第3原理: 合理的な人々は限界的な部分で考える
・・・夕食のテーブルで迷うのは、絶食するか豚のように平らげるかではなく、マッシュ・ポテトをもう一口食べるか否かである。試験が近づいたときには、まったく無視するか24時間勉強し続けるかではなく、もう1時間テレビをみずにノートを復習するかどうかで悩むのである。経済学者は既存の計画に対するこうした微調整を、限界的な変化と呼ぶ。・・・
多くの状況において、人々は限界的な部分で考えることで、最良の決定を下すことができる。・・・限界的な便益と限界的な費用とを比較することにより、・・・価値があるものかどうか評価できる。『マンキュー経済学: ミクロ編』 pp.8-9
これは、当方の座右の書『マンキュー経済学』のイントロダクションに記載されているものだ。著者が経済学においてもっとも重要だと思うことを10のフレーズにまとめたもののうちの一つである(この教科書はいくつかのバージョンが出ているが、『マンキュー入門経済学』が一番薄くて安く、しかも10大原理もおさえてある)。
さて、今夕、手元に回転寿司スシローの割引チケットがあったので、ご飯を食べに行った。このチケットは、1,000円(税込み)以上の食事代に対して、200円の割引がなされる。
なお、スシローは基本的に、一皿105円(税込み)という価格である。
当方は、回転寿司に出かけると「限界的な部分」で食事量を決める。事前に予算を決めて店に入るのではなく、1皿ずつ食べていって、もうお腹いっぱいと思ったところで食事をやめることにしている。少ないときで6皿くらい、多ければ12皿くらい食べるが、平均すればちょうど10皿くらいのことが多い。
10皿食べれば、ちょうど1,050円なので、200円の割引をしてもらえる計算になる。
こういう時っていうのは皮肉なものだ。
「そろそろ満腹になったから帰ろうかな」と思い、そこではじめて手元にある皿を数えてみたら、9皿しか食べてなかった。この場合、食事代合計は945円となり、割引チケットは使えないのだ。
しかも、あと1皿増えれば、合計額1,050円 マイナス 割引200円で、最終的な支払額は850円に下がるのだ。このまま9皿で帰るよりも、100円安くなってしまうというカラクリ。
ここでの限界的な便益は”100円節約できること”で、限界的な費用は”食べ過ぎて気持ちが悪くなること”である。マンキューの第3原理なんかを思い出しながら、じっとレーンを凝視してみたり。
つーか、ここで皿を1枚とって、まったく食べずに会計をお願いしてもいいんだよな、と思ってみたり。僕は食べ過ぎて気持ち悪くなることもないし、代金も安くなるし。しかし、小さい頃から食べ物を粗末にすることがタブー視される家で育った人間なので、それはちょっと避けたい。
次に思いついたのは、隣に座っているお客さんから皿を1枚拝借すれば良いというアイディア。向こうはすでに10枚をはるかに越えるだけ食べているようだったので、割引チケットの条件はクリアしてるし。僕に1枚皿をくれれば、割引200円のみならず、皿1枚分が丸々浮くわけだから、お互いに損はしないし(マンキュー第5原理「交易(取引)はすべての人々をより豊かにする」)。
そんなケチくさいことをつらつら考えていたわけだけれど、考えているうちになんとなくお腹に余裕が出てきて、うなぎの握りが1貫だけのっている皿が流れてきたので、それを食べて問題はクリア。無事、1,050円-200円=850円の支払いで帰ってきました。
ところでこの店は、頻繁に「90円セール」というのをやっている。つまり、通常100円の価格から10%引きするくらいなら、十分に利益が出ているのだろうと想像される。
それに対して、今日の僕は1,000円の食事代に対して200円引いてもらったので、20%ほどのディスカウントだ。90円セールよりは大幅な割引率なのだけれど、店側もそんなに存してないんだろうなぁ、と思ったりする。
僕の想像だけれど、回転寿司屋ってのは、来客1人あたりの限界便益に比べて限界費用が小さいと思うから。つまり、客が一人増えたからといってレーンに流す寿司をそれほど増やすわけではなく(費用が小さい)、むしろ増えた客がレーンの寿司を取ることによって、その人が来なければ廃棄されていたであろう商品も売り上げることができる(便益が大きい)という構造になっているんじゃなかろうか。
だから、僕が100円分せこく浮かしたことも、店側にはそんなに大きな痛手じゃないんだよ、きっと(自分を正当化してるようだな)。
また、同じ店に来た。
現在、8皿(840円)でお腹はちょうどいい感じ。
しかし、あと2皿追加しても、割引券で支払額は850円。うーむ。