初めて松本清張を読んだ。
彼の作品としては、映画化された『砂の器』だけはDVDで見たことがあった。胸を打つ作品だったし、見て良かったと思うし、名作だと信じる。ただし、未見の人にオススメするほどかと言われると、少々口ごもる。昭和中期が舞台で現代とは生活風俗が異なるし、疾病差別という重いテーマが背景にあるので、真剣に見ようと思ったらずいぶんと肩がこるのだ。
このように、僕の唯一の「松本清張・経験」は『砂の器』に集約されており、松本清張は肩こりの固まりみたいな存在としてしか認識されていなかった。だから、有名作家であることは知っていながら、これまで一度も彼の作品は読んだことがなかった。
ところが昨日、単なる暇つぶしのつもりで松本清張の『点と線』の文庫版を購入した。なんで松本清張を選んだのかはよく分からない。それでも、『点と線』をチョイスした理由は、彼の代表作であるという事を知っていたからだ。その上、「アリバイ崩し」もしくは「時刻表トリック」というミステリ・ジャンルにおいて、金字塔と目されていることも知っていたからだ。ミステリ方面に全く詳しくない当方ではあるが、一般常識としてこの作品は読んでおく必要があるかもしれないと、なんとなく思った次第なのだ。
僕は本を読むスピードの早くない人間だが、ほんの2時間くらいで読み終えられた。初めの数パラグラフは、少々堅苦しい文体に面食らいもしたが、ペースを掴んでくるとスルスルと読める。
時は昭和30年代で、新幹線も開通していないし、電話すらあまり普及していなかった時代のようだ。いずれも東京に住んでいる公務員と料亭女中の死体が博多で発見される。一見何の変哲もない心中事件のようだが、その周辺にある陰謀が浮かび上がる。捜査線上にある男が浮かび上がるが、彼は札幌に滞在していたというアリバイがあるという筋書きだ。
犯人のアリバイの根拠も、アリバイの崩壊も全ては時刻表の上に記されている。確かに時刻表がキーアイテムにはなっているが、別に鉄道オタクじゃなくても十分理解できるし、楽しめる。 殺人事件をあつかったドラマや小説では、凶器としてナイフや銃が出てくる。ナイフや銃のマニアじゃなくてもそういった物語を理解し楽しめるのと同様に、本作品を味わうのに鉄道ファンである必要はないのだ。
ただし、自分が昭和30年代の日本国民であったなら、何を常識と考えるだろうかという想像力だけは有していたい。電話が一家に一台あるわけではないし、九州や北海道に日帰りで行くことなんて通常考えられないことだし、男と女が思いつめて一緒に死ぬなんてこともコンビニ強盗程度には起こりうる時代だったのだろう。
そのような、時代に対する想像力をたくましく読めば、最高に良質なミステリ。
ところで、新潮文庫版の解説において、平野謙が物語の中で1点だけロジックに穴があると指摘している(ホームでの目撃)。ところが僕は、彼の意見には賛成しない。あそこは犯人の賭けであり、偶然に賭けたのだと思う。あそこが上手くいかなかったら、別の手段に訴えたのだと思う。奇跡的にうまくいったから、後を計画通りに進めたってことじゃね?あそこで失敗しても、直接的な危機はないもの。
松本清張、気に入った。次は『ゼロの焦点』を読む。