NHK『おしん』第13-18回(第3週)

どうも自宅HDDレコーダーが不調でDVDに移すことができず、せっかく全話をDVDに保存しておこうと思ったのにそれができないとなるとすごく萎えてしまうだろう当方が、NHK連続テレビ小説アンコール『おしん』の第3週を見ましたよ。

* * *

(第13回)
おしん(小林綾子)は、つね (丸山裕子)の金を盗んだという濡れ衣を着せられた。どんなことがあっても春までの辛抱だと耐えていたはずなのに、我知らず緊張の糸が切れ、無断で奉公先を飛び出してしまった。実家に帰るつもりで山に入っていったが、激しい吹雪となり、おしんは行き倒れてしまった。

おしんが目を覚ますと、粗末な山小屋の藁布団の中で、知らない男と一緒に寝ていた。
男は俊作(中村雅俊)という猟師だった。松造(大久保正信)という老人とともに、山の中で暮らしているという。俊作は山の中で凍死寸前のおしんを見つけ、小屋まで運んで一晩中暖め続けたので。おかげでおしんは九死に一生を得た。

おしんは一晩で回復したので、松造はおしんを山の麓まで送って行こうとした。しかし、おしんは帰ることを拒否した。逃げ出してきた奉公先には戻りたくないし、実家に帰るわけにもいかない。どこにも行き場所がないと訴えた。その話を聞いて、俊作はしばらく預かってやることにした。おしんには深い事情があるのだろうと察したのに加え、いずれにせよこの深い雪では故郷に帰れるわけもないからだ。春まで置いてやることにした。

陰で、松造は俊作に小言を行った。自分たちは世間から隠れて山に暮らしているのに、よそ者と関わるろくな事にならないというのだ。後におしんが自分たちの居場所を漏らしてしまうと、命が危なくなる。隠れ家の場所を深く知る前に帰すのが得策だというのだ。しかし、俊作は聞き入れなかった。おしんも自分たちと同じように何かから逃げている。そのような人間を放ってはおけないというのだ。

その頃、おしんの奉公先では騒ぎになっていた。
つねの財布からなくなっていた50銭銀貨は、主人・軍次(平泉征/現・平泉成)が無断借用したと言うのだ。支払いをするときにちょうど銭がなかったので、そこにあった財布から借りたのだ。軍次はうっかりしていて言い忘れたと謝った。おしんの所持していた銀貨は彼女自身のものだったということが証明されたのだ。
しかし、主人の行いに対して、つねは何も抗議しなかった。その上、おしんに気の毒をしたと反省する色も見せなかった。おしんは自分が米1俵と引き換えに奉公に来たということをよく理解しており、その責任を果たすために、すぐに戻ってくるだろうと楽観的に考えるばかりだった。

おしんには、俊作と松造が何者かはわからなかった。しかし、一見怖い顔の俊作ではあるが、どことなく眼差しが優しいことに気づいていた。おしんは俊作に妙な安らぎを感じ取っていた。

(第14回)
俊作らは粗末な暮らしをしていた。猟で仕留めた獣や少ない野菜を煮込んだものを食べていた。動物の毛皮や山で作った炭を春になったら麓に売りに行き、他の必要な物を手に入れるのだという。それでも、おしんには目新しい生活が楽しくて仕方なかったし、毎度暖かい食事にありつけるのもありがたかった。

おしんは、奉公先を飛び出した経緯を話した。奉公が辛かったり、盗みの疑いをかけられたことを苦にして逃げたのではないと説明した。奪われた50銭銀貨は、自分がどんなに腹が減っても使わなかった金だ。同じように、祖母(大路三千緒)が食べるものを我慢して作ったへそくりだ。その金が奪われたことを悲観し、また、実家に繋がる川の流れを見ていると、我知らずに歩き出してしまっていたと話した。

俊作はおしんに同情した。おしんの名は「信」(信じる)、「心」(こころ)、「芯」(物事の中心)、「新」(新しい)、「真」(真実)、「辛」(辛抱)、「神」など、様々な意味を持ち、良い名であると褒めた。その名前に負けないように、強くい生きろと励ました。そして、これまでの辛かったことは全て忘れて、春までゆっくりとここで過ごせと言うのだった。

しかし、松造は俊作とは反対の立場だった。ここでの生活が他人に知られると身が危険であるばかりか、そもそも質素な生活であるところにおしんの食料まで負担が増えるというのだ。それにもかかわらず、俊作はおしんが満腹になるまで際限なく食事を与えた。
松造は、貧乏な農家の三男として生まれたという。幼い頃は村長の家で奉公し、年季が明けて実家に帰ったが相続する土地がなかった。仕方なく、山へ入り炭焼の仕事を始めた。貧乏なためになかなか結婚できなかったが、なんとか妻を娶り2人の息子も生まれた。ところが、そんな息子たちに残す財産などあるはずもなかった。息子はいずれも軍人になり、日露戦争の203高地(中国旅順)で2人とも戦死した。以後、ひょんなことから俊作と出会い、親子同然として暮らして今に至る。
松造は、おしんの前であることも忘れ、俊作に自分の命を大切にしろと説得するのだった。

それでも、おしんが俊作らと暮らし始めて20日ほどが過ぎた。俊作の猟について行ったり、松造の炭焼を見学したりと、全てが新鮮であった。実家のことも奉公先のことも、全ては遠い世界のおとぎ話のように思えてくるのだった。

