「昨日の放送のラストでは、主人公は深く落ち込んでいた。だから、今日の放送ではそれを引きずって、暗い展開になるのだろう」などという予測がことごとくハズれている当方が、「だんだん」の15回目の放送を見ましたよ。
のぞみ(三倉佳奈)から突如京都へ来るよう要請され、戸惑いながらもやって来ためぐみ(三倉茉奈)。祇園で再会するや、のぞみは事情を話す間もなく、めぐみを舞妓姿に変身させてしまう。のぞみは、一晩だけ二人が入れ替わることを密かに計画していたのだ。めぐみの衣類を身に着けたのぞみは強引に事後承諾させて、松江へと飛び出して行ってしまった。
舞の披露会で大失敗をしでかし、周囲の人々からも仕事に身が入っていないと叱責されたのぞみ。深く反省し、これからは一生懸命仕事に打ち込むのかと思いきや、素人の代役(めぐみ)を立てて、職場放棄。自分そっくりの代役を立てたわけではあるが、18の松江の小娘に舞妓の真似事なんてできようはずはなく、露見するのは時間の問題。舞妓さんの世界がどれほど厳しいのか(もしくは寛容なのか)知らないが、普通は大問題になりそうなものだ。いいんですか、この脚本で?
脚本に対する疑問符といえば、主人公の心境の変化の早さもある。
昨日の放送ではたいへん落ち込んでいた主人公の二人(のぞみは舞の披露会で大失態、めぐみは戸籍謄本で真実を知ったショック)。ところが、日が明けて今日の放送の冒頭では、かなり元気を取り戻していた。ドラマの中の時間では、半日程度しか経っていないはずなのに、この立ち直りの早さよ。当方が有している「人の心情のありよう」によれば、こういう場合には深く落ち込んでいて何も手に付かないような放心状態になるはずなのだが、このドラマの主人公たちはそうではないようだ。僕が有している「人の心情のありよう」モデルが誤っているのか、脚本家の有しているモデルが誤っているのか。それとも、これは演出上の仕掛けで、あとで大どんでん返しがあるのか。
それにしても、登場人物の心情を察しながら話を追うのが困難になってきた。
考えてみると、「だんだん」は我々に全く新しい視聴態度の形成を迫る、野心的な作品であるのかもしれない。
「前回までのことは一切忘れて、全く新しい気持ちで今回の放送を見る」
という、連続ドラマの新しい見方を提案しているのだろう。
今日見たことは全て忘れて、明日の放送を楽しみに待つことにします。