NHK『カーネーション』第79回

今日のまとめ記事を書いた後、昨夜放送の『タモリ倶楽部』の録画(「琵琶湖の周りに大量発生!!飛び出し坊やMAP 2012 in 珈琲琵琶湖」)を見る予定の当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第79回目の放送を見ましたよ。

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第14週「明るい未来」

1945年(昭和20年)10月。
中古のパーマ機を買うため、糸子(尾野真千子)、八重子(田丸麻紀)、昌子(玄覺悠子)の3人は東京へ向かった。
せっかく東京へ行くので、洋服用の生地も仕入れることにした。そのための金も十分に持っていくことになった。パーマ機は中野、生地は神田で買うことになった。東京は空襲のために道も地図通りではないことが予想された。用事があるのは八重子と糸子だけだったが、しっかり者の昌子が念のためについていくことになったのだ。

東京に大空襲があったという噂や報道は聞いていたが、実際に見る風景に糸子らは胸を痛めた。焼け野原に身寄りのない子供たちがたくさんいる様子は、特に同情を誘った。しかし、糸子らにはどうすることもできなかった。

まずは中野で、八重子のパーマ機を買った。糸子は持ち前の勝気さで、難癖をつけては少しでも値切ろうとした。一方の八重子は値切るのを潔しとせず、あろうことか糸子の交渉を妨害するようなことを言い出した。
結局、あまり値段をまけさせることはできなかった。しかし、八重子は念願のパーマ機を手に入れることができて、うっとりと夢見心地であった。

その日の宿に泊り、神田の生地問屋には翌日行くことになった。
ところが、宿では男女が一緒の部屋に押し込まれた。糸子らは怪しい男達と同室で雑魚寝せざるを得なかった。男たちのことを信用できなかったので、糸子らは布団の中でもリュックをしっかりと胸に抱き、着物のまま女同士で固まって小さくなって寝た。
特に、生地購入用の現金を大量に所持している糸子は、帯の内側に縫いつけたポケットに金を入れて肌身離さず持つことにした。

うつらうつらしていると、夜中に部屋の中で物音がした。はっとして目を覚ますと、暗闇の中で「泥棒!」という声が聞こえた。自分らの荷物はかろうじて無事だったが、同室の男たちと口論が始まった。互いに相手を犯人だと言い合った。

その時、階下から泥棒が1階に逃げたという声が聞こえた。男たちは血気盛んに追いかけていった。
一方の糸子は、部屋の押し入れに不穏な空気を感じた。思い切って襖を開けると、そこには数人の浮浪児が潜んでいた。見つかった子供たちは、部屋を突っ切り、窓から飛び降りて皆逃げてしまった。さすがにそれ以上追いかけることはできず、部屋の中から盗られたものもなかったので、その場は収まった。
一同は、翌日に備えて休むことにした。

糸子が布団に入ると、そこには薄汚れた女の子(濱田帆乃果)が隠れていた。驚く糸子だったが、とっさに声を飲み込んだ。横の男たちは、一味の1人でも捕まえることができれば仲間を一網打尽にできると、息巻いている。この女の子が捕まればただじゃすまないだろう。彼女のことを不憫に思い、朝までかくまってやることにした。
声を出すことはできなかったので、女の子の手を握って安心させ、頭を撫でてやった。布団の中で胸に抱いてやり、朝まで過ごした。

泥棒騒ぎなどがあったので眠るつもりはなかったのだが、やはり疲れのためかいつの間にか全員眠ってしまった。

朝、糸子が目を覚ますと、女の子は姿を消していた。帯に縫いつけてあった金も一緒に消えていた。

結局、生地を買うことができなくなった。糸子は意気消沈して岸和田に帰ってきた。
糸子の留守を寂しく思っていた娘たち(花田優里音、心花)は、糸子の姿を見るやいなや抱きついてきた。その可愛らしい様子に、少しだけ元気を取り戻すことができた。

けれども、やはりあの女児のことが気になって仕方がなかった。とても痩せていて、泥棒をするしかない子供のことがかわいそうでならないのだ。
糸子は彼女が無事に生き延びることを願った。そして、自分たち大人が頑張って良い世の中を作り上げ、あのような子供たちを救うことを誓うのであった。

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NHK『カーネーション』第78回

自炊の様子をtwitterに写真付きで実況していることについて、某夫婦から「木公くん、あれマズイよ。お嫁さんもらえなくなるよ。『ワタシ、あんなに上手に料理できないわ。結婚しても食べさせるものがないわ』と女性が萎縮してしまうよ。婚期遠のくよ」と言われてしまい、ああしまった!と激しく後悔している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第78回目の放送を見ましたよ。

