年明けから大事件がいろいろ起きているけれど、淡々と朝ドラ仕事をしていこうと思う当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第65回めの放送を見ましたよ。
慰問巡業を再開した鈴子(趣里)は富山県高岡市の旅館に到着した。
数日前、近くの富山市が大空襲に襲われ、高山市のその旅館は多数の被災者を受け入れていた。惨状を目にし、鈴子は自分の慰問公演が役に立つのだろうかと不安になった。
宿には女中・静枝(曽我廼家いろは)と、その幼い娘・幸(眞邊麦)がいた。幸に遊び相手がいないのを見てとった鈴子は、彼女の子守りを買って出た。静枝は恐縮し遠慮したものの、鈴子は自分も楽しいのだなどと言って半ば強引に引き受けた。幸も鈴子によく懐いた。
その日の旅館の夕食は貧相なものだった。しかし、昨今の時局はもちろん、富山市に大空襲があった直後だと思えば誰に文句を言えるわけでもなかった。その少ない夕食の中から、鈴子は幸に食事を分けてやった。幸も喜んで食べていた。
その様子を見た静枝は、慌てて幸を連れ去った。客の食事に手をつけるなど言語道断だというのだ。鈴子は自分は満腹であるから問題ないのだと説明しても静枝は聞く耳を持たなかった。それどころか、贅沢を慎まなければならない状況なのに、幸の癖になっては困ると言って強硬に断った。
食後、鈴子が一人で夕涼みをしていると、静枝が通りがかった。静枝は先の騒動で、スズ子の親切を無下にしたことを謝った。鈴子も同様に自分の勝手な行為を謝った。
鈴子は静枝の夫のことを尋ねた。静枝の夫は高岡で教師をしていた真面目な人だったが、南方に出征して戦死したという。鈴子は口にこそ出さなかったが、同じく戦死した弟・六郎(黒崎煌代)のことを思い出しながら話を聞いた。
静枝は、国のために命を捧げた夫のことを誇りに思っていると話した。だから、悲しい思いはしていないという。夫に託された娘・幸を立派に育てることが残された自分の使命であるとも話した。そして、このまま日本は勝つと信じていると述べた。日本が勝たねば、夫の死は無駄になると話した。
その頃、茨田りつ子(菊地凛子)は鹿児島の海軍基地を訪問していた。翌日に基地の兵隊向けの慰問公演を行うのである。
基地の横井少佐(副島新五)は、りつ子の洋服を見て難癖をつけた。自分の服装が槍玉にあがることに慣れているりつ子は、今着ているのは普段着で、公演ではもっと華やかな衣装を身につけるので心配はいらないなどと涼しい顔で言ってのけた。
さらに横井少佐は、りつ子に『海ゆかば』や『同期の桜』などを歌うよう要請した。しかし、りつ子は軍歌は性に合わないと言ってきっぱり断った。
りつ子は、自分では慰問の役に立ちそうにないと言って、そのまま帰ろうとした。
その時、若い兵たちが部屋を覗いているのに気づいた。彼らは本物の茨田りつ子を見たと言って騒いでいる。しかし、それが見つかって一括されると、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
横井少佐の説明によれば、彼らは特攻隊員だという。命令が出ればすぐに出撃せねばならず、りつ子の公演中に中座することになっても許して欲しいというのだ。そして、一度出撃したら二度と戻ってこない。他に何も持たせてやることができないので、せめて歌を聞かせてやって欲しいと頼まれた。
りつ子は、隊員たちが望む歌ならばなんでも歌うという条件で慰問公演を行うことに同意した。
同じ頃、上海では作曲家・羽鳥(草彅剛)が軍の命令による音楽会を行なっていた。
羽鳥は検閲されないのをいいことに、自分のやりたいことを全て盛り込んだ。中国人音楽家・黎錦光(浩歌)の作った曲を、日本人の羽鳥が編曲し、アメリカのブギのリズムをのせた。完成した曲を世界中から集まった聴衆に聞かせた。現在の日本では演奏できないような曲を、上海では自由に演奏できた。こうして羽鳥は自分の好きな音楽を思う存分やったのはもちろん、時代や権力には縛られず、音楽は自由であることを証明してみせた。
中でも、李香蘭(昆夏美)の歌った『夜来香ラプソディ』は大好評だった。これも黎錦光が作曲し、羽鳥がアレンジしたものである。
羽鳥はこの曲こそ、自由の象徴であり、世界中の人々が一つになったことの証明であると感じた。大満足であった。
そのような上海での活況を知る由もなく、鈴子やりつ子は日本の現状や行先に気分が沈んでいた。