Blog を初めるときにたてた誓いの一つに、
「読者にはどうすることもできず、解決策のない愚痴は書かない」
というものがある。
でも、今夜は愚痴りたくて仕方がない・・・、という愚痴だけを書いて、何とかこれ以上は傷口を広げるような記述をしないようにと、自分自身と戦っている僕がいる。
さっきから、何度も文章を書いては、全て没にしている。
そして、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」のラストを繰り返し唱えている僕もいる。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」
Blog を初めるときにたてた誓いの一つに、
「読者にはどうすることもできず、解決策のない愚痴は書かない」
というものがある。
でも、今夜は愚痴りたくて仕方がない・・・、という愚痴だけを書いて、何とかこれ以上は傷口を広げるような記述をしないようにと、自分自身と戦っている僕がいる。
さっきから、何度も文章を書いては、全て没にしている。
そして、葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」のラストを繰り返し唱えている僕もいる。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」
あっぱれ琴光喜。
1敗の琴光喜が、これまで全勝の白鵬を直接対決で破った。優勝争いで同じラインに並んだ(もう一人、琴欧州も1敗で並んでいる)。
拙宅にあるDVDから適当なものを15枚引っ張り出してきて、7分22秒めのシーンをキャプチャしました。
タイトルを当てられるでしょうか。どしどしコメント欄に解答をお寄せください。
あるむと一緒に暮らし始めるようになって、3年。
もう3年なのかとも思うし、まだ3年なのかとも思う。
毎朝目が覚めると、カップ1杯のドライフードを彼女の器に入れてやる。毎晩家に帰って来た時も、同様にカップ1杯のドライフードだ。
朝は機嫌よくカリカリと音を立てて食べる。夜は、器を一瞥し、それから振り返ってにゃーにゃー鳴く。どうやら、朝と同じメニューなのが気に入らないらしい。一晩たてば、前夜に何を食べたか覚えていないくせに。
彼女の記憶は深夜にリセットされるのだろうか。
元奈良県民で、当方のご近所さんだったR氏がこんなことを言っていた(リンクは彼のマイミク限定)。
木公さんのとこからだと、岡寺の手前にある坂乃茶屋ってところにおいしそうなかき氷があります。くずきりを食べてかき氷を食べ損なったので、機会があればまた行きたいと思っているうちに引越してしまったので、ぜひ食べてきてください。
「明日香村は、うちから1時間以上かかるよ・・・」なんて思いながらも、せっかく美味しそうなかき氷を教えてくれたので食べに行ってみた。
ていうか、冷静に考えてみたら、覚えている限り、僕は今までに1度しかかき氷を食べたことがない。北海道暮らしが長かったので、厳しい夏の暑さはそれほど経験していないこともあるし、痩せ型体型でどちらかというと冷え性気味なので、夏に冷たいものをそれほど欲しいとは思わない性質だし。しかし、加齢によって脂肪がついてきたせいか、最近の近畿地方の暑さはツライ。これだけ暑いと、かき氷も食べたくなるってもんだ。
しかし、かき氷を食べなれていない当方。下手に不味いかき氷を食べて、それがトラウマになってしまって、一生かき氷を食べられない体になってしまっても、残りの人生が不幸だ。かき氷のことは何も知らないので、不味いかき氷というのがあり得るのかどうかすら知らないが、少なくとも露店などで紙カップに入れて売られている “フラッペ” というヤツは、僕の美的感覚からすると、どうも美味しそうに見えなかったりする。フラッペに関してはきっと食わず嫌いなんだろうと思うが、そういうわけで、かき氷で失敗したくないという思いが強い。
Blackstar さんにお薦めいただいた町田康の『猫にかまけて』を早速入手して読んだ。同書は、町田康が自宅で飼っている猫を中心とした、連続エッセイという体裁である。
あまりに楽しく、いろいろ考えさせられる内容でもあったので、読み始めたら止まらなくなった。
途中、当家の猫であるところの あるにゃん が
「アナタ、よその猫に浮気していますね。ワタシをないがしろにすると、後悔することになるわよ。人間のオネーチャンにもいろいろ失敗しているアナタにとって、ワタシは最後の砦なのよ。そんなワタシを放っておいていいのかしら?」
なんて、ちょっかいを出してきたのだが、「うるさいな。今いいところなんだから、あっちいけよ」と邪険にしていたら、本当に彼女はヘソを曲げてしまった。
いつもなら、カメラを向けると、寄って来て愛想を振りまき、フレームに捉えることも困難なのに、今夜はそっぽを向いたまま振り向こうともしない。
あああ、あるにゃん、オレを見捨てないで。
僕は、自分の文章にうぬぼれてはいないつもりだ。それほど優れた修辞技法を使えるわけでもないし、書いてある内容だって必ずしも人々の関心を惹くものではないだろう。
それでも、5年近くも当blogを継続し、記事数も通算2,000を越えた。その間、何人かは僕の文章のファンになってくれたようだ。人に認められるということは、素直に嬉しい。僕の活動の原動力となっている、ファンの皆様には感謝したい。
自分のファンのことは、分け隔てなく大切にしているつもりの当方である。しかし、女好きで有名な当方のことであるので、普段から女性ファンのことを優遇しがちなことを本人も自覚している。自覚しているのだが、改善するつもりも、義理もない。今後もこの調子だ。
何人かいる女性ファンのうち、当方が「ファン第一号」と認定証を発行して差し上げてもよいと考えている女の子がいる。
彼女は
「はぁ?なに寝ぼけたこと言ってんの?そんなの欲しいわけないじゃん。むしろメーワク」
と一笑に付すだろうが。
僕たちは、殺人者は残虐非道であり、相手が誰であっても躊躇することなく殺してしまう、となんとなく思い込んでいる。小説や映画でそのような登場人物をたくさん見ているせいかもしれないし、マスコミ報道などで凄惨な犯人像が日常的に伝えられているせいかもしれないし、センセーショナルでおどろおどろしい事件は茶飲み話で取り上げられやすいせいなんかもあるかもしれない。
しかし、法社会学を専門とし、公的な統計資料を調べたり、刑務所を訪問して聞き取りを行っている著者によれば、実際の殺人者像は大きく異なるらしい。
日本の殺人数は年間1400件ほどだそうだ(未遂-人殺しを実行したが死ななかった- と予備-殺すつもりで準備した- を含む)。人口10万人あたりに換算すれば 1.2件となる。他国と比較すれば、アメリカで5.6、イギリスで3.5であり、日本は他の先進国に比べてずいぶんと殺人が少ない。このあたりは、「日本は治安がいい」ということなので、今さら騒ぐほどのことでもないが。
・・・自分の悩みや揺れ動く心が自分ひとりの私的な事柄なのではなく、世のなかのあり方と深く結びついているのだという理解が、自分の生き方について考えるための手がかりとなってくれることを願ってやみません。
『名誉と暴力』邦訳刊行にあたって(山岸俊男)
(強調部筆者)
センテンスの最後を「やませまみ」と空目してしまいながらも、ニスベット&コーエン『名誉と暴力: アメリカ南部の文化と心理』(石井・結城編訳)を読んだ。