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第14週「明るい未来」

1945年(昭和20年)10月。
八重子(田丸麻紀)が久しぶりに糸子(尾野真千子)を訪ねてきた。ふたりが顔を合わせるのは、戦死した泰蔵(須賀貴匡)の葬式以来のことだった。

八重子は安岡の家を出て、子供らと一緒に実家に帰ることを決めたと言う。義理の母・玉枝(濱田マリ)との折り合いが悪くなり、これ以上辛抱できなくなったのだ。泰蔵が戦争から帰ってくるまでの辛抱だと思っていたが、その希望もなくなった。もう玉枝と仲良く暮らすことはできないと言うのだった。
玉枝は可愛がっていた息子の泰蔵と勘助(尾上寛之)を両方共戦争で失った。そのせいで正気を失ってしまったのだ。彼らが死んだのは、八重子が死神を連れて嫁に来たせいであると言ってなじるのだという。玉枝が誰かに当たりたい気持ちはよくわかるし、それを助けてやれない自分を薄情だと思う。しかし、我慢の限界に達したといって八重子は泣き出すのだった。

八重子は糸子を引き合いに出し、自分の好きな仕事に打ち込むことができれば、少々の辛いことには堪えられただろうと考えている。しかし、彼女のパーマ機は戦争中の金属供出で奪われてしまった。自分が手がける仕事もなく、メソメソするばかりの弱い女になったと言うばかりだった。

糸子はそれ以上何も言えず、八重子と別れた。
糸子は、戦争のことなど全て忘れて、何も無かったかのようにお洒落をしたり、お菓子を食べたりしたいと思った。しかし、単に物資不足を招いたというだけではなく、戦争はなんと深く辛い傷跡を人々の心に残したことだろうと思うのだった。糸子は珍しく元気を失い、無気力になった。

家に帰ると、今度は八重子の長男・太郎(大原光太郎)が待っていた。
太郎は、糸子の店で働かせて欲しいと願いでた。八重子は実家に帰ると言っているが、自分は祖母の玉枝を一人で残していく気にはならないというのだ。自分だけでも残って、玉枝と一緒に暮らることを望んでいる。しかし、そのためには稼ぎが必要なので、中学校を辞めて働きたいというのだ。
糸子は太郎の優しさに感じ入ったが、返事を保留した。

別の日、糸子は木之元(甲本雅裕)と共にヤミ市へ出かけた。洋服用の生地を探すものの見つからなかった。人々はまだまだ食うのに精一杯で、お洒落にまで気が回らず、物資も出回っていないようだった。

そんな中、ヤミ市の中に派手な格好をしたふたりの若い女性を見かけた。青や赤の原色系の上着に、色柄の入ったスカートを履いている。頭には大きなリボンを付けて、髪にはパーマがあてられていた。それはカッコよく、とても良く似合っていて、様になっていた。
彼女らはパンパン(売春婦)だと言って木之元が止めるのも聞かず、糸子はふたりに声をかけた。けれども、彼女らは蓮っ葉な口のきき方をし、田舎くさい格好の糸子をバカにするだけで立ちさってしまった。糸子は腹を立てたが、とにかく彼女らの様子をそばで見ることができて、新しい時代のお洒落を感じ取ることができた。

糸子は木之元の力を借りて、どこかでパーマ機を手に入れることができないか探した。その結果、やっと東京で中古のパーマ機が1台だけ売りだされているのを見つけた。

早速、糸子は八重子を呼び出した。一緒に東京に行ってパーマ機を購入し、八重子が岸和田に残って美容室を始めることを提案した。糸子が洋服、八重子がパーマと分担して、女性を飾り立てる仕事をしようと持ちかけたのだ。もちろん、好きな仕事に打ち込むことで、八重子が自信を取り戻すということも狙ってのことである。

八重子は、実家に帰ることはもう決めたことだから、といってそれを受け入れようとはしなかった。糸子は大声をあげたり、声を低めてなだめたりと、緩急をつけた1時間もの説得を続け、やっと東京へ一緒にパーマ機を買いに行くことを承諾させた。金は全て糸子が貸すことになった。パーマは大流行するはずだから、金もすぐに返せるというのが糸子の読みだった。

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NHK『カーネーション』第77回

昨日は会社の有給を使って、岸和田へ取材旅行に出かけた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第77回目の放送を見ましたよ。

南海・岸和田駅の改札前の横断幕

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第14週「明るい未来」

戦争が終わったものの、今度は進駐軍がやって来るというので人々は不安に思った。これまで激しい戦闘をしていた相手が、敗戦国の日本に何をするか分かったものではない。とにかく、アメリカ兵とは顔を合わさず、隠れているのが良いという噂になっていた。

