お母さんという人たちは、どうして誰彼かまわずたくさん食べさせようとするのか。
僕がこれまでの生涯で「この人と結婚したい」と思った女性は4人いる。どれも成就しなかったから、アラフォーになった現在も独身なわけだが。
上手くいった試しがないとはいえ、必ずしも一人相撲ばかりだったわけではない。それなりに相手のご両親に会ったり、お家で食事をご馳走になったりといった経験がないわけではない。
2番目に結婚したいと思った女性の家に招待されたときは、すき焼きをご馳走になった。すき焼きといえば関西風(割り下を使わずに最初に肉を焼く)、関東風(割り下で野菜や肉を最初から煮込む)といった違いがあることも有名だが、その家でご馳走になったすき焼きに僕はちょっと驚いた。ていうか、すき焼き自体は通常の関東風だったわけだが。
なんと、その家のすき焼きの食卓では味噌汁も出された。鍋物と一緒に味噌汁をいただくという習慣があるとは、それまで想像すらしたことがなかったので、僕はたいそう面食らった。しかし、初めて招待していただいたお宅で、出された食事に怪訝な表情を浮かべるのも良くないだろうと思い、ごく自然な表情をつくろってその味噌汁を頂いた。
味噌汁の具は様々なキノコのごった煮状態だった。あまりの具だくさんキノコに、「もうこれだけですき焼きいらないんじゃね?」というほどのボリュームだった。すき焼きを存分に味わおうと思い、キノコの味噌汁を真っ先にやっつけた。その様子を見たお母さんは僕がよっぽどキノコの味噌汁を気にいったと思ったのか、すぐに味噌汁のおかわりをついでくれた。
お母さんという人は、とにかくいっぱい食べさせようとする人だ。
3番目に結婚したいと思った女性のお母さんは、仕事をしていてそれなりに忙しい人だった。仕事が終わって疲れて帰ってきたのに、僕のためにごはんを作ってくれた。手間を省いて、手早く簡素な料理だったけれど、十分美味しかった。香ばしく焼かれた塩鮭が美味しかった。それだけでご飯がずいずい進んだ。
さらに嬉しかったのは、有名メーカーかねふくの明太子を大量に出してくれたことだ。それまで明太子をあまり食べたことのなかった僕だったのだけれど、その明太子がとても美味しくて遠慮無くバクバク食べた。ますますご飯が進んだ。どんどん食えといって、ご飯を何度もおかわりさせてくれたし、惜しむことなく明太子をバンバン食べさせてくれた。腹がはち切れんばかりに飯を食った。
お母さんという人は、まさしくいっぱい食べさせようとする人だ。
4番目に結婚したいと思った女性のお母さんとは、一度お会いして会釈をしたことがある。それだけだ。特に記することはない。生きていれば、まあそういうこともある。
ただ、その4番目に結婚したいと思った女性から話を聞いた限り、彼女のお母さんもやっぱりいっぱい食べさせようとする人だったらしい。
以上、僕が結婚したいと思った4人の女性のうち、3人のお母さんのエピソードを紹介した。
しかし、僕の生涯で最初に結婚したいと思った女性のお母さんのエピソードだけは書かなかった。
理由は簡単だ。残念ながら、そのお母さんに会ったことがなかったからだ。このことは一般的に言って、かなり残念なことである。
けれども、もっと悲惨なことは、僕はその「結婚したい女性」と一度も口を聞いたことがないという事実である。5mほどの距離で一方的に彼女を見たことは3回ほどある。しかし、彼女は僕の存在すら知らないことだろう。
そう、僕が生涯で最初に結婚したいと思ったのは中学1年生の時で、相手は山瀬まみだったのだ。
中学1年生の時に結婚したいと思い、一度も会ったことはなかったが、いつか出会えるチャンスもあるだろう、そうしたらプロポーズしようと心に決めていた。10年間一途に思い続けた。その間、カノジョができたこともあったが、「山瀬まみと付き合えるようになったら、キミとは別れる」と真剣に言ったりしていた。
ところが、みなさんもご存知の通り、1999年6月26日(土)に山瀬まみは俳優・中上雅巳と結婚してしまった。日本では重婚が認められていないので、法律的に僕は山瀬まみと結婚することができなくなった。それでも、いつかふたりが離婚するときもあるだろうと思い、その日を夢見つづけている。しかし、彼女らの結婚から12年経ったが未だに離婚の可能性は聞こえてこない。ちくしょう。
しかし、いつまでも手をこまねいている場合ではない。
日本には「将を射んと欲すればまず馬を射よ」という諺もある。この諺は、現代では「女の子を口説こうと思ったら、まずはその母親を口説け」という意味だと解釈されている。
そこで、山瀬まみの出身地の神奈川県平塚市に行ってきた。
平塚には、山瀬まみの実の両親が経営するレストラン・バー “FIFTIES” があるのだ。