その頃、つねは源助(小倉馨)を呼びつけていた。彼がおしんの奉公を世話したのだ。いなくなってから20日も経ったのだから、もう実家に帰っているに違いない。おしんは年季明けの前に帰ってしまったのだから、先払いした米1俵を取り返して来て欲しいというのだ。おしんは使い物にならないので、もう帰ってくる必要はないと告げた。
ただし、おしんから取り上げた50銭銀貨だけは源助に託し、本人に帰すよう頼んだ。

(第15回)
源助はおしんの実家に来て、力づくで米を奪っていった。
ふじ(泉ピン子)と作造(伊東四朗)はおしんが出奔したことなど初耳で、おしんも帰っていないと訴えるが源助は容赦がなかった。

作造は激怒した。今後おしんが帰ってきても、二度と敷居をまたがせないと息巻いた。
一方のふじはおしんがもう死んでいるものと思った。この雪深い中、子どもが一人で山に入ったら到底生きているはずがないからだ。せめて遺体だけでも探そうと飛び出したが、作造が押しとどめた。子どもはおしんだけではなく、先日生まれたばかりの赤ん坊も含め、他の家族もいる。それらの面倒も見ずに家をでることは許されないというのだ。ふじは悲しんだ。
源助が持ってきた銀貨は、祖母の手に戻った。最後の望みの現金すら持たずに飛び出すとは、おしんに何があったのか想像もつかなかった。

俊作の家で世話になっているおしんは、せめてもの償いにと、あれこれよく働いたし、あかるく健気だった。
ところが、俊作はおしんが必要以上に働くと、怒るような素振りを見せた。おしんには理由がわからなかったが、俊作は必要以上に情が移ったり、懐かれたりするのを避けようとしていたのだ。むしろ、そういった感情を抑えることがすでに難しくなっており、俊作はおしんを預かったことをすでに後悔し始めていた。

俊作は、複雑な思いを抱えながら、戸外でハーモニカを吹いていた。それは肌身離さず、いつも持っているハーモニカだった。ハーモニカを初めて見聞きするおしんは、それが珍しくて仕方がなかった。そばによってよく聞こうとするが、俊作は無言で立ち去ってしまった。
おしんは悲しくなった。ここでも自分は邪魔者扱いされているのだと思ったのだ。この世で自分に優しくしてくれるのは、実家の母と祖母しかいないと思った。

そんなある日、俊作が酷い熱を出して倒れた。服を脱がすと、腹に大きな傷跡があった。松造によれば、その古傷のせいで、俊作はよく高熱を出すのだという。203高地での戦闘の際に当たった銃弾が体内に残り、それが原因なのだという。
おしんは、寝ずに看病を行った。一晩中、何度も外に出ては雪を取ってきて、それを溶かした水で俊作を冷やしてやった。俊作が目を覚ますとおかゆを作ってやり、汗で汚れた衣類はすぐに外へ洗いに行ったし、着替える前の衣類は火で炙って暖めた。

(第16回)
おしんの献身的な看病が俊作の心を開いた。体調が回復すると俊作は字を教えた。おしんにとっては、字を習うことも嬉しかったが、それよりも俊作の優しさが何より嬉しかった。

俊作らの貧しい生活には、まともな文房具などなかった。そのため、木の皮や板切れに消し炭で字を書いた。豊かな現代に暮らすおしん(乙羽信子)はその時のことを覚えており、部下や家族が鉛筆やボールペンを粗末にすると今でも怒る。俊作との暮らしで学んだことは、物がなくても幸せになれるということだったという。
そして、もっと重要なことは、生きるとはどういうことなのか多くのことを学んだのだという。

俊作の小屋には何冊かの本があった。その中に、木の葉をしおりにしてある物(『明星』)があったので、おしんは手にとって読んでみた。それは、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」であった。漢字にふりがながあったので、おしんは全て読むことができた。けれども、意味はさっぱりわからなかった。

それは俊作が一番好きな詩だという。俊作は意味を教えた。戦争に行った弟のことを悲しむ歌であり、弟は戦争に行くために生まれ育ったのではない、きっと生きて帰ってきて欲しい、そういう内容だと教えた。続けて、俊作は戦争がいかに馬鹿げていて非人道的なものであるかを話して聞かせた。戦争は相手の物をたくさん壊し、たくさん殺した方が勝つ。人を傷つけることは良くないことだと誰もが知っているのに、戦争の時だけは手柄だといわれる。こんなにおかしなことはないと言うのだ。
そして、将来、日本が戦争を始めようとしたら、全力で反対しろと説いた。一人ひとりの力は小さくても、団結すれば大きな力となって国家を変えられると説得した。おしんはまだ幼かったが、俊作の言わんとしていることはよくわかった。俊作は、その本をおしんにくれた。
俊作は、自分も軍隊で大勢の人を殺したと告白した。だから軍人を辞めたのだと説明した。

(第17回)
正月が近づいた。

ふじは、家から米を1升持ちだして寺へ行った。すでに死んだであろうおしんに戒名を付けてもらうためである。それでも、一番安い戒名しかもらえなかった。その行為に、作造は激怒した。持ち出した米が数日分の食料に匹敵するからだ。それを何の腹の足しにもならないものに変えてきたのが腹立たしいのだ。米がなくなったことの腹いせに、今年の餅つきは中止することにした。人が死んだ家では正月行事を自粛するというのが言い分だった。
ところが、作造の胸には別の思いもあった。まだ、おしんが死んだとは信じたくなかったのだ。おしんが生きていると信じているからこそ、戒名をつけるという縁起の悪い行為が許せなかった。