1945年(昭和20年)10月。いよいよ進駐軍が岸和田にもやって来た。
商店街に2人のアメリカ兵が姿を表したという報せが駆け巡り、人々は店の扉を閉めて、奥に隠れた。糸子(尾野真千子)もしっかりと戸締りし、家の者をかくまった。

しかし、優子(花田優里音)と直子(心花)がまだ家に帰ってきていなかった。しかも、間の悪いことに、アメリカ兵たちが糸子の店の前で様子を伺っている所へふたりは帰ってきた。アメリカ兵は、喧嘩している優子と直子をなだめてやろうとした。家の中でその物音を聞いていた糸子は、娘たちを救うために表へ飛び出した。それに合わせて、近所の者たちも得物を持って一斉に表へ出た。一触即発の空気が流れた。

けれども、アメリカ兵たちは噂ほど恐ろしいものではないということが分かった。
喧嘩していた優子と直子は、それぞれ1枚ずつとても大きなチョコレートを貰っておとなしくなった。木岡(上杉祥三)は日本の珍しい土産物として、下駄を売り込むなどして仲良くなった。
アメリカ兵は外国の珍しいものを持ち込んでくれるし、日本の物を買ってくれるので、自分たちにとってありがたい人々であるという認識にすぐに変わった。

闇市にもアメリカからの品物が流入していて重宝した。
闇市では物々交換が主な売買手段だった。糸子は軍事用の布で作った粗末な下着を持ち込んでいたが、それでもありがたがられた。糸子は下着1枚がカネのように思え、あちこちの軍事工場跡から生地をかき集めては大量に下着を縫うのだった。

そんなある日、サエ(黒谷友香)が訪ねてきた。互いの無事を確認すると、ふたりは泣きながら抱き合った。しかし、サエは弟や仲のよかった親戚の男性を戦争で亡くしたのだという。糸子も親しい人々を戦争でなくしていたので、ますます共感しあった。

ところが、お洒落の話になるとサエは急に明るくなった。そして、なぜ女性用の洋服を縫わないのかと、糸子に詰め寄った。サエは食うのを我慢してでもお洒落をしたいと言い出した。街には復員した若い男たちやアメリカ兵が増えてきている。この機会を逃したくはないのだという。
そして何より、いつまでもふさぎこんでいたら、悲しいのと悔しいので死んでしまいそうだと訴えた。男たちが当局の禁止を破ってだんじりを曳いて憂さ晴らしをしたのと同じように、女はお洒落をして憂さ晴らしをしなくてはならないと説得するのだった。

サエが帰った後、糸子はずっと彼女の言葉が気にかかった。そして実際、他にも洋服を求める女性客がいた。確かに糸子も洋服を作りたいのだが、上等な生地がどうしても手に入らないのだ。

悩んでばかりもいられないので、糸子は軍用の生地で洋服を作って見ることにした。ズボン下用の生地で作ったブラウスと、軍服用の生地で作ったスカートをショーウィンドウに飾った。すると、地味で簡素なものであるにもかかわらず、それを求める客が殺到した。

客の中には、馴染みの長谷(中村美律子)もいた。彼女は3人の息子を出征させたはずだが、彼らがどうなったかは聞くに聞けない。結果がどうであれ、良い洋服を作ってやって、彼女を喜ばしてやりたいと思った。

長谷だけではない。糸子は、良い洋服を作って、多くの人々に着せてやりたいと強く思うのだった。

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NHK『カーネーション』第76回

毎日朝ドラを見て関西弁を聞いているはずなのに、いざ関西に来てみると関西弁のディクテーション能力が低下していることを自覚してショックを受けながらホテル日航奈良に宿泊している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第76回目の放送を見ましたよ。

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第14週「明るい未来」

1945年(昭和20年)8月15日、戦争が終わった。

しかし、糸子(尾野真千子)はまったく実感が湧かなかった。
それどころか、10年近くの戦争の間に亡くなった大切な人々のことを思い出すと悲しくてならなかった。家で一人で涙を流した。

久しぶりに鏡で自分の顔をじっくり見た。自覚のないうちに、自分の顔はずいぶんと老け込んでいた。そんな自分を見ているうちに、もうこの先に楽しいことは何一つないのではないかと落ち込むのだった。

それから、どうしていつまでも自分の気が晴れないのかと考えた。その結果、モンペのような冴えない服を着ているからだと気づいた。そこで、周りが未だにモンペや国民服といった保守的な衣類を身につけている中、糸子は自分だけアッパッパを来て過ごした。
窮屈な服を脱ぎ捨てることで、やっと糸子は人心地がついた。そしてやっと、戦争が終わったと知るのだった。

