ゴミクズみたいな夜に思い出すこと

ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。

中島らも『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』 p.193

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岡崎京子『リバーズ・エッジ』

7月の「東海道五十三クリング」では、京都・三条大橋にゴールした後、冷房を求めて電車に乗った。三条京阪から京橋(大阪)までを往復した。

その日は、祇園祭の宵山であった。1年でもっとも京都が混雑する日と言われている(おかげで、僕は京都に宿を取れず、神奈川の自宅までとんぼ返りしたのだ)。

大阪から京都へ戻る電車は、宵山の見物客と思しき乗客で混雑した。それでも、僕は運良く座席に座ることができた。京阪特急の4人がけボックスの窓際だった。

僕と前後して乗り込んだのは、男女3人ずつの若いグループだった。合同デート(デート?デートなのか!?)のような感じで楽しそうだった。彼らはまとまった座席を確保することはできなかったが、男女組みになって分散することで全員座ることができたようだ。

僕の座る4人がけボックスにも、その中の1組がやって来た。年の頃は、高校生か大学生くらいに見えた。男の子は少々うつむき加減で、他のメンバーに比べてあまり楽んでいるようには見えなかった。グループの中のリーダー格っぽい快活な女の子が、別の女の子を呼び寄せて彼のそばに座らせた。

この女の子は、色白ベビーファイスでかわいらしい夏服を来ていた。はっきり言って、僕好みの女の子だった。目が釘付けになった。暗い雰囲気の彼に代わって、俺が彼女のお相手をしたい、強くそう思った。
そういう思いもあって、根暗の彼とベビフェの彼女を横目で観察しまくった。彼らと目が合うと、空々しく外を眺めたりしたが、耳だけは常にそばだてていた。
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