NHK『おひさま』第2回

東京電力の計画停電に関しては「なぁに、かえって国民の省エネ意識が高まる。こんなに効果的な啓発活動はないだろう」などと気軽に考えていたのだが、停電のタイミングによっては朝ドラを見ることができず、いまさらながら事の重大さに気づいた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『おひさま』の第2回目の放送を見ましたよ。

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第1週「母のナミダ」

昭和7年10月。陽子(八木優希)ら、須藤一家が安曇野に移住して1ヶ月が過ぎた。
須藤家は村人たちとすっかり打ち解けたが、洗練された都会的な暮らし向きは彼らと一線を画していた。

陽子と母・紘子(原田知世)は、近所の水神碑へ散歩に出かけた。アルプスの雪解け水が地下水となって流れてきている。石に耳を当てると、水の音が聞こえるのだ。紘子は水こそが命の源であり、全ての生物がここに繋がっていると話し、命の尊さを語りかけるのだった。
一方で、紘子の体調は悪化していった。家事も満足にできなくなりつつあり、家族全員の弁当を陽子が作るようになった。

陽子の小学校の担任は高橋夏子(伊藤歩)だ。自由で気さくな雰囲気を漂わせていて、陽子をはじめ、同級生全員が彼女のことを慕っていた。

小学校で、陽子と特に仲が良かったのは田中ユキ(荒川ちか)だ。可愛くて、賢い女の子で、陽子は彼女に憧れもいだいていた。
しかし、ユキの置かれた境遇は陽子と正反対だった。彼女の家は貧しく、学校に弁当を持ってくることができなかった。それでも、陽子が自作の弁当を分けてやると、ユキはとても美味しそうに食べてくれた。その様子を見て、陽子はとても嬉しく思うのだった。

また、ユキは高橋先生へのあこがれもあり、できれば学校の先生になりたいという。陽子も、勉強が得意なユキはそうなるべきだと思った。しかし、ユキは自分の境遇を考えれば、先生にはなれっこないという。家では「女に学問は必要ない」と言われている上、小学校を出たら家族を助けるために奉公に出されるという。

陽子は、たまたま生まれた家の違いによって、熱心に勉強をしたがっているユキが進学できず、何も目標の無い自分が女学校に進学できることに胸を痛めた。陽子は生まれて初めて、社会の理不尽さを知ったのだ。

その後、実際にユキは学校の先生にはなれなかった。

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放送2回目にして当方の涙腺は決壊しました。このドラマはヤバい。良い意味でヤバい。

昨日の放送と、今日の前半を見ているときには、正直あまり良い印象はありませんでした。
妙に芝居がかって、詩的なセリフ回しに、ちょっと首筋が痒くなっていたのです。特に、原田知世が演じる母のセリフがいちいちメルヘンで参った。「女は太陽だ」とか「水は命の源だ」的な発言。いやまぁ、そういう意見はあっていいのだけれど、僕が朝に見聞きしたいと思うような内容ではない(週末の午後に映画で見るなら楽しめる内容)。

そんなわけで、スイーツ(笑)向けのお気軽頭からっぽドラマかと思ってたわけですよ。

ところが、今日の放送では「富める者と貧しい者の対比」が見事に描かれていた。

冒頭に村祭りのシーンがあるのだが、村人たちはみんな小汚い作業着で集まっているのだが、ヒロイン一家だけは華やかな衣服を身につけている。ヒロイン一家にとっては普段着なのだが、村人たちから見れば高級なよそ行き服だと言えるレベル。
それでも、祭りのシーンは「一家は村に打ち解けました」みたいな、一見ポジティブな様子で描かれていた。

ところが、後半になって、親友で貧しいユキが登場。劇中の陽子はもちろん、うっかりしている視聴者も気づいてなかった、貧富の差をまざまざと浮かび上がらせました。そのショッキングな展開に、僕は動揺してしまい、涙腺決壊。やられた。

昨日のシーンでは、大きくなった陽子(井上真央)が学校の先生になっているらしい写真が登場していました。彼女はユキの果たせなかった夢を、彼女の代わりに実現するという展開なのでしょう。美しい友情です。
また、同じく昨日のシーンで、陽子は母から自立した女になるように言いつけられます。ユキは男尊女卑という境遇の中に生きざるを得ないわけですが、それを打ち破るように生きていくのが陽子であるという対比をこの後描いていくことになるのでしょう。

このドラマは、リップサービスなしで今後の展開が楽しみ。

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