ラジオからは軍歌に変わって、楽しげな歌声が流れるようになった。山中に疎開させていた家族も家に連れ戻した。久しぶりの明るい食卓に、みんなに満面の笑顔が戻った。

けれども、将来に対する人々の不安は拭えなかった。
オハラ洋裁店は軍からの仕事を受注していたが、それらは全面的に中止となった。材料の生地は払い下げで手に入れることができたが、何を作って誰に売ればいいのか、商売の目処が立たなかった。とりあえずは、細々と下着を縫うばかりだった。

さらに、アメリカ軍が日本にやってくるという噂も人々を不安にさせた。
特に女たちは、アメリカ兵達に乱暴されるのではないかと怯えるのだった。
糸子ですら、アッパッパのような薄着のままではアメリカ兵に目を付けられると怖気付いた。しかし糸子は、もう二度とモンペなど着たくないと思うのだった。モンペを着るくらいなら死ぬ方がマシだと思えば、何も怖くなくなった。周りが呆れるのも気にせず、糸子だけはアッパッパを着続けた。

ある日、糸子は木之元(甲本雅裕)に闇市を案内してもらった。闇市には、配給では手に入らない物まで、ほとんで何でも大量にあった。いずれも価格は高かったが、糸子は持ち前の話術で巧妙に値切り、満足のいく買い物ができた。久しぶりに活気のある市場の様子を見たり、珍しいものが手に入ったりで、糸子は気分爽快で家に帰ってきた。

一方で、だんじり祭に関しては、当局から開催を禁じられた。理由は、騒ぎによってアメリカ軍を刺激するべきではないというものであった。岸和田の地元民たちは反発したが、それに従うほかなかった。

9月14日、だんじり祭が行われるはずだった朝。人々はだんじり小屋に集まり、扉を開けてだんじりを拝んだ。
けれども、人々はだんじりを見ていると血が沸き立った。だんじりは岸和田の人間の命そのものだと言い出し、当局に無断でだんじりを急遽曳くことを決めた。集まった人々の手によって、ゆっくりとだんじりが小屋から姿を表した。

その巨大な姿を見上げ、糸子は呆然としつつ、内に何かを思うのだった。

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NHK『カーネーション』第75回

今日は7時ころから出かけており、23時に帰ってきた当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第75回目の放送を見ましたよ。

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第13週「生きる」

勝(駿河太郎)が戦病死し、遺骨が帰ってきた。しかし、糸子(尾野真千子)は実感がわかず、呆けてばかりだった。勝の死が悲しいというのではなく、飢餓や睡眠不足、猛暑、騒音などで思考能力が残されていなかったのだ。勝の葬式行列で歩いていても、暑いという事以外はほとんど何も考えられなかった。

勝が死んでも、糸子の生活は変わらない。細々と仕事をしながら、バケツリレーの訓練をしたり、山奥に疎開した家族に食料を運ぶ。夜中に空襲警報が鳴るため睡眠不足の毎日であった。不条理なことが日常風景になってしまい、糸子は感覚が麻痺してしまっていた。

ある日、泰蔵(須賀貴匡)の戦死も伝えられた。泣き叫ぶ八重子(田丸麻紀)が隣にいても、糸子は全てが違う世界のことのように感じられた。当然、涙の一粒も出なかった。
けが人はいないものの、神戸の祖父母の家や所有する工場が空襲で焼けてしまったという。その話を伝えられても、やはり特別な感情は湧かなかった。

糸子は完全に心を失っていた。そのことを自覚しつつ、糸子はありがたく思った。様々な悲しい出来事に一々翻弄されず、つらい思いをしないで済むことは救いであると思うのだった。

ところがある日、家族の疎開先に食料を運んだ際、優子(花田優里音)と直子(心花)が赤い花びらをたくさん摘んで来て、糸子に手渡してくれた。無邪気な子供たちの様子と、久しぶりに見た美しい物に、糸子は少しだけ心を取り戻した。
懐かしい記憶が次々と思い出され、だんじり祭りのお囃子の幻聴も聞こえた。糸子はそれらの幻覚に誘われるように、だんじり小屋へ向かった。
だんじりを目の前にして、糸子は感情が爆発した。その場で大声を出しながら泣き崩れた。糸子は少しだけ人らしさを取り戻したようだった。

