朝晩と日中の寒暖差に萎えている当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』の第2回の放送を見ましたよ。
暢子(稲垣来泉)の暮らす山原村に東京から青柳親子がやって来た。
世界中の美味しい食べ物に興味津々な暢子は、息子・和彦(田中奏生)に東京の美味しい食べ物について尋ねた。しかし、沖縄に来たことを快く思っていない和彦は、来なければよかったと捨て台詞を吐くのみだった。
それでも暢子は意に介さなかった。和彦の心境よりも、自分の興味の方が優先されているのだ。明くる日、登校途中で和彦を待ち伏せて同じ質問を繰り返したが、やはり和彦は無視して立ち去った。それでも暢子は諦めず、いつかきっと聞き出すつもりでいた。
暢子の日課の一つは、毎朝豆腐を買いに行くことである。豆腐は暢子の好物の一つである。
豆腐は、母一人、子4人の砂川家で売られていた。
母・玉代(藤田美歌子)は病気がちで、中学生の長男・智(宮下柚百)が朝から豆腐作りに精を出していた。智は学校に行きたがらず、早く一人前になって金儲けをしたいと周囲に話していた。母・玉代は彼を学校に行かせたがったが、智は全く聞く耳を持たなかった。
ところで、暢子の母・優子(仲間由紀恵)は村一番のお人好しとして知られている。困っている人がいたら、助けずにいられない性格である。
優子は、砂川家の噂を初めて聞いた。夫を亡くし、年老いた父を頼って村に来たのだが、その父も亡くなってしまった。頼る相手がおらず、病気の身で4人の子供を育てなければならないのだという。
その晩、優子は居ても立っても居られなくなった。大量の新鮮な魚をおすそ分けしてもらったのだが、それを全て砂川家に持っていくというのだ。
ごちそうを前に暢子たちは抗議したが、優子の意思は固かった。優子や父・賢三(大森南朋)が亡くなったとしたら、暢子たちは砂川の子どもたちと同じ様になることを想像するよう諭した。それで子どもたちも納得した。
魚を持っていくと、砂川の子どもたちは大喜びした。その様子を見て、暢子たちも嬉しくなった。
ある日の夜、青柳親子が暢子の家を訪ねてきた。引っ越しの挨拶回りだという。
暢子は、東京のもなかをもらって大喜びした。東京のあんこはサラサラしていて美味しいのだ。
彼らは父・史彦(戸次重幸)と中学生の息子・和彦のふたりきりである。
史彦は民俗学が専門であり、暢子の家の暮らしに興味を持った。暢子の両親もそれを受け入れ、家の中を見せてやった。一方、沖縄のことが面白くない息子・和彦は先に帰ってしまった。
史彦は民俗学者として、沖縄の文化を将来に伝えていく必要があると話した。そもそも彼は、戦時中は沖縄の舞台に所属していたという。ところが、沖縄戦の直前に本土へ配置換えとなり、生き延びることができたのだという。史彦は自分が生き残ったことへの負い目と同時に、戦争で沖縄の伝統の多くが失われてしまったことを悔やんでいる。だからこそ、沖縄の風俗を記録しておきたいのだと話した。
彼の思いを聞いた優子と賢三は深く感じ入った。
賢三も戦時中は中国で戦ってにいたが、今は平和を強く願っている。優子の実家は首里城の近くにあったが、空襲ですべて焼けてしまったのだ。
その日の夜遅く、暢子はすすり泣く声が聞こえてきて目を覚ました。
縁側を除いてみると、優子が泣いていた。賢三がその肩を抱いて慰めていた。
暢子は見てはいけないものを見たような気がした。
今日の話の半分は、砂川家の窮乏でした。
その家の噂話は、主人公の親戚の比嘉賢吉(石丸謙二郎)からもたらされるのですが、彼のセリフでは砂川家の子供は4人とのことでした。しかし、僕が見る限り、画面には3人しか映っていませんでした。一体どういうことなのか。中学生で長男と思しき智(宮下柚百)よりも年上の子がいて、どこかに働きに出てるとか?謎です。
また、主人公の母・優子(仲間由紀恵)のお人好しエピソードとして、おすそ分けしてもらった大量の魚を砂川家に全て与えてしまうというくだりがありました。
その時、優子は魚を全て調理し、器に美しく盛り付け、一度自分の家の食卓に並べました。そして、いつもの夕食と同じように家族がいざ食べ始めようとした時に、突如砂川家に持っていくと言い出しました。子どもたちは、目の前でお預けになったわけです。
優子はきっと初めから砂川家に持っていくつもりだったはずだから、食卓に並べずに、直接持っていけばよかったのに。すごく美味しそうな料理を見せるだけ見せつけて、一口も食べさせないなんてひどいことじゃん?なんなの、このお母さん?外面は良いけど、身内には悪魔じゃん。
そういう強烈な経験をさせることによって、人助けの重要さを深く印象付けようという作戦なんでしょうか?戦争経験者だしなー。
いろいろびっくりさせられる展開で、悪い意味でちむどんどんしました。