みうらじゅんのメダリオンを入手するために名古屋に来た。
そして、当blogにおけるメダリオンの原点は、2004年11月7日に名古屋城で購入した1枚である。
それから早5年半。
自分がどれだけ成長したのか、もしくは成長していないのか。それを自分自身で見定める必要があろう。そのことを確かめるために、再び名古屋城にやって来た。
5年半の間に退化したとだけは考えたくない。
【名古屋城を見つめる俺】
2004年 | 2006年 | 2010年 |
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自分を撮ることをしていなかった |
ウエストポーチにはタバコが入っていた |
タバコはやめたが、腹が出始めている |
【俺・オン・ザ・鯱】
2004年 | 2006年 | 2010年 |
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バカの始まり |
バカのピンぼけ |
バカは死ななきゃ治らない |
【石垣の材料を引っ張る俺】
2004年 | 2006年 | 2010年 |
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茶髪ロン毛ヒゲ、秋 |
ニット帽ヒゲなし、冬 |
ハンチング帽ヒゲなし、初夏 |
全く成長していない。
実は、2004年の後、2006年1月にも名古屋城を訪問しているのだが、やっていることは全く同じだ。
自分で自分が心配になってきました。
そろそろ本題の記念メダル(茶平工業)に移ろう。
【過去に購入したメダル】
2004年 | 2006年 |
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2004年のメダル |
2006年のメダル。前回と同じ。 |
過去に購入した物は、絵柄こそ他の観光地とは違うが、形状は通常の円形だ。
しかし、今回の俺はひと味違う。
【今回購入したメダル】
表 | 裏(刻印面) |
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大きなキャンバスに比較的精密な絵が描かれている |
中心の鯱の絵は通常版と同じサイズ。刻印部も通常のものと同じ位置。 |
なんと小判型のメダル。
円形のものが400円なのに対して、小判型は800円。つまり、僕はここ数年で2倍の可処分所得を得たということだ。これは大きな進歩だ。
ダテに体重が10%も増えたわけではないのだ。
しかし、通常の物と形状が異なるので、ちゃんと刻印ができるかどうか不安でもあった。
僕はメダルを単に集めるだけではなく、”alm-ore” と刻むことを最重要視しているのだ。
”alm-ore” と彫られていない記念メダルなど、コーヒーの入っていないクリープにも劣る。クリープの入っていないコーヒーなら普通に飲めるが、コーヒー無しの単体クリープに何を求めるというのだ。
800円も支出したので、刻印機の前に移動するときには足が震えた。
はたして、刻印機を見ると、メダルの設置部分が通常のものと異なっていた。ちゃんと小判型のメダルをはめ込むことができるように改造されていた。しかも、小判型メダルの中心部は、円形メダルと同じデザイン&サイズになっており、そこにちゃんと刻印されるような工夫がなされていたのだ。
その工夫に感心しました。
以上、より立派なメダルを購入できるようになったということが、当方の成長の証でした。
なお、ディズニーのキャラクターとタイアップしたメダルがすぐ横で販売されていました。僕はこのシリーズを初めて見ました。
こういう脈絡の無いものを買うほどまでには、僕の魂は未だ成長できていません。
こんな記事を見つけた。
デビュー30周年・みうらじゅんさん回顧展、栄のパルコギャラリーで
>「メダリオンを最初に買ったのは名古屋城のもの」というエピソードも。
http://sakae.keizai.biz/headline/1283/
なんだか、お釈迦様(みうらじゅん)の手のひらの上を飛び回る孫悟空の気分になってきた・・・。
わっしょい楽しませてもらいました。
三度この地に戻ってきたって感じですね。
今回訪問して驚いたことは、石垣引き体験機に待ち行列ができていたことです。
密かに、「綱を引いてわっしょい」ブームが来ているのかもしれません。
名古屋城といえば鯱ではなく「石垣引き」と言われる時代がくるかもしれません。
敷地内には、加藤清正が石引きを指揮する姿を写した像があるのですが、人々は「パワースポット!」と口にしながら熱心に写真撮影していました。
本来は、明治神宮にある「加藤清正の井戸」っつーのが正しいパワースポットのようですが、時代は石引きこそパワーの源と認め始めているのでしょう。