NHK『カーネーション』第113回

糸子の初孫は「里恵」と名付けられたわけだが、その漢字の組み合わせには思わずビクッとなってしまう当方が、NHK朝の連続テレビ小説『カーネーション』の第113回目の放送を見ましたよ。

* * *

第20週「あなたを守りたい」

1961年(昭和36年)5月。
服飾専門学校を卒業した直子(川崎亜沙美)は銀座の百貨店に自分の店を開いた。ところが、毎晩岸和田に電話をかけてくる。口ぶりは強がっているが、仕事のうまくいっていないことが想像された。心配になった千代(麻生祐未)は糸子(尾野真千子)に様子を見に行くよう勧めるのだった。

特急こだまで、東京までは7時間で行けるようになった。糸子は直子の店に直行した。
直子の店は派手に飾り立てられていた。ショーウィンドウには前衛的なオブジェが置かれていた。糸子にはそれらの飾りの意味がさっぱりわからなかったが、若者には通じる何かがあるのだろうと思って感心して眺めた。
糸子が店に入ろうとした矢先、百貨店の支配人(谷口高史)が飛び込んできた。糸子は遠慮して、店の外から様子を伺うことにした。

支配人は単刀直入にショーウィンドウのオブジェを片付けるように命じた。あまりに下品で汚らしく、百貨店の品位を下げているというのが理由だった。さらに、直子の岸和田弁も矯正させられた。直子の下で働く2人の若い女性店員も、バカにしたような態度で直子のことを見ていた。

気まずく思った糸子は、しばらく時間を潰してから店に戻った。すると、ショーウィンドウのオブジェはすっかり片付けられていた。直子は我を押し通せなかったことが察せられた。
糸子は遅れてきたことを適当にごまかし、立派な店構えであることを社交辞令のように褒めた。すると直子も気を良くし、糸子の前では強がって見せた。支配人から才能を認められており、何でも自分の好きなようにできるのだと豪語した。

その直後、女性客がものすごい剣幕でやって来た。直子の店で仕立てたパンタロンが不良品だから作り直せと言うのだった。見た目ばかりが派手で、着やすさ、歩きやすさは全く考慮されていなかったのだ。
作業場で、糸子は直子と共に問題のパンタロンを調べた。確かに、奇妙なところにポケットが付けられていて、縫製の仕方も常識はずれだった。一見して着にくいことがわかった。けれども直子は、このデザインこそ完成形なのだから修正するわけにはいかないと突っぱねた。
それに対して糸子は、服は買った人が気持ちよく着ることで初めて完成するものだと説いた。今回は、客が着れないと言っているのだから修正するしかないと言い聞かせるのだった。

その日の夜、直子の下宿には直子の同級生たち(斎藤:郭智博、吉村:ドヰタイジ、小沢:野田裕成)も集まった。糸子は千代が乗り移ったかのように、「若い子を飢えさせないようにするのがおばちゃんの努めだ」などといって、豪勢に寿司やうなぎを振舞った。彼らは気持ちのよい食欲を見せた。

直子の店の前衛的なオブジェは斎藤が作ったものだという。それは直子も斎藤も自信作だと思っていた。けれども、支配人に撤去を命じられたことをその場で打ち明けた。
糸子も支配人と同じく、あのオブジェは鉄くずにしか見えず、良さが全くわからなかったと話した。けれども、斎藤を貶すわけではなかった。糸子は直子や斎藤の感性を外国語になぞらえた。自分には外国語がわからなくても、外国人同士ではちゃんと言葉が通じている。話の内容はわからなくても、彼らが心を込めて本気で話しているかどうかは雰囲気から察せられる。それと同じように、斎藤の作ったオブジェは心を込めた本気の作品だと理解できたと言うのだ。
直子は少し不審に思った。糸子が店に姿を表したのはオブジェを撤去した後だから、それを見ていないはずである。そのことを問われても、糸子は知らんぷりをした。

話題を変えるために、糸子は若者たちの夢を聞いた。彼らは異口同音に世界中の人に自分のデザインした服を着てもらいたいと語った。プレタポルテの事業を始めれば、自分の既製服を世界中の人々に届けられるというのだ。
直子は、東京をパリのようなファッションの中心地にしたいと答えた。世界中のデザイナーを東京に呼んで、ファッション・コレクションを開きたいと夢を語った。

若者たちの夢は大きかった。糸子がこれまで想像もしたこともない、「世界」を相手にしようとしていることに良い驚きを覚えた。そして、彼らの話を聞いているだけで自然と元気が出てくることがわかった。
そしてまた、大きな夢ほど壊れやすいことも糸子は知っていた。自分にできることは、彼らを守り、後援してやることだと思った。そこで、今はとにかく、彼らに腹いっぱい食わせてやろうと思うのだった。

岸和田に帰った糸子は、ある日、聡子(安田美沙子)と共に北村(ほっしゃん。)に呼び出された。
北村はプレタポルテを始めるために専属デザイナーを探していた。けれども、一流のデザイナーはすでに他の会社と契約していたために1人も獲得できなかったという。逆転の発想で、若いデザイナーを自分の手で一流に育てて、売りだすというアイディアを得た。

そこで、聡子を預かりたいと言うのだ。糸子の娘なら十分に素質があるというのが北村の読みだった。聡子にとっても寝耳に水だったが、すぐに乗り気になった。
けれども、糸子が猛反対した。これまで洋裁には全く興味を示さず、デザイン画の1枚も描いたことのない聡子に務まるはずがないというのが理由だった。

* * *

若者に腹いっぱい食わせようとするのは、これまでは千代の役目だった。糸子はむしろ、そんな千代に反発していた。直子が風邪で倒れた時、千代が上京し看病した。その時に、やはり男の子たちに有り金全部使ってメシを食わせた。それを糸子がどれだけ呆れたことか。男の子たちが岸和田に遊びに来るといえば、ありえないほど大量の食事の支度をしたり。

けれども、いつしか糸子も同じようになっていたのがおかしかった。

しかし、糸子も豹変したわけではないんだな。
僕が思い出すのは、第79回の放送。終戦直後に東京へ買い出しに行った糸子は、孤児に財布をスられる。その女の子に対して憤慨するではなく、とても痩せていたことを不憫に思った。その後ちゃんと食事は食べられただろうかと心配し、これからの時代は自分が次世代を飢えさせないようにし、世の中を変えていくのだと決意したシーンがあった。
ロングパスが通ったなぁ、という感じですよ。よくできてる。

ちなみに、僕は山瀬まみのお母さんに大量に飯を食わせてもらったというのが最近の良い思い出です。
若い頃に、いろんな人に大量にメシを食わせてもらったことももちろん忘れていないし、感謝しております。お一人ずつ名前を上げて感謝を申し上げることは割愛しますが。

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