ラブ・ストーリーは突然に: 東海道五十三クリング(26) -あれから5年-

まだ本州は梅雨明け宣言されていないようだけれど、今日の京都府はまあまあ天気がよかった。少し雲は出ていて、空の色も淡かったけれど、気持ちの良い空模様だった。

5年前の今日、僕は東京の真ん中にいた。1週間の休暇で、自転車を担いで午前7時に日本橋に立ったのだった。僕の記憶している限り、当日は雲一つない晴天で、空は真っ青だった。

翌日は箱根の宿を出発して、自転車で箱根越えをした。インドア派で体力のない僕なので、出発前にはここでリタイアするだろうと予想されていた。けれども、以外にあっさりと登りきれた。箱根の上にある芦ノ湖で、ひっそりと感涙を流した。

3日目は、迷子になった。地図を見ながら走っていたはずなのに、おかしな道に入ってしまったようで、気づいたら携帯電話の電波も届かないような山の中にいた。以前は山中遭難のニュースを見るたびに「バカなやつもいるもんだなぁ」と思っていたのだけれど、いざ自分がその瀬戸際に立たされ、人はいとも簡単に遭難しうるということを学んだ。無事に人里に降りてきた時は、安堵して体の力がヘナヘナと抜けた。

4日目は、あまり記憶に残っていない。そういうこともあるだろう、人間だもの。頭を絞ってギリギリ思い出せることは、浜松でうなぎを食べようと思ったのに、到着したのが午前の早い時間で、どこのうなぎ屋も開いていなかったということくらいだ。

5日目は、愛知県を横断した。愛知に恨みがあるわけではないが、この日の記憶もあまりない。頭を絞って思い出せることは、郊外の長く続く直線道路だ。周囲に背の高い建物がなく、直射日光がもろに照りつける。幸か不幸か、この旅は毎日晴天だったのだ。暑くてかなわなかった。

6日目、僕は京都・三条大橋に到着した。京都の街は祇園祭の宵山でごった返していた。それにまつわる間抜けな騒動もあるのだが割愛する。

そう、僕は2011年の7月11日から16日にかけて東京・日本橋から京都・三条大橋まで東海道五十三次を自転車で走り切ったのだ。
世間の人にとっては、中年のしょぼい思い出話にしか見えないのだろうけれど、僕にとっては自分の生涯における偉業のひとつだ。
2016年の今日、いろいろしんみりすることがあったりしたのだけれど、自分の偉業を思い出したらちょっと持ち直した。こういう経験を持っておくと、いざっていう時に役に立つものだなあ。

思い出の自転車のはずなのに、物干し竿代わりに使われることも。。。

思い出の自転車のはずなのに、物干し竿代わりに使われることも。。。

ところで、僕は自転車の方はすっかり引退してしまって、今はギター三昧なわけですが。
奇遇なことに、今のバンドメンバーの人たちと初めて会ったのが1年前の今日らしい。
東海道五十三クリングに匹敵する思い出作り頑張ります。

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