NHK『カーネーション』第49回

糸子と勝が『新婚さんいらっしゃい!』に出場した様子を妄想している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第49回目の放送を見ましたよ。

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第9週「いつも想う」
昭和12年(1937年)、日本は中華民国との戦争を拡大しつつあった。
勘助(尾上寛之)に召集令状が届いた。そのことで勘助は落ち込んでしまった。以前に工場で働いていた時、上司に怒鳴られてばかりで仕事を辞めたことを思い出し、軍隊では厳しくしごかれるのが不安でならないのだ。その上、死と隣り合わせになることに恐怖を感じていた。

そんな勘助の思いとは逆に、近所の人々は明るく勘助を送り出した。
日露戦争に出征した経験のある善作(小林薫)は、自分はこうして生きて帰ってきた、だから勘助も大丈夫だと言って安心させた。また、必ずしも前線に配属されるわけではなく、訓練や後方勤務だけで帰ってこれるかもしれない。そうやって励まされているうちに、勘助は気を取り直すことができた。
少々心配であった糸子(尾野真千子)も、勘助に元気が出たことに安心し、明るく彼を送り出すのだった。

しかし、糸子は国や軍のやり方に気に入らない所があった。
勘助が出征して2ヶ月経った頃、彼から玉枝(濱田マリ)にハガキが届いた。ところが文面の所々が墨で塗りつぶされていた。どうやら、軍部の検閲に該当する文言が書かれていたようだ。そのようなやり方が、糸子には気に入らなかった。

国家総動員法が発令され、国民は軍に協力し、物資も軍に優先的に回されることとなった。国はどんどん日中戦争にのめり込んでいった。報道では日本軍の連戦連勝であったが、一向に戦争が終わる気配が見えなかった。

昭和14年(1939年)7月には国民徴用令も施行された。人々はますますの節約と軍への物資提供を求められた。たとえば、綿は作るのも売るもの規制がかけられた。繊維工業に大きく依存していた大阪は、その影響を大きく受けた。

ただし、そのような中でも糸子の店はますます繁盛していた。
岸和田の女性たちは洋装という新しいおしゃれに目覚め、毎日客がひっきりなしにやって来た。糸子の婦人物だけではなく、勝(駿河太郎)の紳士物の方も何人かの職人を雇うほどになっていた。

また、糸子は第二子を妊娠していた。
ところが、腹が大きくなっても店の中で忙しく動き回っていた。無理がたたって、店の中で倒れてしまった。

善作とハル(正司照枝)が中心となって糸子を説得し、彼女は神戸の祖父母宅で静養することとなった。糸子は店のことが心配でならなかったが、それに従うほかなかった。
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戦争について語る所では、当時の資料映像と尾野真千子のナレーションで説明されていました。
そして、やはり繊維業に影響が出始めているとのことでした。しかし、糸子の店だけは例外とのことで、どうしてそういうことになるのか少々わからなかったです。世の中が節約の風潮の中で、糸子の店だけ威勢よく、憲兵から目を付けられて意地悪されるとか、そういう展開になるのだろうか。

糸子は表面では日本の戦争を応援している(勘助の出征を喜ぶなど)一方で、内面では不条理を感じているという態度(手紙の検閲に立腹するなど)の説明がわかりやすい回だったと思います。

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