「黄昏(たそがれ)」の語源は「誰そ彼」だそうで。
たとえばWikipediaには、
暗くなって人の顔がわからず、「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味である。
と説明されている。
さらに、同ページには
比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」を表す。
などとも書かれている。
当方は、先月ついに40歳になってしまったのだけれど、そろそろ人生の黄昏時に突入ということだろうか。相変わらずスッタモンダがあったりなかったりで、いろいろトホホな当方です。
本作の主人公である清兵衛(真田広之)も初期中年男性。庄内地方の藩に仕える貧乏な下級武士。城で保存食料の管理をするというケチな仕事をしている。
勤務態度は真面目なのだが、身なりが汚らしく、風呂にも入らないので臭う。仕事を終えた同僚たちは連れ立って飲みに行くのだが、清兵衛は一度も付き合ったことがない。付き合いの悪さと不潔さのせいで、同僚からバカにされている。夕方になるとすぐにいなくなることから「たそがれ」と蔑称が付けられている。
清兵衛が寄り道せずに家へ帰るのは、家事と内職をするためだった。妻は労咳ですでに亡いばかりか、彼女の看病のためにかなり大きな借金を作った。借金ばかりか、2人の幼い娘と痴呆症の母の介護のため、彼には自由な時間が全くなかったのだった。
そんなある日、幼なじみの朋江(宮沢りえ)が実家に帰ってきた。裕福な武士の家に嫁いだのだが、夫の暴力に耐えかねて逃げてきたのだ。昔からふたりは互いに惹かれ合っていたのだが、双方ともにその思いは秘めたままだった。
そして、朋江を巡るトラブルがきっかけとなり、清兵衛が剣の達人であったという過去が明らかになってしまった。家族や朋江と離れたくないという清兵衛の気持ちは踏みにじられ、清兵衛には命がけの指令が与えられるのだった。
・・・そんなお話。
この映画を見ていて、まず驚くことは、画面がものすごく暗い。ストーリーの流れや役者の声で誰が映っているのか判断はできるのだが、顔が真っ黒で見えないシーンが大量にある。まさに「誰そ彼」映画なのである。タイトルに則した画を狙っているとしか思えず、「やるな、山田洋次監督」って感じであった。
本作を見ながら思い出したのは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』というエッセイ(以前、当ブログでも取り上げた)。
谷崎の主張の骨子は「日本文化は、ほの暗いものを前提とした文化である。それが忘れかけられているのは、寂しいものだ」というもの。昔の日本家屋の中で明るかったのは太陽の差す縁側付近か行灯の周辺のみで、部屋のそれ以外の部分は薄暗かった。その陰陽のコントラストにこそ美があるという話。今日のように、照明でまんべんなく照らし出すのは日本の伝統的な美的感覚とは相容れないという話。
僕は谷崎に100%賛成というわけではないけれど、言わんとすることはわかる。そして、その話が頭の中にこびりついていたから、本作の暗い画を見ながら「ああ!『陰翳礼讃』の世界観!!」と思い至ったわけである。そうやって見ると、暗い画面も味わい深い。
ただし、宮沢りえのシーンはたいてい明るい。真田広之がメインのシーンは暗いのだけれど、宮沢りえが出てくると明るくなる。彼女の演じる朋江が明るいパーソナリティを持った人物だという意味でも明るいし、撮影された画面も明るい。
そんなわけで、僕たち中年の永遠のアイドルであるところの宮沢りえをしっかり見れるのが嬉しい。
本作は2002年の映画であり、鮮烈なデビューと扇情的なヌード写真集と刺激的なスキャンダルで1990年代を駆け抜けた宮沢りえが、現在に繋がる「サントリー・伊右衛門のおかみさん」的清楚で奥ゆかしい日本女性へとイメージチェンジした時期だというもの重要な点だ。
とにかく宮沢りえは全編良かったのだが、僕が一番注目しているのは下の画像のシーンだ。
今生の別れのつもりで清兵衛を送り出すシーン。
朋江は武家の娘なので礼儀作法が行き届いている。通常なら、ここでも足をきちんと揃えて送り出すはずだ。
しかし、彼女の足は不揃いだ。左足(画面奥)は指を曲げてつま先立ちのように床に付けている一方、右足はつま先を伸ばして足の甲が床に付いている。
立ち上がって清兵衛にすがり付きたい思い(左足)と、武家のしきたりとして彼を落ち着いて送り出したい気持ち(右足)がこの演技に表れていると言えよう。
#つくづく残念なのは右足が見切れていることだ。
そんなわけで僕自身は主に宮沢りえの運動に注目しながら見ていたわけだが、ストーリー把握としてはちゃんと中年男の悲哀に同情しながら見てました。
ええ年して女に惑わされる人生はどーなのよ、まさに不惑の身としては・・・とか。
ところで、本作は某女子に勧められて見ました。ええ年して女にこの手の映画を紹介されるってどーなのよ、不惑のくせにとかいろいろあるし、読者もその女子の正体について気になるところかもしれないけれど、それはまた別の話。