その矢先、娘たちの疎開先の方が空襲に遭っているという情報を耳にした。慌てて駆けつけ、より安全な所へ家族を移そうとした瞬間、目の前に爆弾が落ちた。家族に怪我はなかったものの、腰を抜かして動けなくなってしまった。
糸子一人だけは気丈であった。糸子は外に出て、飛び交う火の粉の中で空を見上げた。そして、
「うちは死ねへんで!」
と叫び声をあげた。昔の勝気な糸子が復活しつつあった。

その時、奈津(栗山千明)は少し離れたところから岸和田に爆弾が落とされる様子をぼんやりと眺めていた。隣には、落ちぶれた奈津を言いくるめて連れ回している男(櫻木誠)がいた。男は、自分はこれ以上失うものが無いから、空襲など怖くないと言うのだった。その言葉に、奈津も涙を流しながら同意した。

そして8月15日。日本は降服した。
正午に玉音放送が流れると、人々は喜びと不安の混じり合った、なんとも言えない気持ちで浮き足立った。

ところが、糸子だけは何の感慨もなかった。糸子にとっては、いつもと同じ夏の暑い一日だった。
いつもと同じように、昼食の支度を始めた。

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NHK『カーネーション』第74回

明日は年内最後の放送日だけれども、7:08のバスに乗って早稲田大学に行く予定(第15回実験社会科学カンファレンス)なので、まとめ記事の公開の遅れる当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第74回目の放送を見ましたよ。

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第13週「生きる」

1945年(昭和20年)3月14日朝。
岸和田で初めて空襲警報が発令されたが、結局何事もないまま警報が解除された。
糸子(尾野真千子)は家に帰るとすぐに善作の位牌と遺影をカバンにしまった。昨夜、避難の時に持ち出すのを忘れたので、今後はいつでも持っていけるようにしたのだ。
善作がそばにいれば安心だと思い込もうとしたが、やはり戦争に対する不安は拭えないままだった。

翌日の新聞では、大阪市内が焼夷弾で焼かれたことが伝えられた。それを受けて、町内会の防火訓練が週2回に増やされた。しかし糸子は、100機近いB29爆撃機が飛来するのに、人力とバケツの消火活動では何の役にも立たないと白けるばかりだった。

家族の身は自分で守らなければならないと思った糸子は、山奥の農家(上村厚文)の納屋を借り、千代(麻生祐未)とハル(正司照枝)、子供たち(花田優里音、心花)を疎開させることにした。市街地でなければ空襲の対象にならないと考えたからだ。その上、農家の手伝いをすれば食料も手に入れられるという打算もあった。真新しい下着を差し入れたり、りん(大谷澪)、幸子(高田真衣)、トメ(吉沢沙那)ら若い縫い子に畑仕事を手伝わせることで、大所帯の小原一家でも困らないだけの食料をなんとか確保することができた。

ただし、その食料を自転車で運搬するのは全て糸子の役割となった。いくら食料が手に入ったとは言っても、力仕事をするのに十分な量は到底食べることができない。それに毎夜の空襲警報で十分な睡眠もとれない。糸子は日に日に疲弊するばかりだった。

そんな生活が三月ほど過ぎ、6月に梅雨入りした。
疎開先の家は雨漏りやムカデの被害に苦しめられた。ハルは家に帰りたいと文句ばかり言っている。それでも、千代や子供たちは珍しい田舎暮らしを満喫しているように見えた。近くの川で蛍を見るのを楽しみにしている。

その頃、夜逃げした奈津(栗山千明)は、食うのに困ってイモを数個盗んで逃げるほど落ちぶれていた。追いかけられて逃げているところを、復員兵(櫻木誠?)にかくまってもらった。薄汚れてはいたが、月明かりの下でも奈津の美しさは際立っていた。その姿を見た男は、飯を食わせてやるといって奈津をどこかへ連れて行こうとした。深く物を考えられなくなっている奈津は、言われるがままに男について行くのだった。

7月になり梅雨は明けたが、今度は太陽に照らされ暑い日々が続いた。アメリカの爆撃機が毎日頭上を飛ぶようになり、警報がひっきりなしに鳴った。
この前までは楽しそうにしていた疎開先の家族たちは暑さで参ってしまった。

糸子の疲労も限界に達し、何も無い時は家の中で突っ伏しているばかりだった。空腹と睡眠不足の結果、物事を深く考えられないようになっていた。

そんな矢先、勝(駿河太郎)が戦死したという公報が届けられた。無表情に封筒を眺めるだけの糸子であった。

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NHK『カーネーション』第73回

今年のクリスマスは、大阪、札幌、奈良の各支部のサンタさんからプレゼントをもらった当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第73回目の放送を見ましたよ。

