大好きな野菜はニンジンである当方が、NHK朝の連続テレビ小説『ブギウギ』の第102回めの放送を見ましたよ。
1950年(昭和25年)春。
大野晶子(木野花)が家事手伝いとして鈴子(趣里)の家に来て半年が経った。家の中はいつもきれいに整えられ、おてんば娘だった愛子(小野美音)もすっかりおとなしくなった。
ただし、愛子の食べ物の好き嫌いだけはなかなかなおらなかった。彼女はニンジンが大嫌いで、いつもそれだけ残していた。鈴子が叱ってもまったく言うことを聞かない。ある朝、食卓に出てきたニンジンを食べ終わるまで遊ぶのは禁止だと言いつけて、鈴子は仕事に出かけた。
今日の鈴子の仕事は、レコード会社での打ち合わせであった。近く、鈴子のワンマンショーが開催されることになっており、その企画会議である。
レコード会社社員・佐原(夙川アトム)はそのワンマンショーで新曲を発表したいという。しかも、その新曲は『東京ブギウギ』を超える大ヒットにしたいと述べた。『東京ブギウギ』が発表されたのは2年前で、その後も『ヘイヘイ・ブギー』や『ジャングル・ブギー』も人気を博した。しかし、後続作はいずれも『東京ブギウギ』ほどの大ヒットにはならなかった。これまでのイメージを変えてでも、次の大ヒット作品を作りたいというのが佐原の希望だった。
鈴子は困惑した。鈴子自身はレコードの売り上げを意識したことは一度もなかった。鈴子は自分の気持ちがよくなることと、客が楽しむことだけを考えて歌ってきた。どうすればヒット曲がでるのかなど、鈴子にはまったく想像がつかないのだ。マネージャー・山下(近藤芳正)は、佐原のいないところで、鈴子のやり方は間違っていないと励ました。今まで通りでよいと言うのだった。
レコード会社での打ち合わせを終えた後、鈴子は茨田りつ子(菊地凛子)に会いに行った。家事手伝い・大野を紹介してくれた礼をまだ言ってなかったからだ。
りつ子は、大野が鈴子に気に入られていると聞いて安堵した。自分が勝手に送り込んだため、ふたりの馬が合わなかったらと心配していたのだ。
りつ子は、大野の経歴について話し始めた。
大野は、りつ子の青森の実家の呉服屋で女中をしていたという。子ども時代のりつ子は、金持ちの娘として甘やかされて育ち、わがまま放題になっていた。親や他の女中たちも手をつけられなくなり、なかば見放されていた。そんな中、大野だけはりつ子に真剣に向き合ってくれたという。女中だという立場にもかかわらず、「わがままばかりでは誰にも相手にされなくなる。いい加減にしろ」と奉公先の娘であるりつ子のことを怒鳴りつけたことがあった。それでりつ子は目が覚めたのだ。
りつ子は15歳で家を離れたため、大野とも疎遠になった。その後、大野は青森で結婚したが、戦争のころに夫と死に別れた。離れて暮らしていた息子を頼って上京したが、その息子も戦死した。残された嫁と孫と3人で暮らしていたが、空襲の時にはぐれてしまい、そのふたりも亡くした。
それからはひとりぼっちで暮らしていた。どこかで女中として働いていたとのことだが、りつ子が再会したときにはすっかり打ちひしがれ、憔悴しきっていた。昔みたいに元気になって欲しいと思い、鈴子に紹介したというのだ。
鈴子なら大野の気持ちがわかるだろうし、苦労を重ねてきた大野だからこそ鈴子の力にもなるというのがりつ子の考えだった。鈴子は、りつ子の見立て通りだと感服した。
その頃、家では大野が愛子のニンジン対策を行っていた。
愛子が食べ残したニンジンを米、砂糖と一緒にすりつぶし、フライパンで焼いてがっぱら餅に仕立てた。その制作過程が面白く、愛子は自分から手伝った。大野によれば、ふつうのがっぱら餅にはニンジンを入れないが、今日だけは特別なおやつにしたという。しかも、ニンジンを食べれば美人になると付け足した。
愛子はおっかなびっくりかじってみると、そのおいしさを気に入った。出来上がったニンジン入りがっぱら餅をすっかり平らげてしまった。
鈴子が帰宅すると、愛子と大野は楽しそうにお絵描きをしていた。朝はニンジンを食べ残してぐずっていた愛子の機嫌がよくなっていて、鈴子は安堵した。また、大変な苦労をして人相が変わるほどだったと聞いた大野も楽しそうにしているのを嬉しく思った。
鈴子が帰宅したのと入れ替わりに、大野は愛子を鈴子に任せて買い物に行くと言う。鈴子は自分もついていくことにした。3人で手を繋いで仲良く歩いていると、近所の人からは大野が本当の祖母であると勘違いされた。鈴子はそれを否定しなかったし、良いことを言われたと思った。幸せな時間だった。
ある朝、マネージャー・山下が雑誌『真相夫人』を携えて、慌ててやってきた。
記事によれば、タナケン(生瀬勝久)が足に大怪我をしたという。