俊作の小屋では餅つきを行うことになった。これまで餅つきなどやったことはなかったが、今年はおしんがいるので特別だという。この日のためにこっそりと準備しておいたもち米と、松造が手作りした杵と臼が用いられた。それに加えて、おしんの毛皮の羽織を新しく作ってくれた。それまでは俊作のブカブカの毛皮をまとっていたのだが、今度のはおしんの体に合わせて作ってあった。おしんは幸福感に満ち足りた。
本当は、雪が溶けたら麓まで売りに行くはずだった毛皮をおしんのために使った。当初は反対していた松造だが、今ではおしんのことが実の孫のようにかわいく思えてきたのだ。

ある日、九九を覚えたおしんに、俊作は話しかけた。
生きていれば、辛いことや苦しいことに加え、嫌な人間に会うこともある。しかし、恨んだり憎んだりしてはいけない。人を憎んだり、傷つけたりすると、それは結局自分に跳ね返ってくる。その代わりに、相手の気持ちになり、その人がそうする理由を考えろと言うのだ。その時、自分に落ち度があることに気づいたら、そこを直して成長すべきだ。万が一、相手の攻撃に理由がない場合には、その人のことを憐れむのが良い。心が貧しい、気の毒な人間であると憐れむべきだ。
おしんには、人を許せる人間になってほしい。いくら勉学を身につけても、心が豊かでなければそれらを活かすことができない。人を愛することが出来れば、人からも愛してもらえる。そうすれば、心豊かに生きていける。

以上が俊作の教えだった。残念なことに、おしんには「愛」とはなんなのかわからなかった。しかし、俊作が戦争で人を殺したことを悔いていることはよくわかった。そして、愛をまだ知らないが、人を愛する人になろうと決意した。

(第18回)
春が近づいてきた。まだ雪は残っているが、おしんでも歩けるほどまで溶けてきた。

いよいよおしんが去る日が来た。翌朝早く、松造がおしんを送って行くことになった。俊作は逃亡兵として追われる身なので、人里に近づくわけにはいかないのだ。ところが、松造は足を滑らせて捻挫してしまった。しばらくの間、山道を歩くことができない。おしんは、自分の旅立ちが延期されると思い喜んだ。しかし、俊作は予定通り出発すべきだと主張した。帰る日が長引くほど、おしんも帰りにくくなるだろうから、早い方が良いというのだ。俊作が注意深く、麓の村の近くまで送ると言って聞かなかった。

出発の前、おしんはもう一度ハーモニカを聞きたいとせがんだ。ひと通り吹き終えると、俊作はハーモニカをおしんに譲った。今後、おしんには辛いことや悲しいことがあるだろうが、それを吹けば慰めになるというのだ。また、俊作も過去の自分と決別したいと思っていた。そのハーモニカは出征前に購入し、戦場でも肌身離さず持っていた。ハーモニカとともに、戦争の記憶も忘れてしまいたいというのだ。俊作はおしんにハーモニカの手ほどきをした。

そうして、俊作とおしんは出発した。
やっと麓の村が見えてきた時、前方から数人の憲兵隊がやって来るのが見えた。とっさに身を隠したが、俊作はすぐに見つかってしまった。自分は一介の猟師であり、妹を親戚に預けて学校に通わせるのだ、不審なところは無いなどと言い逃れようとしたが、彼らには通用しなかった。抵抗して逃げようとした俊作は、その場で射殺されてしまった。

俊作の最期の言葉は、おしんは後悔のない生き方をしろと言うものだった。

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NHK『おしん』第7-12回(第2週)

このドラマのまとめ記事はもうやめようかと思ったんだけれど、当ブログを読んだ人から「おしんって、子供時代から始まるんじゃなくて、老婆の回想という構成なんだね。知らなかった!」と言われ、ちょっと役に立ったなと思うと嬉しくなり、もう少しがんばろうという気になった当方が、NHK連続テレビ小説アンコール『おしん』の第2週を見ましたよ。

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(第7回)
明治40年。
山形の寒村の小作農の娘として生まれたおしん(小林綾子)は、口減らしのために奉公に出されることになった。おしんの年季は1年で、その対価として米1俵が先払いされた。

明日、おしんは旅立つ。母・ふじ(泉ピン子)は、おしんの旅立ちのために白米をたっぷりと炊き、家族全員で食べた。父・作造(伊東四朗)は貴重な米を無駄に使うなと怒るが、ふじは聞く耳を持たなかった。ふじは、おしんの奉公おかげで良い米が食べられると感謝すると共に、辛い思いをするだろうから今のうちにたっぷりと食っておけというのだった。

その夜、おしんが目を覚ますとふじが縫い物をしていた。ふじは、自分が嫁入りの時に持ってきた着物をおしんのために仕立て直していた。貧乏のために多くの嫁入り道具を売り払ってしまったが、その着物だけは手放さずに残していたのだという。ふじはいつも野良仕事に忙しく、おしんをかまってやれなかった。そのことを心から謝るのだった。それでも、これまでは一緒に暮らしてきて、助け合うことができた。けれども、これからは誰も頼れないので、一人で生きていく覚悟を決めろというのだ。
ただし、どうしても辛抱できなくなった時にはいつでも帰って来いと優しく声をかけるのだった。

翌朝、奉公先の中川材木店の見習い・定次 (光石研)がおしんを迎えに来た。彼は、山で切り出した材木を筏に組み、川下の店まで運ぶ役を担っていた。その筏におしんを乗せて連れて行くのだ。
ふじは猛反発した。通常の船に比べて、筏は危険だし、雪解け水で冷たい川のしぶきがおしんにかかることを心配したのだ。しかし、父・作造はそれで良いと言う。船で送ることになると、自分たちが船賃を負担しなければならない。筏に便乗するだけなら無料だから、文句を言えないというのだった。そう言われると、誰も反対できなくなった。

