NHK『カーネーション』第24回

昨日までのまとめ記事で、洋裁講師の根岸のことを財前と書いていたり(それは女優名だっつーの!)、某学会関連の仕事で名古屋市であるべきところを新潟市の住所を書いていたりと、凡ミスばかりしていた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第24回目の放送を見ましたよ。

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第4週「誇り」

根岸(財前直見)の1週間限定の洋裁レッスンは2日目となった。ここから最終日までは、洋服づくりの基本がみっちりと教え込まれた。それまでの根岸の態度と違って、全く遠慮のない厳しいものだった。しかし、それは短期間に最大限の知識を与えるためのものであることが糸子(尾野真千子)にもわかっていた。だから必死で食らいついた。

1週間で、糸子は洋裁の基礎をおよそ身に付けた。とても充実した毎日であったし、最終日夜のお別れ会は近所の人々を招いて愉快に催された。

翌朝、糸子は涙をこぼしながら深く頭を下げ、根岸を見送った。一方の根岸は、「がんばりなさい。さようなら」とだけ告げて、振り返ることもなく去っていった。彼女も感極まっていたが、感情を抑えるのに精一杯だったのだ。

根岸の去った小原家は、たった1週間前に比べて、一層暗くみすぼらしいものに思えた。まったく売れる気配のない在庫の反物と、季節外れなのに売り続けられる夏用アッパッパ、元気のない父・善作(小林薫)などを見るにつけ、糸子は救いのない気分になった。

そんなある日、善作が中古のラジオを買ってきた。瞬く間にラジオが一家の中心となり、朝は娘たちがラジオ体操、昼は仕事をしながら善作が謡をうたう、夜は一家で落語を聞くといったことが定例となった。少しだけ家の中が明るくなった。

それから2年が経ち、昭和7年(1932年)となった。糸子は19歳になった。
小原呉服店は相変わらずの閑古鳥だった。善作の発案で、暖かさを保つ冬用アッパッパを店に並べたが全く売れなかった。糸子の作った洋服もいくつか並べてみたが、全く売れなかった。岸和田で洋服を着ようと買い求める人はまだほとんどいなかったのだ。手提げかばんと前掛けはそれなりに売れるので、糸子はそういった雑貨ばかりを縫っていた。

一つ変わったことは、善作が和洋折衷の装いを始めたことである。防寒マントとカンカン帽を身につける姿も様になっていた。

そんな頃、東京の百貨店で火災が発生し、大勢が死傷したというニュースが世間を騒がせた。事故を重大化させた問題点がいくつか指摘されていたが、糸子は女性従業員の制服の問題に注目した。若い女性従業員は、避難する時にすら、和服の裾の乱れを気にしてしまった。そのせいで逃げ遅れたり、避難ロープから手を離して落下してしまったというのだ。

その記事を読んで、糸子はモヤモヤとした中から、何かアイディアを閃いた。
すると、居ても立ってもおられなくなり、自分の作ったワンピースを掴み取ると、大慌てで心斎橋の百貨店に向かっていった。

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根岸のレッスンに関しては、昨日の放送が山場でしたね。心構えが教えられ、糸子の人間的な成長が描かれていましたから。今日はまぁ、たんたんと「とりあえず、1週間のスケジュールをこなしました」って感じか。

それより、本日着目したいのは、善作の心境の変化ですね。
洋物や新しいものを目の敵にしていた善作が、進んでラジオを買ってきたり、洋装をするようになったり。これが一家をどういう方向に導いていくのか気になります。

予告では、来週ミシンを買うようだし。善作のミシンに対する毛嫌いは治ったとして、金はどーすんでしょうね。商売が完全に傾いてるし。

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