横浜の母

別宅のそばにある定食屋の話なんだけど。
定食屋と書いたけれど、僕以外の客はたいてい酒飲んでる。週末の昼に行ってもほとんどの客が機嫌よく酒飲んでる。カウンターに並べられた惣菜を適当に選んで、それを肴にビール飲んでる。多くが常連らしく、客席側に置いてある冷蔵庫から勝手にビールと冷えたグラスを持ってきて好きに飲んでる。
僕はここで酒は飲まないけれど、楽しそうな酔客たちを見ながら定食食べるのが楽しい。

店は、腰も指も曲がった高齢のおばあちゃんがひとりで切り盛りしてる。
いつもカウンターの端に座っているおじいさんがいるんだけれど、どうやらその人が夫らしい。その人は店を手伝うでもなく、じっと座っていつもスポーツ新聞を読んでる。客が立て込んでおばあちゃんが忙しそうにしていても我関せずという感じで座ってる。
通いはじめの頃は「なんだよ、このジジイ」って思っていたけれど、見慣れてしまえばなんともないし、ドラマとかで見る「ヒモ」の実物を見たと思えば笑えてきて楽しい。

僕はいつもこの店で焼き魚定食(900円)を注文する。
魚の種類は選べるのだけれど、僕は鮭以外頼んだことがない。鮭大好きだから。素朴な味噌汁と、おふくろの味的な惣菜小鉢もついてきてほっこりする。
おばあちゃんがひとりでやってる店だから、閉店は早いし、日によって変動がある。そのせいか、仕事帰りによると頻繁に品切れにあたってしまう。
3回に一度くらいの割合で、僕が店に入るやいなや
「ごめんなさいね。今日はもう鮭終わっちゃった」
と言われたりする。僕も他のメニューを注文すればいいんだろうけど、そういう時は「また来ますー」とか言って踵を返しちゃんだけど。

今日は18時前に来た。だいたい20時くらいまでやってると言っていたので、十分間に合うだろうと思っていた。
他に客もなく、カウンターにぼんやりと座っていたおばあちゃんは、扉から覗かせた僕の顔を見るなり
「ごめんなさいね、今日はふつうの鮭ないの。・・・ただ、すごくしょっぱい鮭のアラならあるけど」
と言うじゃない。
いや、僕にとっては渡りに船。あのしょっぱい鮭の身をチビチビと口に含ませながら白飯をかっこむのがサイコーじゃん!

それを頼んで、今日はむしろツイてるなと思って椅子に座ろうとしたら、おばあちゃんが申し訳なさそうな顔をして話しかけてくるじゃない。
え?もしかして、ご飯や味噌汁がなくなったとか?前回来た時は、ご飯も味噌汁も売り切れたと言われて追い返されたばかりなんだよ。

「ちょっとすまないけれど、表の暖簾をはずしてくれない?アタシじゃ届かなくて」

サッと店内を見渡すと、いつものおじいさんがいない。なるほど、あのジジイは、元々背が低い上に腰の曲がっているおばあちゃんの代わりに、開店と閉店の暖簾の出し入れをするという重大な役割があったわけか。もちろんそんなことはお安い御用の晩飯前なのでサッと外してあげた。ていうか、飲食店の暖簾を外すなんて生まれて初めての経験だからちょっとワクワクしたよね。

ていうか、僕は減らず口なので
「この仕事は高く付きますよー。あとで100円負けてくださいね」
なんて言ったりしたんだけど。

でも、これまであまり話をしたことがないので、おばあちゃんの人となりがわからない。真に受けて本当に割引されたら心苦しいので、冗談だと付け足したんだけど。付け足しの付け足しで、「閉店間際に来ちゃってごめんなさい」と謝ったりしたんだけれど。

(実際に食べた焼き鮭定食の写真は取り忘れたので略)

食べ終わった頃、最初と同じようにカウンターに座って休憩していたおばあちゃんが話しかけてきた。
「最近は、豆まきの声も聞こえてこないわねぇ」
ああそうか、今日は節分か。

「昔はよく聞こえたもんなんですか?・・・実は僕は北海道で育ったので、近所の豆まきの声を聞いたことがないんですよ。この季節は真冬ですから家を締め切ってるじゃないですか。その中で豆まきをするから聞こえないんですよ」
なんて答えたり。

そこからは
「家の中が温かいって言いますわね」→夏より冬の屋内のほうがビール美味しい
「北海道は魚が美味しくていいわよね」→特に鮭が好きで、ここでいつも頼んでます
「ホッケもいいわよね」→形は似てるのに、アジの開きとは大違いです!
「ご両親は今も北海道?」→はい、両方とも生きてます。

俺「女性に年齢を聞くのは失礼ですが、おいくつですか?」
おばあちゃん「アタシ?アタシは80。昭和20年」
俺「あ、うちの母とひとつ違いですね」
おばあちゃん「実家には帰ってるの?」
俺「・・・いえ。親不孝なんで、もう何年も帰ってません。お母さんにお子さんは?」
おばあちゃん「50すぎになる息子」
俺「あ、ほぼ同い年。お孫さんは?」
おばあちゃん「いるわよ。でも、いたらいたでタイヘンよ。あなたは独身?」
俺「はい。ていうか、こんな身なりの家庭持ちいたらヤバいっしょwww」
おばあちゃん「ううん。人それぞれだわよ」

今日でおばあちゃんとの心の距離がずいぶん縮まった気がします。
今年の俺なりの「福は内」でした。

なお、焼き魚定食900円はびた一文負けてくれませんでした。

追伸:
僕には、神奈川にもうひとり母がいます。
[alm-ore] FIFTIES / 平塚のレストラン・バー(閉店してます)