祖母・なか(大路三千緒)は、おしんにこっそりと50銭銀貨を手渡した。それは、祖母が苦しい生活の中で一生懸命ためたへそくりの全額だった。おしんは祖母の愛情を感じ取り、それを大事にすると誓った。

いよいよ、おしんが家を出た。
母・ふじは川までおしんを見送りに来た。しかし、父・作造は仕事が忙しいといって見送りに行かないと言いはった。むしろ、仕事もせずに見送りに行くというふじに対して悪態をついた。
いよいよ、おしんを乗せた筏が出発した。おしんは、声を限りに母に声をかけ続けた。
母の姿が見えなくなった頃、不意に岸の上に作造の姿を見つけた。その姿を見て、おしんは察した。作造も決して喜んでおしんを奉公に出したわけではなかったのだ。彼も辛い思いをしていたのだ。ただし、家族の前では弱みを見せるわけには行かず、冷たい態度を装っていただけだったのだろうと。

おしんはやっと奉公先の中川材木店に着いた。しかし、筏に酔ってしまい、フラフラになっていた。
出迎えた女将(今出川西紀)や指導係のつね (丸山裕子)のおしんに対する第一印象は最悪なものとなった。思っていた以上に体が小さく、弱そうで、頼り甲斐がないと思われてしまった。

(8回)
おしんは川下りの疲れから眠りこんでしまった。目を覚ますと、薄暗くて狭い物置のような部屋に寝かされていた。そこがおしんの個室となった。おしんは、知らない家で心細くなり、生まれて初めて一人ぼっちの気分を味わった。

目を覚ますと、指導係のつねに連れられて、主人(平泉征/現・平泉成)や女将と面会した。おしんの仕事は、赤ん坊(高階則明)の子守りだった。女将はおしんが7つだと聞いて驚いた。9つの娘が来ると聞いていたのに、騙されたと言うのだ。約束が違うし、おしんは体も小さく幼いので送り返すべきだと主張した。
しかし、おしんは家に帰されると困るといってたてついた。家では下のきょうだいの子守りをしていた経験があるから大丈夫だと胸を張った。主人は、一度来てしまったものは仕方ないし、おしんの芯の強さや面構えが気に入ったといって、雇い入れることにした。女将も渋々従うしかなかった。
ただし、指導係のつねは9つの子が来たと思って扱うと、始めから厳しかった。

その日の夜、おしんは食事が与えられなかった。船に酔った後は何も食べない方がいいと、つねが言い張ったのだ。おしんは何も言えず、それに従うしかなかった。ただし、その日は母が持たせてくれた白米の握り飯があったので飢えを凌ぐことができた。

翌朝。おしんは朝5時に起きることになっていた。炊事と掃除の手伝いを行い、店が始まったら女将の代わりに閉店まで赤ん坊の子守をする約束になっていた。けれども、初日からおしんは寝坊をして、つねにこっぴどく叱られた。
大きな店なので当然白米を食べられると思っていたのに、ここでも大根飯だった。つねが言うには、若い衆を5人も雇っているので、白米だけを出していては持たないというのだ。しかも、おしんはみんなと一緒に朝食を食べさせてはもらえなかった。皆が食事をしている間に掃除をしろと言うのだ。言われるがままに行い、やっと朝食にありつけると思ったら、茶碗1杯分と一切の漬物しか与えられなかった。

そして、子守りの1日目が始まった。乳を与える必要があるから、家からあまり離れるなと命じられた。そして、乳の時間にはオシメの洗濯もやらされた。洗濯は川でやるよう指示されたのだが、雪解け水はまだ冷たかった。
また、おしんにとって赤ん坊はとても重かった。しかも、この赤ん坊はおしんが腰を下ろすとすぐに泣いた。ゆえに、おしんは一日中立っていなければならず、足が棒のようになるのだった。

おしんは、近所の子供らが学校に行く様子を見て憧れた。
見習いの定次は、自分たちのような奉公人は学校へ行っても何の役にも立たないと言うのだった。それよりも、奉公仕事を一人前にする方が先だというのだ。定次も学校には行っていないが、筏の組み方や材木の目利きを覚えた。おしんもつねに一人前に仕込んでもらった方が良いと助言するのだった。

(9回)
実家では、母・ふじがおしんの身を案じていた。何の連絡も来ていないが、便りのないのは良い知らせだと信じるしかなかった。ふじは、自分が字を知っていれば手紙の一つでも書いてやれるのにと悔しがるのだった。おしんにもせめて読み書きだけは身につけさせてやれればよかったと悔やむのだった。

春になった。奉公の辛さは、おしんの想像をはるかに超えていた。それでも、赤ん坊を背負っている時だけは気が休まった。誰にも怒鳴られることなく、比較的自由に過ごすことができたからだ。

ある日、近所の子供たちの後を追って、小学校に行った。窓から教室を覗き、字の読み方をこっそり学んでいた。すると教師(三上寛)に見つかってしまい、おしんは慌てて身を隠した。さらにおしんは学校にとどまり、校庭で遊ぶ子供たちの様子を眺めていた。するとさっきの教師がやって来て、年齢と奉公先を聞かれ、答えた。少し話をしたが、おしんは乳の時間であることを思い出して、慌てて帰った。

その間、中川材木店ではおしんがいないことで大騒ぎになっていた。定次や女将は無事に帰ってきたからと大目に見たが、つねだけはひどい剣幕だった。おしんを張り倒した。つねはおしんを厳しく躾ける必要があると考えていた。おしんの奉公は1年間だけだが、その間に出来る限りの仕事や作法を教えておきたいと思っていたのだ。そのことを周囲に説き、おしんには厳しく当たる必要があると力説した。おしんも、自分の軽率な行動を心から詫びた。