大阪支部から山瀬テレカ、札幌支部から経済学漫画、奈良支部からお酒。どうもありがとうございます。

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第13週「生きる」

1944年(昭和19年)12月暮れ。
アメリカ軍の本土への空襲が始まった。岸和田に攻撃が加えられることはまだなかったが、頭上を爆撃機が飛ぶようになった。

1945年(昭和20年)1月3日。
糸子(尾野真千子)は3人の娘たちだけを連れて神戸の祖父母宅を訪問した。おじ(田中隆三)やいとこの勇(渡辺大知)は紡績会社の経営のため神戸に残り続けるという。若い勇にいたっては、工場長という肩書きのおかげで兵役を免除されており、その役目がなくなると出征せねばならぬという。空襲の恐れがあっても、戦地に行くよりはましなのだ。
祖母・貞子(十朱幸代)は生まれ育った神戸を名残惜しく思いながらも、姫路の山中の別荘に疎開するつもりだという。近頃は祖父・清三郎(宝田明)がボケ始めたため、いざというときに逃げ切れないことを心配しての事だった。

祖父・清三郎は、それほどひどいものではなかったが、短い時間でボケと正気を行ったり来たりしていた。善作(小林薫)の死を知っているはずなのに、糸子だけが来たことについて、善作はなぜ来ないのか、と尋ねるのだった。また、糸子がまだ女学生だと思い込んだりしている。
しばらくすると、糸子のことを千代(麻生祐未)だと思って話しかけはじめた。清三郎は、千代に向かって、善作に冷たい仕打ちをしたことを謝った。自分も元々は貧しい丁稚の出で、金持ちの娘と結婚させてもらったという境遇は善作と同じである。清三郎自身は、先代(養父)にとてもよくしてもらった。それなのに、自分はどうして善作に対して同じように接してやることができなかったのか、と後悔するのだった。その時は善作の死をしっかり意識しており、岸和田の仏壇へ謝罪の伝言を託すのだった。

神戸の家を去る時、糸子と祖母・貞子は抱き合った。日本への空襲が始まったことで、これが今生の別れになるかもしれないと思うと名残り惜しかったのだ。再会を誓い合って、糸子は岸和田に帰った。

翌1月4日、名古屋、大阪、浜松に初めて焼夷弾が落とされたことが新聞で報じされた。焼夷弾には油が仕込まれており、あっと言う前に火が燃え広がるという。人々はその武器に恐怖し、容赦のないアメリカ軍に恐怖した。町内ではバケツリレーによる消火訓練が盛んに行われるようになった。しかし、糸子はバケツの水くらいでは何の役にも立たないのではないかと思うのだった。

そして、3月10日未明には、東京大空襲が行われた。同12日には名古屋が空襲に遭ったという。爆撃対象が西進している様子から、いつ阪神地区が空襲されてもおかしくないと思われた。
その矢先の3月13日の深夜、空襲警報が鳴り響いた。

糸子はハル(正司照枝)を背負い、家中の物を引率して防空壕へ逃げようとした。しかし、恐怖のあまり身のすくんでしまったトメ(吉沢沙那)がどうしても逃げようとしない。もうこのまま死んでもいいと言うのだ。
腹を立てつつも見捨てることのできない糸子は、他の者達を先に防空壕へ行かせ、ハルと一緒に家に残った。空襲が始まって、もっと恐ろしくなればトメも逃げる気になるだろうと予想したのだ。豪胆にもその時期を待つことにした。

はたして、空襲が始まる前であったが、トメは気を取りなおした。このままでは、足腰の弱いハルまで巻き沿いにしてしまう。自分のせいでハルを犠牲にするわけにはいかないと思い直したのだ。
急いで非難を開始する3人であったが、家のものが向かったであろう防空壕はすでにいっぱいで入れないと聞いた。そこで別の防空壕へ向かうのだった。

しばらく行くと糸子は、善作の位牌を家に忘れてきたことを思い出した。
しかし、取りに戻ることはなかった。縁があれば再開できるだろうと割り切って、防空壕への道を急いだ。

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NHK『カーネーション』第72回

今日の日中(夜じゃないところがトホホ)は某かわいこちゃんとデート(デート?デートなのか!?)だというのに、僕は朝ドラを見てブログを書く必要があるので、その分だけ待ち合わせ時刻を遅らせてもらったりして、「お前やる気あんのか?」と自問自答している当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第72回目の放送を見ましたよ。

