シングル、ダブル、サブル

 中島らもが大阪で見た変なおじさん/おばさんを面白おかしく紹介するという話の中で、トリプルの事を「サブル」と表記する店があったと証言している。

 僕は異なる2冊の書籍でその話を読んだ。しかし、話の細部が微妙に異なっていることに気づいた。そのことを指摘して、鬼の首を取ったように自慢しようというわけではないが、一応記録として残しておく。

「シロウトおそるべし」(中島らも『西方冗土』収録)

コピーではないが、東大阪の方に有名な「イカ焼き」屋さんがあった。老人夫婦でやっているのだが、このイカ焼きは普通の大きさのものと、二倍の大きさのと三倍のとがある。ここのメニューには、
「シングル百八十円、ダブル三百円、サブル四百五十円」
 と書いてある。おそらく「トリプル」という言葉を知らずに憶測で「サブル」というのを考えたに違いない。この「サブル」はなかなか人気のある実力者だったが、ネーミングも力になっていたにちがいない。

「らもとさだおの『まずいもの大好き』」(東海林さだお『なんたって「ショージ君」』収録)

らも ようするにゲソを鉄板で焼いて、その上に小麦粉と卵を溶いたものをジャーッとかけて焼きあげるんですけど、天王寺に昔おじいさんがやってる店がありましてね、イカ焼きの大きさによって値段が違うんです。それでね、壁に、「イカ焼きシングル百二十円」「ダブル四百八十円」。その次がすごいんですけど「サブル五百四十円」。
さだお 理論的にいえば、三だからサブル。
らも おっちゃん何も知らんから、勝手につけたんですよ。
さだお そうすると、サブルの次はヨブル。
らも 誰か注意したれよと思うんですけどね。

 両者を比較すると、地域の違い(東大阪と天王寺)、経営者の違い(老人夫婦とおじいさん)、価格の違いなどが挙げられる。
 価格をより詳しく検討しよう。前者ではそれぞれ 180円、300円、450円であり、価格比は 1:1.67:2.5 である。わりとリーズナブルだ。しかし、後者は 120円、480円、540円となっており、比が 1:4:4.5 である。なんと、ダブルになると価格が一挙に4倍にもなるのだ。これはにわかには信じがたい。そのくせ、ダブルとサブルの価格には12%の違いしかない(前者では 50%の差がある)。

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まつとし聞かば 今帰り来む: 猫が帰ってくるおまじない

 本日放送のNHK朝の連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』で、中納言行平(在原行平)の和歌が登場した。

立ち別れ 因幡の山の峰に生うる まつとし聞かば 今帰り来む

 その歌のことを向井理演じる水木しげるが、迷い猫が返ってくるように願うおまじないであると言うシーンがあった(参考: 当方のまとめ記事)。

 今朝の放送を見た時、内田百閒の『ノラや』という本の中で読んだことがあるような気がした。その時は出勤前で余裕が無かったのだが、時間ができたので調べてみた。わかったことを以下に記す。

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松本清張『点と線』

 初めて松本清張を読んだ。

 彼の作品としては、映画化された『砂の器』だけはDVDで見たことがあった。胸を打つ作品だったし、見て良かったと思うし、名作だと信じる。ただし、未見の人にオススメするほどかと言われると、少々口ごもる。昭和中期が舞台で現代とは生活風俗が異なるし、疾病差別という重いテーマが背景にあるので、真剣に見ようと思ったらずいぶんと肩がこるのだ。
 このように、僕の唯一の「松本清張・経験」は『砂の器』に集約されており、松本清張は肩こりの固まりみたいな存在としてしか認識されていなかった。だから、有名作家であることは知っていながら、これまで一度も彼の作品は読んだことがなかった。