その日の夕方、小学校の教師が中川材木店に訪ねてきた。おしんは、学校に無断侵入したことを厳重注意されるのだと思い震え上がるのだった。

(10回)
教師は主人と女将の前で、義務教育のことを話した。たとえどんな子供であっても教育を受ける権利があるし、保護者にはそうする義務があるというのだ。それは、おしんにも適用されると説得した。しかも、おしんには強い向学心のあることがわかったと言う。どうしても小学校に通わせて欲しいと頼んだ。
女将は反対した。奉公人を学校に通わせるという話は聞いたことがないし、子守りの仕事も大事だというのだ。しかし、主人は賛成する立場だった。どうせ子守りの間は時間があるのだから勉強しても良いし、預かった子供を大切に扱う必要があるというのだ。子守りをしながら通うことを学校が認めるなら、行かせてもいいと言うのだ。それは教師が受け入れた。

すぐにおしんが呼ばれ、本人の意思を確認することになった。おしんは大いに喜び、学校に通えることが決まった。教科書や学業道具は、教師が上級生のお古をかき集めてくれることになった。
それでも、つねは猛反対した。奉公人の分を超えているというのだ。学校に行くなら、罰として昼食を抜くという。それでもおしんは学校に通いたいと言い張った。おしんの決意はそれほど強かった。

翌日、おしんは意気揚々と学校に出かけた。教師は、教室にオシメを替えるための場所とゴザまで準備してくれた。放課後には、おしんのためだけに補講までやってくれた。おしんはカタカナを全て覚えた。

しかし、昼食抜きはさすがに辛かった。学校の帰りに駄菓子屋の前を通りがかり、祖母からもらった50銭で買い食いをしようかと思った。けれども、祖母が大切に貯めた金を使うとバチが当たると思い、踏みとどまった。

(11回)
おしんが学校に通い始めて1ヶ月経った。
つねは、昼飯抜きにすればおしんはすぐに音を上げて、子守りだけに集中するだろうと思っていたのに、そのあてがはずれた。女将は、奉公人に食事を与えないことが噂になると困ると言ってたしなめるが、つねは「奉公人を学校に活かせる方がよほど笑いものだ」と言って、聞く耳を持たなかった。

おしんは、つねの冷たさに耐えていた。それが耐えられるのも、教師の優しさがあったからだ。彼は、おしんのために芋などを持ってきてくれた。それで飢えをしのいでいたのだ。川でオシメの洗濯をしながら、おしんはこっそりと差し入れを食べた。彼にも家族がいるだろうに、やりくりをして自分に食べ物を持ってきてくれることを何より感謝した。

学校の帰り道、おしんは同級生の金太(長谷川幹樹)らに捕まった。教室で赤ん坊が泣き出したのに対して、金太が怒鳴ったのだ。それに対して、教師は金太を叱った。そのことを逆恨みしたのだ。しかも、教師から食べ物までもらって贔屓されているというのだ。おしんを木の棒で打ち付け、二度と学校に来るなと脅した。誰かに告げ口したら、赤ん坊を殴り殺すとまで言うのだった。

そのせいで、おしんは家に帰るのが遅れた。つねにはまたしても叱られるが、女将がおしんの様子のおかしいことに気づいた。手や足から血が出ているのが見えたのだ。おしんは道で転んだと嘘をついた。
その上で、明日から学校に行くのはやめると打ち明けた。女将は誰かに意地悪をされたのかと聞くが、おしんは答えようとしなかった。つねはやっと自分の思い通りになったといって大喜びした。

おしんは、学校に忍び込み、教師から貸してもらった教科書などを机に置いて返した。誰にも理由は告げなかった。翌日、心配した教師が家まで様子を見に来たが、本当の理由は一切答えなかった。勉強が難しくてついていけないから学校を辞めたいという一点張りだった。そして、優しくしてもらったことは忘れないと付け足すのだった。

そうして、夏になった。おしんはもう学校に通っていない。
ある日、定次が声をかけた。山に入り、材木を筏に組んで流す仕事をすることになったという。そのついでに、おしんの実家に寄ることができるから、伝言を請け負うというのだ。おしんは手紙を書くことにした。カタカナばかりであったが、生まれて初めてのことで、徹夜になってしまった。また、何を聞かれても「手紙に書いてある」と答えるだけで、定次はおしんの様子について一切しゃべらないことを頼んだ。

(12回)
朝早く、定次はおしんの実家についた。おしんが学校に行かせてもらい、覚えた字で手紙を書いたのを持ってきたと言うと、母・ふじはたいそう喜んだ。仕事に行くのをやめ、祖母・なかを起こして一緒に手紙を見るのだった。父・作造だけは定次を無視して畑へ出てしまった。

ただし、ふじもなかも字を読むことができなかった。カタカナだけは知っている定次が代読した。
ところが、手紙には嘘ばかり書いてあった。食事を腹いっぱい食べ、家の人は全員優しく、与えられた仕事も楽だと書いてある。定次はおしんとの約束を守り、書いてあること以外は何もしゃべらなかった。それを嘘だと知らないふじとなかは涙を流して喜んだ。定次は複雑な思いだった。

材木店に帰ってきた定次は、嘘ばかり書いてある手紙を読むのが辛かったと話した。それに対しておしんは、どうせ今の様子を直接見られることはないし、帰って会うこともできないのだから嘘でいいのだと答えた。
切なくなった定次は、おしんに嘘を教えた。家でほぼ寝たきりの祖母・なかを見たのに、彼女は病気が治ってみんなと一緒に働いていると話した。母・ふじはお腹が大きくなったと真実とは違うことを話し、おしんの年季が明けて帰る頃には元気な子供が生まれているだろうと言うのだった。

