生まれて初めて『天空の城ラピュタ』を見た俺の独り言

1986年公開の映画『天空の城ラピュタ』が名作の誉れ高いことは知っていた。けれども、僕はこれまでラピュタのことが好きではなかった。

その理由は、ハイダーの「バランス理論」を援用して説明できる。

バランス理論の簡略図

バランス理論の簡単な説明は次のとおりである。
僕たちは、いろいろな理由によって他人や物事を好きになったり嫌いになったりする。そのときのプロセスの法則の一つだと言われている。

この理論では、物事の好き嫌いに関して3者関係を想定する。「自分」、「相手」、「何か」である。その3つの間の関係をプラスとマイナスで表すものとする。好意を抱いている関係をプラス、嫌いな物をマイナスとする。たとえば、僕は山瀬まみが好きなので「自分-相手(山瀬まみ)」の関係をプラスとする。僕は黒ビールが嫌い(その理由は割愛する)なので「自分-何か(黒ビール)」の関係をマイナスとするわけである。

3者関係のそれぞれにプラスとマイナスの記号を付ける。ここで中学校で習う「マイナスの掛け算」の知識を動員する。つまり、プラスとプラス、および、マイナスとマイナスの積はプラスになる。一方、プラスとマイナスを掛け合わせた積はマイナスになる。この定義に従い、3つの関係のプラスとマイナスの記号を掛け算する。3者関係の掛け算の積がプラスの時には安定し、マイナスの時には不安定となると考えられる。上の図の左側を見ると、プラス×プラス×マイナス で積がマイナスとなる。この状態は不安定である。
不安定な時、人は積がプラスとなるよう態度を変えると考えられている。図の右側のように、それまで嫌いだった何かを好きになる(右上)か、それまで好きだった相手を嫌いになる(右下)だろうと考えるのだ。

この理論を当てはめれば、僕のラピュタ嫌いが説明できる。

ラピュタが公開されて2年か3年経った頃、レーザーディスクが発売された。1990年頃だと思うが、当時レーザーディスクはわりと高嶺の花だった。再生機も高かったし、ソフトも安くはなかった。VHSのレンタルは盛んだったが、レーザーディスクはあまりレンタルもされていなかった。機械が普及していないせいで、ソフトもあんまり発売されない。そんなわけで、レーザーディスクを所有しているのはかなりの好きモノと言えた。ただし、VHSに比べれば画像や音声は良かったので根っからの映画/アニメファンは揃えていたようだが。

今から20年前の当時、僕の知っている唯一のレーザーディスク所有者は僕の従姉妹の家だった。こんな事を言っては失礼だが、その家はあまり裕福とは言えない米農家で、毎年のお年玉も他の親戚に比べて少なかった。そんな家なので「おー、無理しちゃって」と思ったものだ。
しかもその家は、女ばかり3人姉妹の家だった。小さい頃は仲良く遊んだ記憶もあるが、互いにお年頃を迎えたあたりからめっきりと交流がなくなった。当時僕は中学生か高校生くらいで、従姉妹の末っ子が高校を出るか出ないかくらいだったと思う。あんまり親しくないので、相手の歳もよく分からないのだ。

従姉妹らの家の周りは広大な田んぼで、隣家まで数百mあるという環境だ。小学校の同級生も2-3人レベルだと聞いている。そういう所で育ったせいかどうかは分からないが、3姉妹はあまり人付き合いをしたがるタイプでもなかった。盆暮れ正月に親戚一同が集まるような時でも、彼女らは自室に閉じこもって出てこないということが多かった。特に思春期の頃は。

ある日、その従姉妹の家に盆だか正月だかの挨拶に行ったところ、従姉妹の末っ子が居間で背中を丸めて熱心にテレビに向かっていた。レーザーディスクで『天空の城ラピュタ』を見ていたのだ。今思い出せば、パズーとシータが偵察用のグライダーに乗って雲の中に突入するあたりのシーンだったように思う。
彼女は、親戚が家にやってくるや、レーザーディスクを止めて、うるさそうに自室に篭ってしまった。

感じが悪い。

冒頭のバランス理論に照らせば、「僕<==>従姉妹」の関係はマイナスである。従姉妹は好きで見ていたようなので「従姉妹<==>ラピュタ」の関係はプラスである。残る「僕<==>ラピュタ」の関係をマイナスにすると、全体の積がプラスになりバランスが取れる。だからラピュタを嫌いになった。

たったそれだけの理由だ。それだけの理由で、僕は25年間ラピュタが嫌いだった。信じられないかもしれないが本当のことだ。

* * *

ところが先日(2011年11月4日)、ニッポン放送の『ごごばん』という番組を聞いていたところ、山瀬まみが好きな映画について話していた。生涯でもっとも好きな映画は『天空の城ラピュタ』だと言うではないか。

バランス理論に従えば、「僕<==>山瀬」はプラスで、「山瀬<==>ラピュタ」もプラスだ。ところが、先述の通り「僕<==>ラピュタ」はマイナスである。全体の積がマイナスになってしまう。この状態を解消するには、僕がラピュタを好きになるしかない(山瀬を嫌いになるなんてあり得ない)。

たったそれだけの理由で、僕はラピュタを好きになろうと思った。
ていうか、そもそもラピュタを一度も見たことがないので、本当に嫌うべき映画なのかどうか分からないわけだ。

はたしてラピュタを見たところ、とても面白かった。
超有名作なのでいちいち何が面白かったかは書かないが、とにかく面白かった。公開から25年経っても世間の人気作である理由がわかったし、山瀬がナンバーワンに挙げる理由も理解できた気がする。

ちなみに、どうでもいい話だが、映画を見ながらシータの顔が脳内で山瀬まみ(10代の頃)に変換された。それに合わせてパズーの顔を自分に変換しようと思ったが、それは無理がありすぎた。
ラピュタに侵入し、草原でふたりがくっついて寝転がるシーンがとても良かった。大好きな女の子とああいう風にニコニコと草原を転がることができたら幸せだろうなと思った。

* * *

めでたく、僕のラピュタに対する態度は変わった。

すると今度は、件の従姉妹との関係性を見なおさなくてはならない。僕も彼女もラピュタを好きだということで意見の一致を見た。ところが、「僕<==>従姉妹」の関係がマイナスのままでは全体のバランスが取れない。
よって、今日を限りに彼女への態度を改めようと思う。

今まであんまり仲が良くなくて、ほとんど口も聞いていなかったあの従姉妹とラピュタの話をしたら楽しいんだろうなと思う。
彼女がどんなクリエイティブな仕事をしているのか、一度ちゃんと話を聞いてみようと思うようになった。

ラピュタのおかげだ。

コメント (1)

  1. ピンバック: [alm-ore] ラピュタの夜に、俺の2年間の成長をみる

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