとはこない。
特に奈良の名所が取り上げられているわけではないので、自分の知っている場所を眺めて嬉しがることも困難です。

カンヌの時期にあれだけ話題になったのに、今やほとんど忘れ去られてしまった理由がなんとなくわからないでもないわけで。
そんなわけで、あんまりお勧めはしない。

しかし、当方がこれだけの分量の記事にしたわけだから、「なんぼのもんじゃい?」と思って興味を持ってくれた人がいれば、いろいろ語り合いたくなる映画ではある。

コメント (2)

  1. YURA

    何かの番組でうだしげきさんが紹介されていましたが
    本業は古本屋さんなんですよね。
    そのときのコメントでは、もう役者はやらないと思います。と
    おっしゃってました。
    機会があればDVDでみてみようかな。
    ハリウッド映画に見慣れている方にはあれ?っていう印象なんでしょうね。

  2. 木公

    うださん、もう役者やらないと自分で言ってるんですか。
    たしかに、今回の映画の役にクセがあったので、観客も色眼鏡で見ちゃうでしょうから、今後がつらいと思ってるのかもしれませんね。
    前歯の無いあの感じ、いい味出てるから、ちと残念です。

    DVDで見るときは、寝ちゃわないように、いざ注意!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です