秋祭りが開催された。周りの子供たちは楽しげに駄菓子屋で買い食いをしている。おしんも駄菓子が買いたかった。しかし、祖母からもらった50銭を使う訳にはいかないと思いとどまった。
そうしてすぐに冬になり、根雪となった。この雪が解ければ、おしんの年季が明け、実家に帰れる。もうひと踏ん張りだと、おしんは自分を奮い立たせた。

ある朝、つねが大騒ぎしていた。彼女の財布から50銭が消えたというのだ。食料品の支払いに対応し、炊事場に財布を置いてちょっと目を離した隙に消えていたという。おしんは竈の火を熾していたのだが、金を取って知らんぷりするだけの時間があったという。だから、おしんが盗んだというのだ。

女将はおしんを信用していたが、つねは収まりがつかなかった。おしんを呼んで、裸にして持ち物を調べた。すると、お守り袋の中から50銭銀貨が出てきた。おしんは祖母から貰ったものだと訴えるが、つねは聞く耳を持たなかった。7つの子供を奉公に出すような小作農がそんな餞別を持たせるわけがないと言うのだ。銀貨は取り上げられてしまった。

おしんはオシメの洗濯を命じられて川に向かった。
おしんはその川を下って奉公に来た。その川が自分と実家を繋ぐ糸のように思えた。川に向かって、祖母の大事な金を取られたことを謝った。そして泣いた。

その時、おしんは我慢の限界に達した。もう奉公先には帰らないと決めた。川を上って家に帰ろうと決意し、歩き出した。冬の夕暮れは早く、そして吹雪になった。

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NHK『おしん』第1-6回(第1週)

空前の大ヒットを記録した名作ドラマだということは知っていたけれど一度も見たことがなく、総集編を見たらすっかりハマってしまった当方が、NHK連続テレビ小説アンコール『おしん』の第1週を見ましたよ。

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(第1回)
1983年(昭和58年)早春。
三重県の志摩半島一円にチェーン展開するスーパーたのくらがあった。同チェーンは田倉一家によって経営されており、全16店舗が順調に運営されていた。この日、新たに17店目が華々しく開店しようとしていた。地元の名士を集めての開店記念式典も開かれる予定であった。

その直前、社長である田倉仁(高橋悦史)の家ではトラブルが発生していた。会社の副社長であり、仁の母であり、一家のご意見番でもあり、83歳と高齢である しん(乙羽信子)が姿を消したのだ。しんの部屋を調べてみると、お気に入りの着物や帯と共に、大量の下着も一緒に消えていた。どうやら、何かを思いつめて家を出ていったようである。

家族への伝言や置き手紙は一切なかった。しんの親族は彼女の真意をはかりかね、憶測を始めた。
しんの実の娘である崎田禎(吉野佳子/現・吉野由志子)や、養子である八代希望(野村万之丞/現・野村萬)は嫁姑の確執を疑った。仁の妻・道子(浅茅陽子)の実家からはスーパーの経営に関して資金援助を受けていた。そのため道子は家の中で大きな顔をしていた。しんも気の強い性格であり、道子と衝突したこともあったというのだ。家長であり社長であるはずの仁であるが、母にも妻にも頭が上がらず、そのせいで嫁姑問題をこじらせているというのが兄弟たちの見立てであった。
一方の道子は、しんの家出を自分のせいにされてはたまらない。新店舗の設置に関して、しんが反対していたという事実を指摘した。まさにその開店日に出奔したことを引き合いに出し、仁に対する無言の抗議こそが家出の理由であると言って引かなかった。

血縁の有無を別にすれば、現在しんには4人の子がいる。
次男の仁は道子を妻とし、3人の子がおり、長男・剛(宮本宗明)も同じスーパーで働いている。しんの次女・禎は崎田辰則(桐原史雄)と結婚し、夫もスーパーの役員として働いている。しんの養女として初子(佐々木愛)がおり、彼女は実子たちへの遠慮もあってほとんど家には寄り付かず、今日の式典にも顔を出していない。
もう一人の養子に八代希望がいる。彼はしんからかわいがられており、その息子・圭(大橋吾郎)も特に気に入られていた。そのかわいがり方は、他の親族から軽いやっかみを受けるほどだった。

圭はしんのいなくなった部屋で古ぼけたこけしを見つけた。そのこけしは、希望が小さかった時にはすでにあったものだという。圭は、しんからそのこけしのいわくを聞いたことを密かに思い出していた。

(2回)
スーパーの開店式典に出る気のわかない希望と圭は自宅へ帰ってきた。

圭は、おしんの部屋で見たこけしのことを考えているうちに閃くことがあった。
父に旅に出たいと願い出て、行き先を告げないまま10万円を無心した。希望は圭の真意がわからなかったが、深く問いただすことはしなかった。東京の一流大学にストレートで合格し、今や20歳になっている息子に全幅の信頼を寄せており、彼が理由を言わないことには余程のことがあるのだろうと思い、言われるままに金を用意した。
圭は、大学の春休み中帰らないかもしれないと言って家を出た。

圭が夜行列車で向かった先は、山形県の山深くにある銀山温泉だった。
朝早くに現地に着くと、温泉街を歩くおしんの姿を見つけた。圭の予想通り、おしんは銀山温泉に来ていたのだ。

誰にも行き先を告げずに出てきたはずなのに、圭が追ってきたことをおしんは驚き、不思議に思い、呆れた。しかし一方で、思いがけない道連れができたことを嬉しくも思うのだった。