 ところが昨日、単なる暇つぶしのつもりで松本清張の『点と線』の文庫版を購入した。なんで松本清張を選んだのかはよく分からない。それでも、『点と線』をチョイスした理由は、彼の代表作であるという事を知っていたからだ。その上、「アリバイ崩し」もしくは「時刻表トリック」というミステリ・ジャンルにおいて、金字塔と目されていることも知っていたからだ。ミステリ方面に全く詳しくない当方ではあるが、一般常識としてこの作品は読んでおく必要があるかもしれないと、なんとなく思った次第なのだ。

 僕は本を読むスピードの早くない人間だが、ほんの2時間くらいで読み終えられた。初めの数パラグラフは、少々堅苦しい文体に面食らいもしたが、ペースを掴んでくるとスルスルと読める。

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大竹文雄『競争と公平感: 市場経済の本当のメリット』

アンチ小泉・自民党やら、今日の友愛・民主党やらを支持する世論として「行き過ぎた経済競争が格差を生み出し、人々を不幸にしている」という意見があろう。

それに異を唱えるのが本書。

確かに経済競争によって何らかの損失は生まれることは認める。
しかし、その損失を低減する方法はあるし、多くの場合に現行制度よりもマシな結果をうむだろうことが説明されている。そして、経済競争によって、最終的には人々の生活が豊かになるだろうことを啓発する。

現代経済学のオーソドックスにして学術的な議論に基づきつつも、男女や年齢の格差、非正規雇用の問題、乳幼児教育の是非などが例題として挙がっていて、わかりやすく興味も持ちやすい仕上がりになっている。

一方で、オムニバス的内容で、いまひとつまとまりに欠けるような印象も受ける。この点を逆に評価するとするなら、目次を見て興味のあるところだけつまみ食いするのにもってこい。

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俺たちは、いい時代に生まれた

東直己『探偵、暁に走る』を読んでる。
世の中の不条理な格差をシニカルに表現。当方好みの一節を見つけた。

 俺たちは、いい時代に生まれた。抗生物質があり、よく利く痛み止めがあり、手術も大概は麻酔が有効だ。酒は洗練され、夢のようにうまいスピリッツがあり、その上にサウナまである。それらの幸せに比べたら、核兵器の悲惨さも、ジャンジャウィードによる虐殺も、こども兵士の悲惨も、肩をすくめてやり過ごすことも不可能ではない。・・・胸はものすごく痛いけどな。滅茶苦茶な話だ。
 そんなことをぼんやり頭の中で転がしながら、俺はサウナの仮眠室のソファの上で、ややぐっすり眠った。

チクワブ愛

今日、東海林さだおの『ダンゴの丸かじり』を買ってきて、読んでいる途中。

週刊朝日に現在も連載されている「あれも食いたいこれも食いたい」をまとめたもので、同書は1995年頃に書かれたエッセイが収録されている。どのエッセイも食べ物に関するものであり、文庫で6ページくらいの分量。しかも、イラストカットが必ず3つあるので、ちょっとした時間に少しずつ読むのに最適。今も、風呂に入りながらのんびり読んでた。

すると、「チクワブの謎」というエッセイに行きあたった。チクワブ(wikipedia で調べる)は目立たず、ほとんどの人に忘れられているという内容。

(おでんのタネを思い出そうとするとき) と挙げていっても、いつまでたっても出てこないのがチクワブではないでしょうか。そういえば、そんなものもあったね、なんて興味なさそうに言われてしまうのがチクワブだ。
–東海林さだお『ダンゴの丸かじり』 p.59

ところが、偶然にもほんの2日前、僕はチクワブが好物だという女の子に出会っていたのだ。

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山岸俊男 『心でっかちな日本人』 文庫版

筑摩書房から、山岸俊男『心でっかちな日本人 ――集団主義文化という幻想』が文庫版となって刊行された模様。

僕は2002年に出た単行本を持っているので、文庫版を買うつもりはありませんが。
でも、文庫でお求めやすくなったので、もってない方はどーぞ。

なんでオススメなのかは、深く追求しないでください。alm-ore ファンなら、当方の経歴を知っているはずで、答えは自ずと分かるはず。
わかんなきゃ、とりあえず買って読んでみるべきだ。