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第12週「薄れゆく希望」

1944(昭和19年)年9月。
今年は、ついにだんじり祭りが中止になってしまった。若く元気な男たちがみな戦争にとられてしまったので、物理的にだんじりを曳くことができないのだ。無邪気な次女・直子(心花)は、男しかだんじりを曳けないというしきたりなど無視して、来年は自分が曳くと言って騒ぎ出した。糸子(尾野真千子)は、それはできないのだと諭しながらも、小さい頃の自分を見ているようでかわいらしく思った。

しかし、糸子は悔しくてたまらなかった。戦争によって、人が人らしくない生き方を強いられていることに納得がいかなかった。
学校で子供たちは、人の殺し方と自分の死に方ばかり教えられている。一度は戦争に興味を失った長女・優子(花田優里音)も、最近ではまた軍事教練ごっこばかりしている。八重子(田丸麻紀)の長男で中学生の太郎(大原光太郎)。は、日本軍の正義を信じこみ、自分は海軍予科練に入って飛行士になることを夢見ていた。

それでも糸子は、太郎のことを親思いのよい子供だと思っていた。彼は毎日、糸子の店を手伝っている八重子の帰りを迎えに来る。八重子がどんなに断って、必ず八重子の荷物を運んでやるという心優しい息子だった。
そんなふたりを見ていると、糸子は安岡家のことが気にならないわけにはいかなかった。八重子自身は毎日明るく元気だが、夫・泰蔵(須賀貴匡)を戦争に取られ、義母・玉枝(濱田マリ)の髪結いは店じまいし、義弟・勘助(尾上寛之)は復員後に精神がやられ無気力な毎日を送っている。その上、3人の子供の母である。八重子は何も表に出すことはないが、大変な苦労をしているに違いないと思うのだった。

ところが、糸子も一家の大黒柱として忙殺されるようになり、八重子にばかり肩入れする余裕も無くなった。ある日、八重子の元気がなく、一日中ぼんやりとしていたのだが、糸子はそれに気づかなかった。異変を察した千代(麻生祐未)が話を持ちかけるのだが、糸子はみんな大変な時期なのだから、自分のことは自分でやってもらわなくては困るといって取り合わなかった。
特にその日は、店の者たちが検品の手を抜いたことによる不良品のクレームで大忙しだったのだ。

糸子が忙しく働く声や姿は、店の外まで漏れていた。
その様子を、勘助がこっそりと、そして嬉しそうに覗いていた。それを、使いから帰った四女・光子(杉岡詩織)が見つけた。

勘助の装いを見て、光子は彼が出征するのだと気づいた。糸子に会って行くよう誘う光子であったが、勘助は丁寧にそれを拒否した。そして、糸子を助けることを光子に託すのだった。
自分も本当は糸子に別れを告げたいのだが、その資格が無いのだと寂しそうに言った。自分が弱虫であることを恥じているのだ。そして、そんな自分も今回の出征でやっと終わりにすることができると言うのだった。
それは、死ぬことをほのめかした発言だった。

光子は泣きながら家に帰ってきたが、何も言おうとしなかった。その様子から悟った八重子が、勘助の出征のことを打ち明けた。
何も知らなかった糸子は、慌てて勘助の後を追った。しかし、糸子は勘助に追いつくことができなかった。

一月後、勘助は戦死した。

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NHK『カーネーション』第71回

明日の日中(夜じゃないところがトホホ)は某かわいこちゃんとデート(デート?デートなのか!?)だというのに、クリスマス・プレゼントを準備しておらず、しかも今日は出勤日だから買い物にも行けねぇよ、やべぇよと焦っている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第71回目の放送を見ましたよ。

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第12週「薄れゆく希望」

1944年(昭和19年)4月。
八重子(田丸麻紀)はついにパーマ機を金属供出してしまい、店を閉じることになった。収入のなくなった安岡家を救うため、糸子(尾野真千子)は彼女を店で雇うことにした。
明るい八重子はみんなの話題の中心になったし、糸子の良き相談相手にもなってくれた。八重子の夫・泰蔵(須賀貴匡)は戦争に行ったままであったが、彼の男前ぶりの噂で持ちきりだった。そろそろだんじり祭りの時期だが、大工方として屋根に登った泰蔵のことなどが語られた。

糸子はふと、泰蔵に恋をしていた奈津(栗山千明)のことを思い出した。すると奇遇なことに、奈津から電話がかかって来て呼び出された。
糸子が奈津の家に行くと、自分が結婚式を挙げた部屋に通された。しかし、その部屋は現在では半分物置のような状態になっていた。食料物資が不足していて客に提供する料理もないし、当局からの指導で商売もほとんどやれなくなったのだという。