この店は1950年代アメリカをイメージしている。当時のアメリカのバーをイメージした内装だ。’50チックなBGMも流れている。僕が知っている曲は “Be Bop a Lula” だけだったが。
カウンター席4つの他に、4人がけテーブルが5-6脚用意されていた。
どちらかと言うと、食事よりもアルコールがメインのようだった。カウンター奥の棚には酒の瓶が大量に並べられていた。ゆっくりとお酒を楽しみたい雰囲気であったが、僕は車で出かけていたのでコカ・コーラを頼んだ。
フードメニューをパラパラとめくると、やはり酒のつまみやスナックが主のようだった。それでも、パスタやハンバーガーといった食べごたえのありそうなものもできるようだった。
僕は、店名を冠した「50’sバーガー」(1,260円)をオーダーした。
店には、山瀬まみのお母さんがいらっしゃった。テレビで彼女の写真を何度か見たことがあったので、すぐにそうだと分かった。他に、店員の女性が1名。山瀬まみのお父さん(逸見政孝に似ていることで有名)は不在だった。
山瀬まみ本人を目の前にしたわけでもないのに、僕は極度に舞い上がり、緊張し、完全に萎縮してしまっていた。すぐそこに大好きな山瀬まみのお母さんがいるのに、カウンターに座ってもじもじとうつむくばかりだった。
注文も支払いも、店員の女性に声をかけた。本当は、まみママといろいろ話をしてみたかったのに、それは叶わなかった。唯一、トイレの場所を案内してもらっただけだった。
それでも、何よりも嬉しかったのは、僕の食べるハンバーガーを調理していたのが山瀬まみのお母さんであるということだ。店員の女性がカウンターで洗い物をしている間、奥の厨房でお母さんが調理してくれていたようだ。
僕の頼んだ「50’s バーガー」は、写真の通りかなりのボリューム。レタス、トマト、オニオン、チーズ、ハンバーグが分厚く重ねてある。パンは軽く焼かれていて、香ばしく、カリッとした食感も美味しい。店員の女性から「上のパンを一度はずして、ケチャップとマスタードをお好みでかけてください。パンを戻したら、ギュッと押しつぶして食べてください」と食べ方をレクチャーされた。ちょっと潰し過ぎかな?と思うくらい押し付けて食べてちょうど良かった。ハンバーガーが崩壊することなく、手やテーブルを汚すこともなく、きれいに平らげることができた。
シンプルだが飽きない味で、また食べたい一品。当方が山瀬ファンだということを差し引いても、十分に美味しいと思われます。
そして、この巨大なハンバーガーよ。
やはり、お母さんという人たちはたくさん食べさせようとするものらしい。
【FIFTIES】
住所: 神奈川県平塚市宝町11-2
電話番号: 0463-22-9850
営業時間: 18:00-0:00, 2:00 (曜日による)
定休日: 日祝。たまに月曜日。
駐車場: なし (近隣にコインパーキング多数)
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なんかじーんと来た。確かに,お母さんという人たちはたくさん食べさせようとする。前に付き合ってたお宅でも,これでもかというぐらいに手巻きずしの材料が並んでいて,どう考えてもそれは8人分はあるだろうという量。今,4人しか食卓についてないのに。
とても良いブログだったから「イイネ」があったら押したいぐらいだ。
で,最後にAmazonの「関連本」が紹介されている。なぜか「山岳地形と読図」が並んでいて,その理由がしばらく分からなかった。
著者が平塚晶人さんだった・・・
上の方に facebook の「いいね!」ボタンは設置してあるのですが、「イイネ」とカタカナ表記しているということは mixi のやつですね。mixi はチェックボタンしかなくてごめんなさい。
手巻き寿司、1人あたり二人前というのもびっくりですが、手巻き寿司なら食べられそうな気がします。・・・でも、「お客さんだから」といって2.5-3人前を引き受けさせられるわけですね。容易に想像できます。;-)
いい機会なので、mixi のイイネ・ボタンを設置してみました。
思い詰めている中学一年のAlmoreさんを想像して、胸がキュン(死語ですみません)としました。FIFTIES、素敵なお店ですね!!
「胸キュン」は僕の周囲では今でもバリバリ使われています。全然死語なんかじゃないです、大丈夫です。
実際僕は、車を運転しながら「君に、胸キュン。」を鼻歌することもしょっちゅうです。
FIFTIES は、次回は電車で行ってみようと思っています。酒のんで気が大きくなったら、まみママと話ができそうです。
ありがとうございます。「君に、胸キュン。」、Almoreさんと私、限りなく同世代だと思います(^ ^)
次回はまみちゃんのお母さんとお話ができるといいですねー!