ベビーフェイスというだけで全てを許してしまう当方が、NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』の第102回めの放送を見ましたよ。
1888年(明治21年)、ついに加野銀行が開店した。
あさ(波瑠)は開業の日に合わせて洋服を誂え、化粧もするようになった。
和服姿では「関取のようだ」、「ひげの生えた男のようだ」などと陰口を叩かれるので、その噂を払拭しようと思ったのだ。そして、姿を変えることで、銀行の代表として人々からの信用を勝ち取ろうと努力したいと思ったのだ。
新次郎(玉木宏)をはじめ、店の者たちもあさの変身姿に見とれた。
そんな中、千代(鈴木梨央)だけは、これみよがしなあさの態度を許せなかった。
そんな千代に、雁助(山内圭哉)が声をかけた。
千代と同様に、雁助もあさが苦手であると明言した。しかし、その一方で、あさの活躍を見ていると楽しくて仕方なかったのだという。千代に向けて、あさの働く姿をよく見ておくようにと諭した。
その言葉を残して、雁助は店を出て行った。
加野銀行開業のその日に、別れた妻子の待つ愛媛へと旅立っていったのだ。
店の者達は開業記念の宴会に出席しており、うめ(友近)も表立って雁助を見送ることはしなかった。
雁助は、みなの目を避けるかのように、ひっそりと出て行った。
それから3年。加野銀行の経営は順調で、大阪でも10本の指に数えられる銀行になるほど成功した。
あさは、自ら顧客のところに出向いて銀行業を手伝う傍ら、炭鉱業も疎かにすることなく昔以上に働いた。
また、店の者の教育のために無料の研修所も作った。無料という点に榮三郎(桐山照史)は難色を示したが、その投資は何倍にもなって返ってくると主張し、実行した。
新次郎は、石炭を扱う加野商会の社長に加えて、尼崎に設立された阪神紡績の社長にも就任した。
阪神紡績は大阪の商人たち30名ほどが共同出資した会社だが、商人たちはこぞって新次郎を推したのだという。
あさは、新次郎が天性の信用を持っていることを羨ましく思った。ただし、ほうっておくとすぐに怠けようとする新次郎なので、いつもあさが尻を叩いて彼を働かせていた。
栄三郎とさち(柳生みゆ)の夫婦には娘が生まれた。それと前後して、銀行のそばに最新式の新居を構え転居した。
栄三郎は、母・よの(風吹ジュン)を新居に呼んで一緒に暮らすことを提案したが、よのは頑として受け入れず、旧家の方であさたちと暮らすことを選んだ。
それというのも、よのは千代がかわいかったのだ。千代はよのにとてもよくなついており、離れがたかったのだ。
それに加えて、成長した千代(小芝風花)がますますあさと険悪な仲になっていることも心配されたのだ。
千代は事あるごとに、あさのような女にだけはなりたくないと言っているのだ。
あさもあさで、そんな千代をなだめようとはせず、どんな立派な女性になるのか楽しみだなどと皮肉を言って睨みつけるのだ。