そして奈津は、本題を切り出した。
土地と家屋を含めて1万円で店を買って欲しいと言うのだ。店の経営に失敗し、それだけの借金をこしらえてしまい、どうすることもできなくなったのだ。何人もの金持ちに相談したが、この時局では買い手がまったく見つからなかったという。
もちろん糸子にはそんな大金を用意できるはずもなく断った。そして、幼なじみの奈津に対する友情と、同じ経営者としての不甲斐なさとから、つい大きな声で説教をしてしまった。しかし、負けん気の強い奈津はまともに聞こうともせず、ふたりは喧嘩腰で別れた。

腹を立てて帰宅した糸子は、八重子に全て話した。すると八重子は奈津に同情するのだった。奈津は父(鍋島浩)を早くに亡くし、婿養子の夫(真鍋拓)は蒸発、母(梅田千絵)は体が弱い。奈津は頼る人物もおらず、ひとりで店を切り盛りしてきた。最終的に失敗してしまったかもしれないが、これまでの頑張りは立派なものだと褒めるのだった。
糸子は困っているなら、どうして手遅れになる前に相談してくれなかったのかと苦々しく思った。しかし、八重子のいうことももっとだと思い、できる限りのことをしてやろうと思った。

まずは神戸の祖母(十朱幸代)に購入を持ちかけたが、彼女は興味を示さなかった。
他に手のなくなった糸子は、店のリーダー格・昌子(玄覺悠子)が反対するのも聞かず、店の金で何とかしようと思い、奈津の所へ向かった。

奈津の家の前では借金取りたちが地団駄を踏んでいた。話を聞くと、奈津と母親は夜逃げして姿を消したという。店は軍が二束三文で買ったのだという。

糸子は怒りと悲しみの感情に駆られた。誰もいなくなった家に向かって口汚く罵りながら泣き叫ぶのだった。

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NHK『カーネーション』第70回

今さらながら、斉藤和義ずっと好きだった」(Get back)と「やさしくなりたい」(衣装はこれだけれど、動きはこっちっぽい)のPVが the Beatles のライブ映像を再現していると知り、その完成度の高さに感激した当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第70回目の放送を見ましたよ。

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第12週「薄れゆく希望」

1943年(昭和18年)9月。戦争の影がより濃く日常生活に浸透していた。
オハラ洋裁店の仕事は軍服の下請けばかりになった。若者が戦死し、店の前を葬送の列が通りがかった。配給が目に見えて減っているし、商店街でも多くの店が閉店してしまった。人々は庭で食料を自給して飢えをしのぐようになった。小原家では下着や靴下を農家に持ち込んで食料に交換することができる分だけ恵まれていた。

糸子(尾野真千子)は戦地の夫・勝(駿河太郎)に善作(小林薫)が亡くなったことを何度か知らせた。しかし、勝からの返事には、どういうわけか毎回、善作のことを気遣う文が書かれていた。
ハル(正司照枝)もすっかり老けこんでしまった。善作をなくし、世は戦争ばかりで生きていてもちっとも面白くない、無駄飯食いであることだし早く死んでしまえばいいと弱音ばかり吐くようになった。

国民学校では軍事教育が盛んになった。そのせいで優子(花田優里音)もすっかり軍国少女になってしまった。毎日、勇ましい声を出して、兵隊ごっこに明け暮れるのだった。

ある日、優子が戦争映画に連れて行けと騒ぎ出した。初めは相手にしていなかった糸子だったが、根負けして優子と直子(心花)を連れて行った。
あれほど楽しみにしていたのだが、戦闘シーンばかりの映画は優子の期待にそぐわなかった。すぐに飽きてしまって、帰ると言い出した。親子は映画を途中でやめて帰路についた。

帰る途中、憲兵が共産主義者に暴行を加え、逮捕するところに出くわした。
あまりの光景に子供たちは震え上がった。糸子は娘たちをかばい、眼を伏せさせて凄惨な様子を見せないようにした。
その時、糸子は思った。戦争ばかりで、美しいものをほとんど目にすることのない娘たちがなんとかわいそうなことか、と。

すぐに糸子は、元来絵の上手な優子のために色鉛筆を買ってやった。物資不足の昨今、それはとても高価なものであったが、糸子は躊躇しなかった。そして、きれいなものをたくさん描け、きれいなものが描けたら妹たちに見せてやれと優子に言うのだった。
優子も色鉛筆をすぐに気に入り、もう戦争ごっこはしなくなった。

もうすぐ、だんじり祭の時期だ。
若者達が戦争に取られてしまったため、年寄りばかりの祭りになりそうだ。しかし、どんなことがあってもだんじりは曳かれなくてはならない。
だんじり祭りのことを考えると、糸子は暗いことは全て忘れて、うきうきと明るい気持ちになることができた。

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