岡崎京子『pink』

このマンガ、大好きです。
10年くらい前に人の家に置いてあって、エロい表紙に興味をひかれて手にとって、読んでみたら主人公が売春婦でエログロで血生臭く、そういう設定にもかかわらず、ロマンチックで微笑ましく、互いを慈しみ合うような愛ある男女の物語で、悲劇的な結末ではあるのだけれど前向きで、大好きなんです。

ハルヲくんのヘタレな独白も、いちいち好きです。
以下のふたつは、リアルに引用してつぶやいたことある、たぶん。

ももの缶づめはひんやり
のどに冷たく
熱のせいか
薬のせいか
何だかオレはこの部屋で
人生を台無しにしてもいいや
とゆう気になった

でもオレできないの
気が弱いから

気が弱いからさあ

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『酒場ミモザ 3』(とだともこ)にトニーたけざき登場

『酒場ミモザ (3)』 p.65

マンガ『酒場ミモザ』3巻に、主人公らが阪神淡路大震災の傷跡が残ったままの神戸を訪れる話が描かれている。画家の卵である主人公が、瓦礫の中に散らばった画家道具を見つけて、思わずしんみりするシーンがある(p.65)。

左上のコマには、描きかけと思しき作品が顔をのぞかせている。
目を凝らすと、キャンバスにはいいかげんに描かれた人の顔が見える。一瞬、作者の手抜きかと思われるワンカットだ。

トニーたけざきのホームページしかし、僕は知っている。
これは、漫画家トニーたけざきの自画像だ。
キャンパスに描かれた署名をよく見れば、ちゃんと “Tony” と記してあるようにも見える。

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山岳モノを2冊: 栗城史多『一歩を超える勇気』、石塚真一『岳』

元来、軟弱貧弱インドア派の当方なのでスポーツ全般がダメ。太陽の直射日光も苦手だし、道産子のくせに風雪にも弱い。小中学生の頃から、学校行事の遠足とかも嫌いだった。だって疲れるもん。
だから、自分が山登りしようなんてことはこれっぽっちも思ったことがないし、山登りする人の気持ちなんてものも理解できなかった。

小学校に入る前のことだから記憶に間違いがあるかもしれないが、親から見せられたある新聞記事が頭の片隅にこびりついている。七三分けで太い黒縁の眼鏡をかけた、線が細くて生真面目そうな男性が、キメの荒い白黒写真で掲載されている記事だ。
その人物が山で遭難し、亡くなったことを知らせる記事だ。僕は一度もあったことのない人物なのだが、父の義弟とのことだ。僕の叔父にあたる人物だ。
僕のイトコにあたる姉弟が残され、叔母は寡婦として苦労しながら彼らを育てたようだ。遭難事故から数年経ち、その家に初めて遊びに行ったのだが、家のテレビが小さな白黒テレビでビックリした。時代は1980年代中期であったが、現在に至るまで僕はその家以外で本物の白黒テレビを見たことは一度も無い。叔母は僕の父の妹のはずなのに、とても老けて見えた。
親戚一同が集まっても、その叔父が話題にのぼったことは、良いことも悪いことも、中立的なことも含めて僕の知る限り一度も無い。

その一家が白黒テレビしか所有していないのだと知ったのと前後して、冒険家の植村直己(wikipediaで調べる)が北米マッキンリーで消息を絶ったということが日本で大きく報道されていたりもした。彼の遭難は国民に大きなショックを与えたようだ。僕は子供で細かいことはよくわからなかったが、人々が衝撃を受けている姿を見て、なんだかとんでもないことが起きたのだろうと、同じようにショックを受けていた。

これらの少年期の経験により、僕は登山という行為も登山家という人々にも、どこか良くない印象を抱いていた。

ところが、今日、その食わず嫌いがずいぶんと緩和された。

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