(3回)
圭が言うには、おしんの部屋にあった古いこけしを見て、居場所を推測したのだという。
普段は昔話や物に執着しないおしんが、なぜかそのこけしだけは大切にしていた。それを不思議に思った圭が、以前にそれについて聞いてみたことがあるのだ。いつもなら何も言わないおしんであるが、その日だけはこけしの由来を説明したのだ。

そのこけしは、幼い頃のおしんが初めて母と一緒に旅館に泊まった時に買ってもらったものだという。その時の旅館というのが、銀山温泉だったというのだ。圭はその時の話を覚えていて、一か八か銀山温泉へおしんを探しに来たのだ。
おしんは圭にうっかりと昔話をしてしまった過去の自分を呪った。しかし、圭がその話を覚えていて、こうして自分を探し当ててくれたことを愉快にも思うのだった。

一息ついた圭は、三重の父に電話でおしんの無事を知らせた。ただし、居場所については固く口止めされていたので伝えなかった。家出の理由はまだ聞き出せていなかったので、それは知らせることができなかった。父・希望も、おしんの頑固さをよく知っているのでそれ以上は聞こうとはしなかった。
希望は早速スーパーに出かけていって、他の兄弟たちにおしんの無事を知らせた。すると、他の兄弟たちは自分たちに連絡がないことを不服に思い、希望ばかりがかわいがられていることにますます腹を立てた。ついに、同居している嫁の道子の怒りは頂点に達し、もう家には帰ってこなくてよい、他の兄弟で引き取って欲しいとまで言い出す始末だった。

電話連絡を終えた圭は、おしんをたしなめた。おしんが家出の理由を言わないことで、親族が憶測にもとづいて疑心暗鬼になっていると言うのだ。嫁姑問題、もしくは会社経営に不満があると思われており、関係が悪化するばかりだと言って聞かせた。しかし、おしんは自分の真意はそこにはないと言って、笑い飛ばすだけだった。

おしんは圭を伴い、タクシーで山奥の村に向かった。タクシーの運転手(西村淳二)によれば、そこにあった集落はすでに廃村になり、誰も住んでおらず、今の季節では雪で閉ざされていてたどり着くのも困難だという。それでもおしんは聞く耳を持たず、とにかく車を向かわせるよう命じた。

途中まで向かうが、やはり雪が積もっており、車が通れる状態ではなかった。おしんはタクシーで行く事を諦めた。そのかわり、雪山用の準備を整えて、翌日に歩いて行くといって聞かなかった。
圭は、どうしておしんがそれほど頑なに行きたがるのかはわからなかった。しかし、彼女の思いつめた表情を見ていると、理由を問わずに助けてやりたくなった。圭は、自分がおしんを背負ってでも連れて行ってやると約束した。彼は中高生時代に登山をやっており、重い荷物を背負って雪山を登るのには慣れていると胸を張った。

(4回)
翌朝、旅館で長靴や防寒具を借り、おしんと圭は旅館を出た。
おしんは雪道には慣れているつもりだった。しかし、年老いた現在では思うように足が動かなかった。彼女には珍しく弱音を吐き、雪が溶けた時に再訪するといって引き返そうとした。しかし、どうしても彼女の願いを叶えてやりたい圭が本当におしんを背負って歩き始めた。
そうして、やっと目的地に着いた。

そこには、打ち捨てられた村落があった。みすぼらしい小屋が数件あるきりで、どれもほとんど朽ち果てていた。
その中の1軒の前に立ったおしんは、流れる涙を隠そうともしなかった。その小屋こそ、おしんの生家だったのだ。

旅館に帰ってきたおしんは呆然としていた。
一方、圭は感激していた。大好きな祖母の生家を見ることができて、心の底から嬉しいと思っていたのだ。
そんな圭の様子を見ていると、おしんは柄にもなく自分の身の上を話したくなった。

おしんは以前から何度も山形に来たいと思ったことがあったのだという。けれども、そう思っても実行しなかった。ところが、新店開店の前夜、どういうわけか眠りにつけず、山形のことばかり思い出されたのだという。山形に生まれ育った者は、誰しも長くて寒い冬や深い雪のことを忘れることができない。そんなことを思いながら眠れぬまま朝を迎え、辛抱ならずに家を飛び出してしまったのだという。
また、おしんは息子・仁の育て方を間違えてしまったと後悔している。今の仁のような商売のやり方では、早晩スーパーたのくらは潰れてしまうと予想している。仁がそうなってしまったのは、自分の育て方のどこかに間違いがあったはずなのだが、それがどこなのかわからない。

自分の人生を見つめなおし、自分の子育ての失敗点を見つけることが今回の旅の目的であると告白した。済んでしまった事をくよくよ思い悩む事は大嫌いだが、何か大切なものを忘れてしまったそれを取り戻さなければ、自分も息子もダメになってしまう。それを避けるために旅に出たのだと説明した。
圭の知っているおしんは、いつも冷静で感情を表に出す人ではなかった。そんなおしんが急に家出したり、故郷の村に執着したり、自分勝手なことをする姿を初めて見た。圭は、おしんの旅に最後まで付き合うことを決めた。

おしんの生家は、当時も小さくてみすぼらしい藁葺の小屋だった。すきま風がひどく、暖房といえば囲炉裏だけだった。それでも、おしんにとっては暖かくて幸福な家だったという。祖母と両親、6人の兄弟で身を寄せ合っていると、心の底からポカポカと暖かくなる心地がしたという。

