NHK大阪放送局で3月17日(日)まで開催されているブギウギ セット公開を見学に行った当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第112回めの放送を見ましたよ。
1951年(昭和26年)11月。
羽鳥(草彅剛)は作曲数が2000に達し、自らで企画したパーティを主催することとした。彼の自分勝手な計画は周りを呆れさせるばかりだった。それでも、偉業の達成を讃えるために多くの人が協力することになった。
鈴子(趣里)と茨田りつ子(菊地凛子)は通常の歌のほかに、余興をするよう依頼されていた。
ふたりで相談した結果、ラインダンスを披露することにした。いつも直立不動で歌うりつ子が踊れば、羽鳥をびっくりさせることができると考えたからだ。りつ子は以前から鈴子の踊りのことを「下品だ」とバカにしていた。それを自分がやる羽目になることを最後まで抵抗していたが、羽鳥のためだと説得されて渋々応じた。鈴子の家に通って、足を高く上げるラインダンスの猛特訓を受けた。
こうして、パーティーの日になった。
鈴子の『東京ブギウギ』で開幕し、続いてりつ子が『別れのブルース』を歌った。いずれも羽鳥の代表的ヒット曲である。
りつ子は歌い終えると、前触れなく指を一つ鳴らした。
すると舞台袖から数人のダンサーが揃いの赤い衣装で現れた。ダンサーたちがりつ子の衣装を剥ぎ取ると、中からダンサーと同じ衣装が表れた。
鈴子も同じ衣装で再登場すると、バックバンドは再び『東京ブギウギ』の演奏を始めた。
鈴子とりつ子は、バックダンサーを従え歌い踊った。
りつ子のラインダンスは羽鳥を大層驚かせた。楽しくなった彼は自分もステージにあがり、一緒に踊った。
今日はほぼ捨て回だったような。
いつも仏頂面の茨田りつ子がダイナミックに踊っていたので、菊地凛子ファンには神回だったかもだけど。