あいみょんの『裸の心』をヘビロテ中の当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第92回めの放送を見ましたよ。
1948年(昭和23年)4月。
『東京ブギウギ』の明るいブギのリズムが人々の心を掴み大ヒットした。戦後の混乱が続く中、多くの日本人に生きる希望を与えたのだった。
しかし、いくつかの社会問題には解決の兆しが見えないままだった。貧しい子どもたちは学校に行けずに街で働いていたり、有楽町にはパンパンガールと呼ばれる街娼が蔓延っていた。
ある日、鈴子(趣里)は雑誌『真相夫人』の記者・鮫島(みのすけ)の取材を受けた。彼は妊娠中の鈴子を「腹ボテ」と呼んだり、出産後は職場に必ず愛子を連れてくる鈴子のことを「コブ付き」と書いて発表するなど、あまり好意的な記者とは言えなかった。それでも、『東京ブギウギ』やワンマンショーのさらなる宣伝に繋げるために取材に応じたのだ。実際、子連れで仕事をしているという鈴子の記事は、新しい女性の生き方として読者の喝采を受けており、鈴子の人気や売り上げにも貢献していた。
鮫島は、鈴子に社会問題であるパンパンガールのことを質問した。たとえば、自分の娘がパンパンになっても構わないかと具体的に聞いた。
鈴子は、一般論としてパンパンガールにも事情があるのだろうから良いとも悪いとも言えないと答えた。戦争を生き延びた自分としては、人は生きてこそだと思った。だから、生きるためにしていることを他人がとやかく言えないのだと説明した。ただし、自分の娘には胸を張って生きて行ってほしい話した。
当たり障りのない回答に鮫島は面白くなさろうな顔をしたが、こうして取材は終わった。
帰り道、鈴子はマネージャー・山下(近藤芳正)に取材がうまくいかなかったのではないかと不安を打ち上げながら歩いていた。
その時、山下は道にあった水たまりにはまってしまい、靴が汚れた。すると、靴磨きの少年・達彦(蒼昴)がすぐさま近づいてきた。
あまりの都合の良さに、山下は不審に思った。考えてみれば、ここしばらくは雨など降っていない。達彦が人通りの多いところにわざと水溜りを作ったのではないかと疑った。
達彦はごまかすでもなく、あっさりと作為を認めた。その理由として、病気の母を助けるために金が必要なのだと説明した。母が病気だと聞いて同情した鈴子は自分の靴も一緒に磨くよう頼もうとしたが、山下が遮った。母が病気だというのも嘘に違いないというのだ。山下はインチキをして稼いだ金は身につかないと説教した。
達彦は捨て台詞を吐いて逃げて行った。
鈴子と山下には知る由がなかったが、達彦の母・タイ子(藤間爽子)は本当に病気で寝込んでいた。達彦が母と暮らす掘建小屋に帰ると、タイ子は達彦にばかり働かせて申し訳ないと謝った。達彦は意に介さず、病院にかかる金もすぐに貯まるだろうと明るく話した。
母の前で上機嫌になった達彦は『東京ブギウギ』を口ずさみ始めた。するとタイ子は、その歌は大嫌いだなどと激しい口調で歌うのを止めさせた。
タイ子は、幼馴染である鈴子の栄光を直視できないのだ。
その翌週、係員の静止を振り切って、一人の女が鈴子の楽屋に怒鳴り込んできた。
その女は、有楽町のパンパンガールの親玉・おミネ(田中麗奈)だという。