おしんは、自分が数えで7歳(満6歳)の時のことを話して聞かせた。
当時、おしんは貧乏とは何かを知らなかった。周りの世帯も同じように貧しい暮らしだったので、自分たちの生活がしごく当たり前のものだと思っていたのだ。
おしんの家は小作農で、地主から5反の田んぼを借りていた。豊作の時でさえ、25俵(約1,500kg)しか米が獲れなかったが、半分は地主に収めなければならなかった。残りの12俵を9人家族で1年間食いつなぐのである。ましてや、不作の年には田植え前に米が尽きるなどという事もあった。その際には地主から米を借りることはできたが、結局、秋に返すことになるため少しも楽にはならなかった。当時、3年ばかり凶作が続いており、おしんの家の生活はどん底だった。

けれども、おしんの歳では貧乏というものがわからなかった。
4月からは学校にいけると信じ、母(泉ピン子)に学習道具を買ってくれとせがんでばかりいた。

(5回)
おしんは1901年(明治34年)に最上川の上流域で生まれた。
7歳当時のおしんの家は貧困であった。2反ある自分の畑で大根を栽培し、それをピーナツほどの大きさに刻み、同量の米と一緒に炊くことで飯をかさ増ししていた。
祖父は亡くなり、祖母なか(大路三千緒)はリュウマチのため農作業も機織りもできなくなってしまった。母・ふじと父・作造(伊東四朗)は、朝から夜中まで働き詰めだった。日中は農作業を行い、夜はわらじを編んで現金収入にしていた。冬は炭焼きに従事し、年中寝る間もなく働いていた。母ふじは新しい子を妊娠しており、折からの凶作と相まって、おしんの生家・谷村家の生活はこのままでは立ち行かなくなる瀬戸際だった。

おしん7歳の春、村にはまだ雪が残っていた。
父・作造は、おしんを奉公に出すことを決めた。母・ふじと祖母・なかは、年端のいかないおしんを奉公に行かせることを猛反対した。しかし、父の決意は固かった。このままでは一家全員が餓死するというのだ。作造はおしんに説明した。最上川を下ったところにある材木屋で子守りの奉公に行くこと、奉公先では腹いっぱい飯が食えること、2人の姉も奉公に行っているのだからおしんも同様に働かなければならないこと、家にももうおしんに食わせるコメがないことなどを言って聞かせた。

しかし、おしんは反発した。学校に行きたい、食事を減らしてもいい、農作業も手伝う、故に家に置いてくれと頼み込んだ。
当時、極貧がどういうものかわからなかったおしんは、ちょっとの我慢で物事が好転すると思っていたのだ。

おしんが圭にそんな話をしている頃、三重では小さな問題が持ち上がっていた。
仁の義理の弟で、スーパーたのくらの役員をやっている辰則がある情報を入手した。スーパーたのくら17号店の近所の商店街が、土地を大手スーパーに売り渡す契約を交わしたというのだ。地元商店街はスーパーたのくらの進出で壊滅的ダメージを負った。どうせ潰れるなら、大手スーパーに売り渡して廃業しようというのだ。商店街のある地域は、スーパーたのくら17号店よりも立地が良く、その話が進めば、今度はスーパーたのくらが大きな損害を受けることになるのだ。

(6回)
翌日、おしんと圭は最上川を訪れた。

幼いおしんは、その川で魚を1匹釣った。
近頃、祖母の食が細くなってきたのを心配したおしんは、滋養のある魚を食べさせてやろうと思ったのだ。ところが、釣った魚は同年代の男の子に奪われてしまった。釣り道具の持ち主はその男の子であり、その道具で釣った魚の所有権は自分にあると言い張るのだ。おしんと男の子は、魚をめぐって揉みあった。すると、足を滑らせたおしんは、雪解け水で冷たい最上川にはまり込んでしまった。

濡れて家に帰ると、母・ふじに叱られた。女が男と一緒に釣りなどしてはいけないと言うのだ。一方で、急に魚釣りを始めた理由を問われたおしんは、祖母に食べさせるためだと説明した。祖母・なかは、自分は魚は嫌いだから、もう二度と魚を獲るなと言うのだった。

しかし、それは祖母の方便だった。祖母が食事を摂らなくなった本当の理由は、家族の食い扶持を減らすためである。リュウマチで働けなくなってしまった自分が、一人前を食べる訳にはいかないと遠慮しているのだ。そのことは、母・ふじにもわかっていた。ふじは、おしんが心配するといけないので、祖母にはちゃんと食事を摂って欲しいと頼んだ。すると逆に、祖母はふじが身重であることを指摘し、ふじこそたくさん食べるべきであり、そのために自分の食事を減らすといって聞かなかった。

そのやりとりをおしんは聞いていた。そして、無性に悲しくなった。自分の家には全員に行き渡るだけの食料がないこと、そして、働けない者には居場所がないという世の無情を知ったのだ。

さらにショッキングな出来事があった。
ある日、夕方になっても母が帰って来なかった。おしんが探しに行くと、母が川に入っていくのが見えた。腰まで雪解け水に浸かり、腹の子を流そうとしていたのだ。

おしんは、ついに奉公に出されることを承諾し、家族の前で宣言した。自分が奉公に行く事で、祖母も一人前の飯が食えるし、生まれてくるはずの弟や妹が死ぬこともない。自分も奉公先で腹いっぱい食べられる。悪いことはないというのだ。

そう言ってはみたものの、幼いおしんにはまだ自分の決定の重大さがわかっていなかったし、迷いもあった。本心では、家を離れたくないと思っていた。
その矢先、口利きの源助(小倉馨)が米を1俵持って来た。おしんの奉公1年分の給金を先払いしてくれたというのだ。その米を見て、おしんは自分が売られたことを実感として知った。もう後には引けないと諦めざるをえなかった。

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