スティーブン・ピンカーの『2001年宇宙の旅』への言及

クラークと監督のスタンリー・キューブリックは第三千年紀の生活のラディカルな像をつくりだしたが、それはいくつかの点で実現した。永続的な宇宙ステーションは建設中だし、ボイスメールやインターネットは日常生活の一部になっている。しかしクラークとキューブリックが、進歩について楽観的すぎた面もある。仮死状態も、木星へのミッションも、唇の動きを読んで反乱を企てるコンピュータもまだない。逆に、完全に乗り遅れてしまった面もある。彼らがつくった2001年の像では、人びとがタイプライターで言葉を記録している。クラークとキューブリックは、ワードプロセッサーやラップトップ・コンピュータの出現を予想していなかったのである。そして彼らが描いた新千年紀のアメリカ人女性は「アシスタントの女の子」―秘書や受付係や客室乗務員だった。

彼らのような先見の明をもつ人たちが、1970年代に起こった女性の地位の大変革を予想していなかったという事実は、社会のありかたがどれほど急速に変化するものであるかを、あらためて鋭く思い起こさせる。女性がむいているのは主婦や母親や性的パートナーだけだと見なされ、男性の場所を取ることになるからという理由で職業につくのを阻まれ、日常的に差別をうけたり見下されたり性的強要にあったりしていたのはそれほど昔のことではない。

(強調筆者)

この引用は、スティーブン・ピンカー(山下篤子訳)『人間の本性を考える(下)』p.108にある。第18章「ジェンダー: なぜ男はレイプするのか」の冒頭部であり、「女性の地位が向上した理由」という節に書かれている。

さっき、ふと思い出したのだが、内容はうろ覚えだった。それでちゃんと調べた。そして、調べたついでにここにメモしておく次第。

なお、映画『2001年宇宙の旅』は1968年に公開されたとは信じられないほど良くできた作品だ。ピンカーの『人間の本性を考える』も僕たちが人間自身を理解し、これからの社会をどう作っていくのかを考える上でたくさんの示唆にとんだ良書。

俺の台風被害

大型で強い勢力の台風15号によって各地に被害が出ております。

テレビを見ながら他人ごとのように過ごしていた当方ですが、先ほど家のチャイムが押されました。賃貸アパートに住んでいて、ほとんどご近所付き合いをしていない当方ですが、僕の部屋の真上の住人が訪ねてきたのです。

「こんな台風の日にすみません・・・」
と、とても恐縮している先方。

何事だろうかといぶかしんでいると、
「隣の土地の家のブロック塀が崩れましたよ。オタクの車にぶつかってるみたいです。」
と、悲しいお知らせを伝えてくれた。
なお、駐車場の位置関係で、彼の家の車は無事。俺の車だけやられた。

あああ、俺のシャア専用 WiLL CYPHAが!!!

強烈な風雨なので、まだきちんと確認していないが、幸いにしてブロック部分の命中は避けられた模様。そのかわり、塀の木製部分が車のフロントにあたっている。
シャア・アズナブルのように「当たらなければどうということはない!」と言える範囲なのか、そうじゃないのか、未だ不明。

とりあえず、これから塀の持ち主に事実確認だけしてもらいに訪問するつもりだが、ちと気が重い。
ご近所さんトラブルは面倒なので管理会社に連絡しようとしたら定休日だった。

当方の赤い愛車が、通常の3倍の強靭さを有していて、傷ひとつついていなければ丸くおさまるのだが。

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映画『ソーシャル・ネットワーク』を見た

世界最大のSNS Facebookを作った学生たちの友情と確執を描いた作品。デヴィッド・フィンチャー監督、ジェシー・アイゼンバーグ主演、2010年作品。

主人公のマーク・ザッカーバーグは、他人の感情に注意が向かず、不適切な言葉を投げかけては人を不快にさせる。人付き合いのヘタクソなコンピュータ・オタクなのだが、彼のテクニックと独創性は一流だった(実際に Facebook を創り上げたことだし)。
ある日、数少ない友人の一人であり、唯一の恋人(まぁ、恋人は通常唯一であるべきだが)にまでヒドイことを言ってしまい、フラれてしまう。その腹いせもあり、マークはネット上でのコミュニティサイトの作成にのめり込んでいく。
少しずつプロジェクトに協力する仲間も増えてきた。しかし、プロジェクトが大きくなるに連れて、組織の内外に嫉妬や方向性の相違が生まれ、マークは孤立していく。

そんなお話。

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